イングランドの西、ウェールズとの境にワイ川があります。上流には以前紹介した小さな街、古本の聖地ヘイオンワイがありますが、今回はそのずっと下流にある廃墟となった教会、ティンターン寺院を紹介します。
ここは19世紀英国のロマン派詩人、ウィリアム・ワーズワースが詠ったことで大変有名な場所になってしまいました。といっても、タイトルは「ティンターン寺院から数マイル上流にて詠んだ詩」というわけで、実際は廃墟となった寺院は登場せず、そこから離れた川辺の風景を眺めて作った詩です。でも車で旅行をしたので、せっかくだからだあれもいない寺院の廃墟を訪ねてみました。
この寺院は1131年に建てられ、1536年には廃墟となりました。ワーズワースが詩を書いたのは1798年です。というわけで、私が見た廃墟は、きっと300年以上前にワーズワースが見た(かな?)姿とあまり変らなかったでしょう。人が住まなくなって260年後と470年後では違うかな?
広角レンズなどという高級なものがなく、ただのコンパクトカメラでしたので、頑張って二枚連写したものをつなげた画像です(^益^;
おそらく詩人はひとり美しい自然のなかを彷徨っていたのでしょう。人里離れた深い静寂のなかで、かすかなワイ川のせせらぎを聞きながら、ワーズワースは心が清らかに洗われてゆくのを感じます。
独り部屋の寂しさや都会の喧騒を忘れ、世の中のわずらわしさから抜け出ると、自分が大自然のなかで肉体を離れ、魂だけで生きているような心地になってきます。すると感覚が冴えわたり、万物の生命のなかに調和の力、深い喜びの力を感じます。
高められた思いの歓びで心を動かす「存在」を私は感じた。
何かはるか深く浸透する崇高なる感覚だ。
その住処は落日の光であり、円い大海原、
青い空、そして人間の心の中だ。
すべて考える者、さらにすべての考えの対象を駆り立て、
万物のなかを流れゆく運動と霊なのだ。
自然のなかにひとりでいると、自分が、自分の悩みなどが何てちっぽけなものだろう、と思えてきます。そして大自然が生命に満ち溢れ、その背後にはかり知れない大きな力があることを体感します。すると自分もその大きな「運動」、「霊」の一部であることを感じます。いや、「感じる」というのではまだ「自分」がある。自我を取り払った万物との一体感。これこそ、このロマン派詩人が詠いたかったことなのでしょう。
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