改定市民権法(Citizenship (Amendment) Act, 2019; CAA、ちなみに主旨からいって「改正」ではない)に対する、全国的な抗議運動継続のさなかで送った、今年の共和国記念日(1月26日)だった。
その CAA 問題と密接に関連するのが、昨夏、北東部アッサム州で発表された国民登録(National Register of Citizens ; NRC)の問題である(2019年8月31日付)。
同州 NRC の主旨は、1971年に勃発した東パキスタンの独立戦争に伴い、アッサム州に逃れてきた難民、および東パキスタンがバングラデシュとして独立したのちにやって来た非正規移民をあぶり出し、国外退去処分にしようとするものだ。
NRC 名簿から除外された人びとは、190万人強。
その多数派はムスリムではなく、ヒンドゥ教徒である。
にもかかわらず、「(190万人の)多くはイスラム教徒だ」などという記事を、つい最近も目にしたので、日本の報道をざっとあらためてみたところ、同じミスを犯している記事が少なくないので唖然とした。
名簿発表当時から、インドのメディアはみな、この事実を報じているので間違えようがないはずなのだが。
開けてみたらヒンドゥ教徒のほうが多かったからこそ、非正規移民を「シロアリ」と呼び、「ひとりずつベンガル湾に放りこんでやる」と息巻いていたアミット・シャー内務大臣はじめ、インド人民党(BJP)政権は、狼狽したのである。
やはり BJP が握るアッサム州政府傘下の関連団体からは、登録手続に問題があったのではないかという声がさっそく出たぐらいだ。
その後、名簿の遺漏分の修正と検証が最高裁へ申し立てられたためだろう、現在、NRC サイトの肝心な部分は閲覧できなくなっている。
ただでさえ名簿をめぐって混乱していたところを、シャー内相は NRC を全国で実施するとゴリ押しし、ひいてはアッサム州でもやり直すと言いだした。
さらに「人びとの選別と排除」という意味合いにおいて NRC と通底する CAA を強引に成立させた。だからこそ、国民の怒りの炎にガソリンが注ぎこまれて、こんにちにいたっているのだ。
ここで、以前から言及している人権団体「正義と平和を求める市民連合」(Citizens for Justice and Peace; CJP)が、名簿の内容について詳述している記事を紹介する(2019年9月17日付)。
CJP が州政府の情報源(sources in the Intelligence Branch of the Assam government)に拠ってまとめたという、除外された190万6657人の内訳に注目。
すなわち、
ーベンガル人ヒンドゥ教徒69万人(注)と、アッサム人ヒンドゥ教徒6万人で、ヒンドゥ教徒は合わせて75万人。
―東ベンガル(バングラデシュだけでなく英領インド時代からの含みがある表現)の出自をもつムスリムは48万6000人。
―さらに、山岳集住民であるゴルカ系8万5000人のほか、ボド民族・ガロ民族・ナガ民族などの先住諸民族。
注 lakh はインド亜大陸固有の単位で「10万」。
なお、同じベンガル人ヒンドゥ教徒といっても、西ベンガル州などのインド近隣州出身か、バングラデシュ出身かの識別は、ここではできない。
記事が注意を促しているが、総計は147万7520人になる。
つまり、190万人のおよそ4分の1(約43万人)が内訳に反映されていない。
とはいえ相当数が、北インド出身の(ベンガル人やアッサム人ではない)ヒンドゥ教徒だと、NRC 担当部局に通じる、複数の専門家筋の見解をふまえて推定している。かりに30万人だとしたら、先の75万人に足して105万人になる。
政治家や識者による推計では、除外されたヒンドゥ教徒の総数は、110万人だとか120万人だとかバラつきがあるものの、概算としては近似している。
そもそも、印バ両国の近現代史や政治経済事情、国境周辺事情の複雑さに、ある程度通じているなら、ヒンドゥ教徒のほうが多いという結果は、意外でもなんでもない。
その点、インドのメディアも名簿発表前から、興味深い予測や分析をいろいろ報じていた。
参考として『Rediff.com』から2本挙げておく。
’NRC is more of an ethnic issue than a religious one’(NRC 実施の背景にある要因は宗教より民族)(2019年8月30日付)と ‘The Muslim Population has declined in Assam’(アッサム州のムスリム人口は減少している)(2019年9月5日付)。
これらを読んだだけで、州特有の深奥かつ複雑な事情が多少なりともうかがえると思う。
CAA 反対の狼煙は、同州ほか北東部で最初に上がったが(そのせいで安倍首相訪印が中止になった)、アッサム州の場合、反対理由も独特の事情と密に関わっている。
ムスリムを排斥したい BJPとしては、その事情につけ込み、アッサム州を端緒に全国でNRC を実施してムスリムを追放、かつ CAA によってムスリム流入を阻止することを画策していたのだろう。
