ベツレヘムの家畜小屋発

グレグレ耶蘇・桜泉のブログです。

今日もまたもやハズレ。

2007年06月10日 | グレ耶蘇生活
今日こそは、近所の教会でいいので、行くぞと思っていたら、まあステキな雷雨!
らいう~!
…なんちゃって。

相変わらず、日曜の朝のJくんは体温高めというか微熱気味だし、桜泉もずっとずっと体調優れないし、少なくとも大雨の中子ども連れ出したらダメだなあ…。

家庭礼拝(?)をと思って、讃美歌や聖書を持ってきて、朗読したり讃美したりしているのに、今日は婆が来ているせいかJくんは無視。もちろん(未信徒→)婆も無視。パパガスパールは今日は仕事に出かけ前なのでこれも無視。
だんだん空しく、カナシーという気持ちになりながら、シャーマン先生(MLで配信)のお説教なども読み上げていました。

でもこんなことで空しくなるのもヘンですね。
どうせこの桜泉のことです。「私が読んでるのに無視するなんて…」と思ったに過ぎません。間違っても「かみさまのお話が家族のみんなに伝わらないなんて!」と嘆いたわけではないと、自分で省みるのです。

嘆いたり焦ったり苛立つのは、情けない人間だから仕方ないけど、でも、「私は今何に嘆いているの?何に怒っているの?それは本当に怒る必要、悲しむ必要はあるの?」と問い返す作業を大切にしていきたいと、思います。

関係ないのですが、あるサイトである方がキリスト教式の結婚式と人前式を見て、自分は無神論者だ、と断り書きをした上で、「なんで神様なんて見えない不確かなものに誓うんだろう。目の前にいる相手に誓う方がたしかじゃないか?」という趣旨のことをブログに書かれていました。
桜泉もある時期までは、結婚するなら人前式、と思っていました。つながりある人たちが証人で、相手とその人たちに誓うことこそ確かなのだと。
でも、かつての自分、そして、その文章を書かれたその方に、今はホントにさらっと、「いやー、桜泉はそうは思わんよ。」と言えちゃう自分に気づきました。^^;
神様が見えなくて不安なのは分かるけど、不確かかどうかは別。少なくとも、人間ほど不確かなものはない、人と人の繋がりだって。
(だから不貞もあれば離婚もある、証人となった仲間から、つまらぬことで村八分になったり仲たがいしたりする、それが人でしょう。)
そんな不確かで弱い私たち人間だから、「神の助けによって誓います」って、言うしかないし、そっちの方がちっとはベターなんじゃないかと、思います。

ああ、やっと・・・

2007年06月10日 | その他もろもろ
パパガスパールが携帯電話を持ったのは2001年の秋。
それから一度も機種変せずに、今日まできました。カメラもない、動画もない、だから画像付きメールは見られない。

いい加減機種変しようよ、いや、それならdocomoじゃなくて、willcomにしようよ、と言い続けてきましたが、やっと昨日、ウィルコムプラザまで行って、契約してきました。

もちろん、桜泉、パパガスパール、婆の3人で、定額制、ファミリープランです。

6年も、1機種使い続ける人なんて、まずいません。その端末も博物館ものなら、パパガスパールも、博物館ものです。

しかし、パパガスパール、カメラ付き携帯を持ったからには、「エスカレーターで操作したら誤解されてヤバイことになるかも」と、恐れています。
…李下に冠をたださず。