ベツレヘムの家畜小屋発

グレグレ耶蘇・桜泉のブログです。

悪徳Jくん!

2007年06月03日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
このところのJくんは、すっごく悪い子です。

自分の思うとおりでないとすぐ切れ、泣きます。
泣くだけでなく、暴れたりものを投げます。親や祖母をぶちます。引っかきます。眼鏡をむしりとります。髪の毛を引っ張ります。
眠くなっても同様のことをします。

自分が寝たくないと、キャーとかワーとか言ってはしゃいで騒ぎます。

お母さんのトイレを覗こうとします。

せっかくたたんだ洗濯物を、一枚一枚タンスから出して放り投げます。

歯を磨いてくれるお父さんの手を噛みます。

何でも口に入れて噛んだり舐めたりしようとします。

ほんとは自分で食べられるくせに、食事を人に食べさせようとし、食べさせないと切れます。

いたずらをして、叱られると、エヘエヘエヘエヘと、いやらしい笑いをしてごまかします。

Jくん、悪い子です。「お父さんに叱ってもらおう」「道悦が来るよ!」と言っても、もちろん聞きません。
(※道悦=3月までやってたテレビ東京の時代劇『逃亡者おりん』の敵役。榎木孝明が扮していて、なかなかカッコいい悪者なんですが)

またもや微熱の日曜日

2007年06月03日 | グレ耶蘇生活
と、さんざブーたれておいて、でも今日は何だか…、ブーたれたからこそ、教会に行きたいと思っていました。
Jくんも、ハナタレ以外は元気だし、自分もある程度やることが片付いていて、ちょっと調子は中の下だけど、教会行くぐらいは…と思っていました。
が、Jくんのお熱を測ったら、7度ちょっと。食後に7度6分。…。

家庭礼拝に切り替えでした。
(体温計、かなりアバウトなんで、実際にはもう少し熱低かったと思うんですけどね。)

今日も桜泉が聖書日課を持ってきて、まず讃美をし、日課の箇所を3箇所朗読し、聖書日課にあるプチメッセージを朗読し、みじかーいお祈りをし、そして…9時ごろメーリングリストで配信されてきていた、シャーマン先生のお説教を朗読しました。終わりに、もう一度讃美をしました。本当は主の祈りを唱えたかったのですが、Jくんすっかり飽きて眠りこけていたのでやめました。

それからJくんを寝かせて、パパガスパールとしばらく、お説教のことをああでもないこうでもないと語り合っていました。

Jくんはどうして日曜日になると微熱が出ちゃうのかな、ということも話しました。
Jくんが教会に行きたくない、お出かけしたくないのか、お父さんかお母さんどちらかが教会に出かけてしまって、お留守番になることもあるので、それがいやなのか、ただ疲れが溜まっているのか、平日と違って緊張が解けるからか、でもそれ以上に、何か意味がある、かみさまから、教会にいかれないことで、また、こうして家の中で小さな祈りの時間?を持つことで、桜泉が、桜泉一家が体験して、知って欲しいことがある、というメッセージを受けているような、そういう思いがします。

なお、Jくんは至って元気で、家の中を駆け回り、外にも出たがり、仕方なく、ちょっとだけよ、加藤茶みたいなことを言って、庭先から、外の沿線まで行って、電車を見て、おうちに戻りました。電車見たさに勝手にどんどん外に行って、道路に飛び出しそうになり、踏切に行こうとしたのには焦りました。もう、本当に、目が離せません。
このあいだまで、靴はいて外に降りるの嫌いだったくせにぃ!

あ、でもこれは今は譲りたくない一線。

2007年06月03日 | グレ耶蘇生活
なおもしつこく続き。

でも、最初の罵倒のテロップを、それなりに超えようと思ったつもりの桜泉だけど、これだけは桜泉は違うと思っています。
挙式の「条件」として「礼拝出席3回」とすることは。
礼拝を「義務」にすることには、違和感と抵抗感を感じます。

かみさまを礼拝するということは、ある意味で人間の義務ではあります。そして権利でもあります。けれど、学校の宿題的な意味での「義務」とは馴染まないと、思っています。
あ、それこそ、キリスト教系の高校などでは、夏休みの宿題の一環として、近所の教会の礼拝に出席し、レポートを書く、というのをやっているようですが。それと結婚式はまたちょっと意味が違うかな…いや同じかな…わからん…。

現実的な運営の問題として、何らかの形で、挙式希望者を「ふるい」にかけたいというのはあると思いますが。
でも、礼拝をそのふるいに、道具にするのは、それこそ疑問です。

もちろん、せっかく教会で挙式をするのです。教会の結婚式自体が、実は(二人のイベントではなく)礼拝です。だから、普段の日の礼拝も、ぜひぜひ、いらして、人生の中の一瞬かもしれないけれど、かみさまとお話する時間を持ってみて、と桜泉も、若い人たちに勧めたいです。でも、勧めるのと義務付けるのは、やはり違うと、思うんですけどね…。

ちなみに、カトリック教会では、こんな風にしているみたい。(イグナチオ教会の例。他にも、都心では神田教会にもそういうページがありますね。)
しっかりした準備講座のコースが、挙式者が信徒か未信徒かの別で、それぞれプログラムがあるようです。
※カトリックでは、結婚も秘蹟ですから、信徒未信徒で学びのプログラムが違うのでしょう。