ベツレヘムの家畜小屋発

グレグレ耶蘇・桜泉のブログです。

不思議な日曜日

2007年06月17日 | グレ耶蘇生活
久しぶりに、麻布十番経由で六本木の教会に行きました。
Jくんはまだお熱なので、爺と婆に来て貰って、相手をしてもらってお留守番。
本当はこれ、気が引けるんですけどね。いくら爺と婆はクリスチャンじゃないと言っても、日曜日、人を働かせて自分が安息日をしていることになるので、いい気分じゃないです。でも、今は、今日は、やはり行かねばならないという思いに突き動かされて、一人で行きました。パパガスパールは鵠沼でご奉仕の日です。たぬき煎餅と浪花屋と豆源の横を通って行きました。(?)

かなり思いつめた顔していただろうなと思います。自分では見えない自分の顔は。
そして、かなり思いつめて、かみさま!と祈っていました。
財布の中には1000円札がたまたまなくて、某女流小説家がいたので、「…。」と思いながら、主がご入用なのかも、と思って献げました。主はそのうち返してくださるでしょう。(爆)

礼拝の終わりに「ヌンクディミティス」という歌があるのですが(ルカ福音書に出てくるシメオン爺さんの讃歌)、それを歌っていたらふっと「さよなら…」という言葉が胸に浮かんできました。
そして。「でも、私は、礼拝がしたいのだ。ここで。」そういう思いがわきあがってきました。

桜泉が教会に行くようになって間もなく5年が経とうとしています。六本木の教会に行くようになってからは3年3ヶ月ですが。
例えば生まれたての赤ちゃんも、5年たてば5歳。幼稚園に通ったり、保育園なら幼児クラスです。
今までは、信仰生活のまるで乳児期。いくらなんでもそれはひどければ、義務教育を終えたところとでも言いましょうか。
ここでひとつの何かが終わった、桜泉が一旦死んだとまでは行かなくても、ここから新しく始まってもいいのだ…そう、かみさまが教えてくださっているような気がしました。

そしてどういう決断をして、これからどうするかは、今ここに書くことではないので、また、書けるときに書くでしょう。