Diary Of 酒田の人

田舎住まいの60代サラリーマンの趣味の日々

酒田をちょっと散歩 2

2019-05-25 21:10:45 | 散歩
酒田散歩シリーズ、あまり長くは続かないと思いますが、とりあえず2回目です
今日紹介するのは酒田市民の憩いの場(?)である日和山公園の北側に位置する「新町界隈」です。

最初に紹介するのは、今町(というか酒田駅からずっと真っ直ぐ道を辿った)から坂を下った右側にある
小さなスーパー「ト一屋新町店」です。昨日紹介した中町店と同様にワタシの勤務先の企業のお店ですが
今から42年前、当時18歳のワタシはこのお店の鮮魚売場に立っておりました。


「ト一屋新町店」は北新町にありますが、反対側の南新町(日和山の下側に位置しています)には旅館がいくつかあり
画像の「西村屋」さんと「松美屋」の女将さん(たぶん)はワタシが新町店に居た頃は毎日のように買い物に来てくれたように思います。

「日和山ホテル」さんは「西村屋」さんよりもう一本西側の通りにあります。

これは入社当時に会社の上司だった方々(昭和10~15年頃の生まれの方)に聞いた話ですが、昔このあたりは色街で
昭和33年3月31日に廃止されるまでは「赤線」があり、高校を卒業すると繰り出した、という武勇伝を聞かされたものです。

この階段は日和山公園へと続いており、階段に上からは日本海の方まで見渡せます。


こちらは新町の坂を下りきった右側にある稲荷神社です

この線路の続く風景は個人的に好きなんですが、この線路(酒田臨港線)は小さな貨物駅、「酒田港駅」へと続いています



ついでにもう一つ、これは新町ではなく光ヶ丘なんですが、この広大な空地には以前「国立酒田米穀倉庫」(明治時代に作られた)が
建っていましたが、平成4年に廃止され、その後は廃墟のようになっていましたが(実際、廃墟マニアには有名だったとか)
数年前に取り壊されて空地になっています。ワタシが小学生の頃は見学に行ったものでしたが・・・。

実際に利用されていた時代の国立倉庫の画像は見つけられませんでしたが、建物はこんな感じでした。


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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
酒田 (ことじ)
2019-05-25 22:23:22
地元の42年前の思い出ですね。
時間とともに町の風景も移り変わりますね。
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ことじさんへ (酒田の人)
2019-05-25 23:17:29
ワタシがこのお店に居た頃とはかなり変ってしまいました。店の向かいには「ドン」という土蔵を使ったスナックがありましたし、坂の上の方には「酒田ハワイ」というキャバレーがあり、夜ともなると男の店員が客引きをしていたものでした。
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はじめまして (みやまつり)
2019-05-26 12:48:44
ことじさんのところより、来ました。
だいたい同年代と思いますよ。
少し、僕が上かも。(笑)
子供時代は、
街かどには、(総天然色の映画のポスター)
電車は、稀でほとんどSLでした。
お風呂は、井戸ポンプでした。
舗装道路は、駅前大通のみ。
そんな時代でしたよ。(笑)

酒田と言うと、北前船で栄えた街。
北関東にいると、それしか解りませんが、
行ったことないのに懐かしい雰囲気が不思議。
少し昭和30年代を思い出しました。


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みやまつりさんへ (酒田の人)
2019-05-26 13:45:12
ご覧いただきありがとうございます
よろしくお願いします。

街角に映画の総天然色ポスター!
そうでしたね~、同年代の連中とよく話題になるんですが、通学路であるにも関わらず、成人映画の上映予定(もちろん総天然色の絵が・・)まで掲示されてるんですよね~。
今思えば実に大らかな時代ではありました。
汽車といえば蒸気機関車でD51がよく走っており、電化されるということで、後に国鉄(JRではなく)に就職した友人と、隣町まで乗車した記憶があります。

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酒田の人さんへ (Dr.K)
2019-05-27 10:48:55
42年前に就職した所もまだ健在なんですね。
地元を良く知った、地元に根差した酒田散歩ですね。
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Dr.kさんへ (酒田の人)
2019-05-27 13:43:16
酒田散歩のシリーズなんですが、できるだけ普通の観光案内にならないようにと思っていますが、こうして足で歩いてみると、昔の景色がなんとなく思い出されます。
次回は日和山公園界隈の予定ですので、普通の観光案内になりそうです。
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