牛込・神楽坂 酒問屋 升本総本店の別館「涵清閣」 主人が語る

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蔵元が半減? 造石税(ぞうこくぜい)の影響はどのくらいで、どう続いたのでしょうか。

2023-05-30 11:26:17 | 附属酒類経済研究所
                          
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昨日「調べてみないとね」とした、NHKの連続ドラマ「らんまん」で触れられた、「増税で蔵元がどんどんつぶれていくらしい」というお話し。

今もそうですが、明治時代は酒税の位置づけが大変重要だったといういうことはよく知られています。

実際、国税庁のホームページにも、こんなグラフが。





酒税がメインを占めていますし、そのために広く酒造を認めたという話も聞いています(↓も国税庁のホームページ)。


江戸時代は、徳川幕府によって酒造株(しゅぞうかぶ)が設定され、この株を取得した者のみに酒造が認められていました。明治4年(1871)に酒造株は政府により没収され、免許料を払えば自由に酒造が行えるようになったため、広汎に地主による酒造業が展開されるようになりました。
 その後、新たに明治8年2月に酒類税則が制定され、免許税的な性格の酒造営業税、売上税的な性格の醸造税、酒類請売(うけうり)営業税が課されることになりました。


結構詳しく記されているんですね。

その続きで、ちょうど今の朝ドラと同時代に税制改正があったこともちゃんと出ていましたよ。


この後、明治13年9月に制定された酒造税則によって、それまで酒の種類(清酒、焼酎、味醂等)ごとに課税された酒造免許税が、酒造場ごとに課税されるようになりました。また、醸造税は、造石(ぞうこく)高による造石税となりました。

なるほど、今のようにラベルを貼って蔵出しされる段階で課税するのではなく、造った段階で課税される、というわけですね。

そうすると課税の方が売り上げよりもかなり早いタイミングになるので、資金繰り的には厳しいし、そもそも「寝かせる」ということがやりにくくなりますね。

そのせいなのでしょうか。
同じホームページの免許人数(≒蔵元さんの数)と造石数のグラフを見ると、グラフの始まる明治13年(税制改正)から明治19年くらいまでの6年間で免許人数で半分、造石数で6割くらいに急減しています。



「らんまん」で触れられていたのはそんな話だったんですね。
ただ、減った後は安定的になっているようにも見えます。どうなったのでしょうか?

朝ドラを見てそれを知るというのはちょっと恥ずかしい気もするので、これを機に再度勉強してみましょう。
(今はやりの「リスキリング」、、、、とは違うか)





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