インド映画の平和力

ジャーナリストさこう ますみの NEVER-ENDING JOURNEY

CAA 問題で焦るモディ政権、ボリウッド懐柔を新たに試みるも?

2020年01月05日 | ボリウッド
 パキスタン・バングラデシュ・アフガニスタンという、ムスリム多数派の周辺3カ国より、迫害から逃れてインドにやってきた者が、ヒンドゥ教徒・シク教徒・仏教徒・ジャイナ教徒・拝火教徒(ゾロアスター教徒)・キリスト教徒のいずれかである場合には、市民権を付与する。
 ムスリムである場合のみ、市民権を認めない。

 こうした内容を骨子とする、改定市民権法(Citizenship (Amendment) Act, 2019; CAA)が昨年12月11日に連邦上院を通過して成立した。

 先に『Article 15』に関してインド憲法15条に触れたが、法の下の平等をより原則的・包括的に定めているのがインド憲法14条である。

Article 14
The State shall not deny to any person equality before the law or the equal protection of the laws within the territory of India.

 この any person には外国籍者も含まれる。条文の意は、インド領域における何人も、法の下の平等と法令の等しい保護を享受する(国権によって否定されない)。

 CAA は、法案段階から違憲審査請求がなされて当然だと思っていたが、市民の抗議運動は凄まじかった。いや、過去形ではなく現在進行形である。

 その序盤で起こったのが、首都デリーの国立大学ジャミア・ミリア・イスラミア(Jamia Millia Islamia; JMI)の学生たちによる抗議デモと、それに対するデリー警察の弾圧だった。

 JMI というと、私自身は優れたジャーナリズム系大学院をすぐ想起するが、法学や経営学から理学・工学まで、インド国立大学ではトップクラスの、伝統と実績を誇る総合大学だ。
 「この国で野党の役割をまともに果たしているのは学生じゃないか」という声が市民から挙がっていたが、JMI への連帯と警察当局への抗議のデモは、各地の主要大学に次々と広がる。

 1週間も経たないうちに、広範な市民の動きが加わった。たとえば米誌『New Yorker』が「Has Narendra Modi Finally Gone Too Far?」(モディ首相は、ついにやり過ぎたか)と書くにいたったように(2019年12月16日付)。記事中にもあるが、2014年の成立以来、モディ政権に対する抗議が、ここまで大規模に国を揺るがしたのは初めてだ。

 『Rediff.com』掲載の PTI 電によると、モディ首相が得意とする詭弁も、ずいぶんガタがきている。
 いわく、CAA に反対する者は、連邦議会に敵対する者であるとか。パキスタンからインドに逃れてくるヒンドゥ教徒はダリット(かつての不可触民)が主体で、そういう難民を救済するのが義務であるとか。過去70年にパキスタンが宗教的マイノリティに対して行なった弾圧に抗議せよとか(2020年1月2日付)。

 いちいち反論するのもバカらしいが、人びとは連邦議会に敵対しているのではなく、インド憲法が掲げる国是を破壊する、違憲立法に反対しているのである。
 パキスタンうんぬん以前に、自国内において、いわゆる「聖牛夜警団」により、ダリットやムスリムが死傷される事件が続くなか、神聖な牛を守ると騙るヒンドゥ暴徒の蛮行を、実質上、放置してきた首相はだれか。
 宗教的マイノリティの弾圧をいうなら、いまだに形式的にさえ犠牲者・被害者に悔やみの言葉ひとつかけていない、州首相当時のグジャラート大虐殺はどうなるのか。

 インド憲法が定める国是=世俗主義(セキュラリズム)。ヒンドゥ教徒が人口の8割以上の多数派であろうとも、異なる信仰の間に優劣をつけない。
 それを高く掲げ、世界中にそのメッセージを伝えてきた主体のひとつが、ボリウッドである。

 逆にいうと、与党・インド人民党(BJP)やその母体・民族奉仕団(RSS)に代表されるヒンドゥ極右勢力としては、ボリウッドを骨抜きにすることは重要な戦略課題になる。だからこそ、ここ1~2年だけでも、あの手この手の懐柔作戦をくり広げてきた。
 『HuffPost India』によれば、その最新バージョンが、本日、ムンバイのホテルで実行されるそうだ。しかし、この期にいたってはさすがに、思惑どおりにはいきそうもない?(2020年1月4日付

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