その筋書きが、先述のように想定外の結果を見て、必ずしもスムーズに進まなくなってしまったわけだ。
その CAA 問題と密接に関連するのが、昨夏、北東部アッサム州で発表された国民登録(National Register of Citizens ; NRC)の問題である(2019年8月31日付)。
同州 NRC の主旨は、1971年に勃発した東パキスタンの独立戦争に伴い、アッサム州に逃れてきた難民、および東パキスタンがバングラデシュとして独立したのちにやって来た非正規移民をあぶり出し、国外退去処分にしようとするものだ。
NRC 名簿から除外された人びとは、190万人強。
その多数派はムスリムではなく、ヒンドゥ教徒である。
にもかかわらず、「(190万人の)多くはイスラム教徒だ」などという記事を、つい最近も目にしたので、日本の報道をざっとあらためてみたところ、同じミスを犯している記事が少なくないので唖然とした。
名簿発表当時から、インドのメディアはみな、この事実を報じているので間違えようがないはずなのだが。
開けてみたらヒンドゥ教徒のほうが多かったからこそ、非正規移民を「シロアリ」と呼び、「ひとりずつベンガル湾に放りこんでやる」と息巻いていたアミット・シャー内務大臣はじめ、インド人民党(BJP)政権は、狼狽したのである。
やはり BJP が握るアッサム州政府傘下の関連団体からは、登録手続に問題があったのではないかという声がさっそく出たぐらいだ。
その後、名簿の遺漏分の修正と検証が最高裁へ申し立てられたためだろう、現在、NRC サイトの肝心な部分は閲覧できなくなっている。
ただでさえ名簿をめぐって混乱していたところを、シャー内相は NRC を全国で実施するとゴリ押しし、ひいてはアッサム州でもやり直すと言いだした。
さらに「人びとの選別と排除」という意味合いにおいて NRC と通底する CAA を強引に成立させた。だからこそ、国民の怒りの炎にガソリンが注ぎこまれて、こんにちにいたっているのだ。
ここで、以前から言及している人権団体「正義と平和を求める市民連合」(Citizens for Justice and Peace; CJP)が、名簿の内容について詳述している記事を紹介する(2019年9月17日付)。
CJP が州政府の情報源(sources in the Intelligence Branch of the Assam government)に拠ってまとめたという、除外された190万6657人の内訳に注目。
すなわち、
ーベンガル人ヒンドゥ教徒69万人(注)と、アッサム人ヒンドゥ教徒6万人で、ヒンドゥ教徒は合わせて75万人。
―東ベンガル(バングラデシュだけでなく英領インド時代からの含みがある表現)の出自をもつムスリムは48万6000人。
―さらに、山岳集住民であるゴルカ系8万5000人のほか、ボド民族・ガロ民族・ナガ民族などの先住諸民族。
注 lakh はインド亜大陸固有の単位で「10万」。
なお、同じベンガル人ヒンドゥ教徒といっても、西ベンガル州などのインド近隣州出身か、バングラデシュ出身かの識別は、ここではできない。
記事が注意を促しているが、総計は147万7520人になる。
つまり、190万人のおよそ4分の1(約43万人)が内訳に反映されていない。
とはいえ相当数が、北インド出身の(ベンガル人やアッサム人ではない)ヒンドゥ教徒だと、NRC 担当部局に通じる、複数の専門家筋の見解をふまえて推定している。かりに30万人だとしたら、先の75万人に足して105万人になる。
政治家や識者による推計では、除外されたヒンドゥ教徒の総数は、110万人だとか120万人だとかバラつきがあるものの、概算としては近似している。
そもそも、印バ両国の近現代史や政治経済事情、国境周辺事情の複雑さに、ある程度通じているなら、ヒンドゥ教徒のほうが多いという結果は、意外でもなんでもない。
その点、インドのメディアも名簿発表前から、興味深い予測や分析をいろいろ報じていた。
参考として『Rediff.com』から2本挙げておく。
’NRC is more of an ethnic issue than a religious one’(NRC 実施の背景にある要因は宗教より民族)(2019年8月30日付)と ‘The Muslim Population has declined in Assam’(アッサム州のムスリム人口は減少している)(2019年9月5日付)。
これらを読んだだけで、州特有の深奥かつ複雑な事情が多少なりともうかがえると思う。
CAA 反対の狼煙は、同州ほか北東部で最初に上がったが(そのせいで安倍首相訪印が中止になった)、アッサム州の場合、反対理由も独特の事情と密に関わっている。
ムスリムを排斥したい BJPとしては、その事情につけ込み、アッサム州を端緒に全国でNRC を実施してムスリムを追放、かつ CAA によってムスリム流入を阻止することを画策していたのだろう。
その筋書きが、先述のように想定外の結果を見て、必ずしもスムーズに進まなくなってしまったわけだ。