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インド映画の平和力

ジャーナリストさこう ますみの NEVER-ENDING JOURNEY

NETFLIX 『ラガーン』の日本語字幕について①

2018年09月26日 | ボリウッド
 私は、レビューや監督インタビューなど仕事に直接かかわる場合を除いて、インド映画を日本語字幕で見ることはない。
 そもそも、インド映画輸入の絶対的後進国といわざるをえない日本においては、映画祭や動画サービス等を含めても、日本語字幕で見られる作品からしてごくわずか、さらにクオリティで選別したら鑑賞に値するのは雀の涙に等しい数ではある。

 とはいえ私が日本語字幕で見ない理由は、あえて大づかみにいうと、物理的に同じスペースに当てられる日本語字幕と英語字幕を比べた場合、言語的な特徴から、後者の情報量のほうが多くなるからだ。かつ、インド映画の英語字幕は比較的ストレートに意味を伝えるようにつくられている。これらが相まって、作品や、つくり手の志が有する気高さなり品格、グレース(grace)というものがよく伝わってくるように感じる。
 対して日本語字幕は、日本の観客の理解度に合わせて、あえて別の表現で置きかえられたりする場合もある。それ自体は悪いと思わないが、作品を研究するうえでは、やはり本来の台詞やナレーションを理解しなければならない。この意味で英語字幕は大きな助けになる。

 映画字幕に関する書籍というと、すぐ思いだすのは先駆者・清水俊二氏による著作群だ。ことに『映画字幕(スーパー)五十年』(解説・小林信彦 早川書房 1985年→1987年にハヤカワ文庫化)『映画字幕(スーパー)の作り方教えます』(文春文庫 1988年)『映画字幕は翻訳ではない』(戸田奈津子・上野たま子編 早川書房 1992年)といった、このジャンルでも嚆矢のもの。
 いまでは字幕翻訳家による著作やセミナーなどに接する機会もけっこうあるが、1980年代までは皆無といってよかった。語学好きの好奇心から、字幕はどのようにつくられるのか知りたいと漠然と思っていた20代半ば、清水氏の著作には飛びついた。
 これらの書物から得た最大の教訓は、うち1冊のタイトルどおり「映画字幕は翻訳ではない」ということである。つまり、観客に考えさせてしまう字幕、そこで引っかかってドラマを追えなくなってしまう字幕にしてはいけないのだと。「なるほど、小説などの翻訳とは相当に違う作業なんだな、書籍の翻訳者にもまして日本語能力が求められる、独特の世界なんだ」と目からウロコが落ちた。

 こんにち、字幕翻訳の実務面なり作業環境に関しては、清水氏の時代から格段に進歩しているわけだが、「映画字幕は翻訳ではない」は不変の原則だろう。だからこそ、日本独特の仕様ともいえる映画字幕ひとつひとつのよしあしは、一本調子に論じたり短絡的に判断できるものではない。
 ひところから SNS などで、鬼の首でも取ったように、誤訳だと指摘したり字幕翻訳者を糾弾したりする書きこみが目につくようになっている。妥当と思えるものもある半面、原則やルールを理解しないまま、中途半端な外国語知識をひけらかしているだけのようなそれも少なくない。

 以上を前提にしたうえで、ザツにつけただけとしか思えない字幕はやはりある。ことにそれが、とりわけ重要な作品のここぞという台詞だったりすると、看過しているわけにはいかない。

 過日、たまたま気が向いて NETFLIX の『ラガーン』を日本語字幕で見てみた。もう何十回見たかわからないので、内容も重要な台詞もぜんぶ頭に入っている。そして45:38あたりまできて目を疑った(以下の説明における各キャラクターの発言は、とくにことわっているところ以外、わかりやすくするための私の表現で、字幕の引用ではない)。

 ここにいたるシークエンスはこうである。
 19世紀、英国植民地下のインド。日照りが続いて農産物の収量が激減するのが明らかにもかかわらず、英国軍人ラッセル大尉の気まぐれから「今年の年貢は2倍収めよ」と言われて困りはてた村人たち。命令を撤回してもらうよう直訴に行く。
 大尉は「条件によっては免除してやってもよい」と言い、かねてから目をつけていた生意気な村の若者=主人公ブバン(アーミル・カーン)を名指しする。「ただしわれわれ軍人とクリケット試合をして勝ったらの話だ。今年だけではない、3年続けて免除してやる。それもおまえたちの村だけではない、われらが駐屯地全域を対象としてやろう。だが、もしおまえたちが負けたら年貢は3倍だ。どうだ、おまえが代表して答えろ」と迫るのである。

 沈思黙考のすえ「承知した」と答えたブバンは、このあとの村会議で袋叩きに遭う。「2倍の災難をわざわざ3倍にしやがって!」と、ブバンを除く全員が初めから100%の負け犬根性である。クリケットなど見たこともないかれらには、たしかに無理もないのだが。
 しかしブバンは言葉を尽くして説得を試みる。「危機だ、危機だとみんな言うが、別の視点からよく考えてみろよ、これは千載一遇のチャンスじゃないか」。
 そこで鍛冶屋のアルジャンが茶々を入れる。「ちっこい眼でまあ、バカでっかい夢を見るもんだよな、おまえは」。ブバンは切りかえす、「ああ、オレは夢を見るよ」。その次にくる台詞が問題にしたい部分だ。

NETFLIX 字幕(字幕翻訳者不明)「夢は見なければわからない」

 ……! なんだこれは。
 「夢は見なければわからない」では、アルジャンへの反論になりきっていない。ブバンは本当にこんな凡庸な言い方をしているのか?
 さあここで英語字幕に切りかえて確認しよう。

NETFLIX 英語字幕(注)「And only those who dream can make them come true.」

 いまこうして転記しながらも「ああ、いい台詞だなあ」と気持ちが上向く。先述のように、英語字幕のほうがグレースが伝わりやすいということも感じとっていただけるのではないかと思う。
 ちなみに『ラガーン』の日本版 DVD 字幕はどうなっているだろうか。

日本版 DVD 字幕(字幕翻訳:松岡環)「夢は見る者だけが実現できる」

 そう、これである。こうであって初めて、見ている日本の観客も「そうだっ!」とこぶしを握り、その後の展開に心をはずませることになるのだ。
 NETFLIX は最近いきなり月額会費の値上げを発表したが、この機にぜひとも修正していただきたい。
(注)日本版 DVD の英語字幕も同じ。

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