さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

読書に映画につらつらと

2023年08月07日 | らくがき

アーノルド・ヘンリー・サヴェッジ・ランドー(1865-1924)の『あらゆるところに:とある探検家の思い出』(1924)を読んでいます。御本人が亡くなった年の出版ですから、探検家として生きた自分の人生を振り返った記録、すなわち自伝です。彼の本職は絵描きだったのですが、旅から旅への人生でした。その本の目次を見ると、百年ほど前に、生まれ育ったイタリアのフィレンツェから父の祖国である英国、それからオランダ、スペイン、モロッコ、マルタ、エジプト、米国、カナダ、日本、朝鮮、中国、ロシア、インド、オーストラリア、チベット、ペルシャ、フィリピン、エチオピア、スーダン、コンゴ、チャド、パナマ、ブラジル、ペルー、ボリビア、チリ、まだまだいろんな国々、地名が出てきます。そしてその訪れた地で様々な人にも会っている。日本に来たときには第2代首相の黒田清隆に会って、その夫人の肖像画も描いているし、米国に行ったときにはホワイトハウスでルーズベルト大統領に面会しているし、フランスではソルボンヌで大統領も出席したところで講演、祖国の英国ではヴィクトリア女王に招待されて旅の話を披露しています。彼の人生を大河ドラマにしたら、そのシリーズは何年もかかって壮大なロケになるでしょう。あまりにもすごすぎて「ほんとかよ」と信じてもらえないような話になるかも。

ランドーが日本に来たときには、横浜港に到着して東京に行き、日光や箱根を訪れ、それからお決まりの京都、奈良に行って、大阪でんがな名古屋だがね~。そのあとは東北に向かって蝦夷地をぐるりと一周したのです。北海道の旅日記は『毛深いアイヌの土地にひとり行く1893年)に詳しく書かれており、以前にこのブログでも「ランドーの冒険記」で紹介しました。https://blog.goo.ne.jp/sakichi21/e/5a43dfb8c9435d6810ef3cfcfb659239 

さてこれからご紹介するのはその日本を出たあと、大陸に渡ってからの話です。ランドーは1890年(明治23年)、長崎から五島、対馬を経て釜山へ渡りました。そこからは陸路ですが、ソウルに到着したときは門が閉まる直前。その時代は夕刻に鐘が鳴ると、一晩中門が閉まり、町に入ることはできません。中世のヨーロッパみたいですね。その門は死人しか通過できないので「死者の門」と呼ばれていたそうです。

日本の明治時代の朝鮮は、ランドーによればほとんど他国に知られていない未知の国でした。儒教の影響が強い男尊女卑の文化は今でも名残りがありますけれど、その時代に実際に目にした外国人のレポートは生々しいものがあります。(ちなみにランドーは当時日本の首相だった黒田清隆が、最初の妻をオセロみたいに「嫉妬で」首を切ったと聞いて驚いていましたが)

ここから引用します。

朝鮮では女性は隔離されていて、滅多に見ることはない。もし見かけても常に白か緑のフードで顔を隠している。男みたいなゆったりしたズボンをはき、短い上着で乳房を出している(ええ?!)。私が女性を通りで見かけると、ドアの中に入って隠れてしまう。毎度たまたま女性たちが自分の家の前を通っているときに私が見かけるのも変だなと思ったら、あとでその謎を説明された。どの女性も、男を見かけたらどの家でも入っていいことになっているのだ。特にその男が外国人だったときには。もうひとつ女性には特別に許されていることがあった。彼女らは男に会う心配がなければ、友人や親せきに会うために夜に外を歩くことが許されていたのだ。男たちは、一年に5回だけはのぞいて、暗くなってからは家にいなければならなかったのだ。でもそれは女性の特権と言えるかどうか。ソウルの通りは、人通りがなければ餌を求めて徘徊する虎や豹に出くわす危険が常にあったのだから。そういうわずかな利点を除けば、朝鮮の女性たちは憐れなものだ。彼女たちは自分たちの土地では無に等しい存在で、名前さえもない。女性は誰それの娘とか、妻とか妹、というだけの存在だった。

誰それの娘、誰それの妻というだけで名前がなかったの?人に見せちゃいけなかったの?イスラム教の原理主義では女性はヒジャブで髪どころか目以外は隠せ、と言ったり、タリバン政権下では女性は男性の連れなしには外も出歩けないとか聞いたが、それより徹底してないか?「冬のソナタ」の国でも、100年前はそうだったの?

小栗康平監督の映画『泥の河』を観たらとてもよかったので、続けて『伽倻子のために』を観ました。(南果歩さんのデビュー作で可憐な女学生!)戦後の在日朝鮮人青年と少女の愛と別れを描いた作品です。そこで在日朝鮮人の住む地域で少女たちが遊んでいる場面があり、シーソーがあるのですが、子供が両端に座って上下するのではなく、立って代りばんこにジャンプするのです。そこで横にいた老女が「昔はこの遊具で飛び上がり、そのときだけは壁の向こうの外が見られるので楽しみだった」と語ります。つまり本当に外に出られなかったんだ!


昼間に混んでいる電車に乗って渋谷のスクランブル交差点を歩いたが、もちろん半分は顔を出した女性。女は男の所有物で、顔を出せない、勝手に外を歩けないなんて考えられないよねえ。「男女平等」とか「人権」「自由」とかいった言葉が浮かびます。今の時代で、自由が保障された国に生まれてよかった。。。

いやそれでも制限はあるよ。先月アイルランドで行われた女子格闘技の試合後に、勝った選手が胸をポロリと出して無期限出場停止の処分を受けました。



男子サッカーでは、ゴールした選手がシャツを脱いで上半身裸になってもイエローカードだけだよね?こういうとき、フェミニストはお得意の「差別だ!」とか怒らないの?リング上で胸出したって、卑猥でも何でもなくて、大相撲を見たときと変わらねーぞ。これだって言われてみれば、「女は隠せ」という文化である。「目にした人に不快感を与える」という論法なら、むしろときには相撲のほうが見苦しかったりするではないか。NHKどうよ?!

つまりは文化の違い、そのときのテキトーな世論や政治家、裁判官の恣意的な考えによる五十歩百歩な判断で事が決まっているわけだ。どこかで線を引かなきゃカオスになるというのもわかるが、「自由は人に迷惑をかけない限り」という制限は、常に人権侵害ぎりぎりだっていうことを忘れちゃいかんということなんだろうなあ。



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