ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

パノム・ルン遺跡

2012年01月22日 16時26分49秒 | 旅行


ずーーーーっと、ずーーーーっと行きたかったパノム・ルン遺跡。
イサーンの僻地、しかも山の上にあるため、
アユタヤやスコータイのように日本人には知られていない。
が、タイ人なら誰でも知っている タイ有数の遺跡。


タイにいるのだから、そういう日本人観光客ではいけないような
でも、タイとしては誇るべき遺跡、そういう場所には絶対に行っておきたい。
自分で目的地に行く経験もしたいし、タイ人の誇るべき場所を見ておきたい、
と思ってきた。
とても忙しくて、なかなか時間がとれないので、このまま行けなかったら後悔するに違いない、
と、奮い立たせて強硬手段、一日日帰りで行くことにした。


夜、コンケンを出発。ナコンラーチャシマーまで3時間のバス。
深夜1時ナコンラーチャシマー到着。 バスターミナルで朝を待つ。
早朝、7時にスリン行きのバスに乗り、約2時間半、バーンタコーで下車。

バイクタクシーに500バーツでパノムルン遺跡と、ムアンタム遺跡にいってもらう。
山道を30分ほど走る。
  


風の気持ちいい、景色もいい、旅行日和。
   


なーんにもない田舎道が気持ちいい。
  







●● パノム・ルン遺跡 ●●

「ブリーラム県の南、カンボジア国境近くの小高い死火山の上に立つ、パノムルン神殿の跡。
 カンボジアのアンコールワットと並んで、アンコール朝に立てられた重要な寺院。
 クメール語で「大きな丘」を意味するパノムルンの遺跡は、丘の上から周囲に広がる大平原を見下ろしている。」 
     『地球の歩き方 タイ』より
  


まず長さ160M、幅7Mの石畳の参道。
両側には蓮の花のつぼみをかたどった石灯が70基。
     


3頭のナーク(蛇神)に守られたテラス嬢の橋。
ここから急な石段を登ると、そこに神殿が。
   



標高383メートルの小高い死火山の上にそびえるクメール王国の神殿跡。
1988年に17年がかりの修復工事が終了。
荘厳ないでたちで、丘の上に立つ。
3~4月の満月の日には、神殿をまっすぐに貫く中央通路の両側に、
昇る太陽と満月が正対するように設計されている。
    

 
外壁は緻密なクメール様式の宗教装飾。
神殿の正面入り口には、「水上で眠るナーラーイ神」のレリーフ。
復元修理前に盗まれ、アメリカのシカゴ博物館で発見されたのを返還させたもの。
      


たて66M、横88Mの回廊に取り囲まれた神殿は、ピンクと白色の砂岩でできている。
    


ヒンドゥー教の神、シヴァの乗り物である牛像。
      
  

  

      

      

      

      
 
      

      

      
 


タイの農村の向こうには、おぼろげにカンボジアとの国境でもあるドンラック山脈が見える。
カンボジアはすぐそこ。
     









●● ムアン・タム遺跡公園 ●●

パノム・ルン遺跡のある死火山から5キロほど離れた場所にある。
10~11世紀の建立とされるヒンドゥー教寺院。
クメール様式の装飾が美しい。
    

    


120M×170Mのラテライトの塀に囲まれた遺跡の中央には、
U字型の人工池に囲まれた大型の塔が並ぶ。
     

    

      

      

     





ルーイへ  感動のピータコン

2011年12月22日 02時15分53秒 | 旅行

配属先、コンケン第9特別教育センターの研修旅行で ルーイ県に行く。


「2泊3日で研修旅行があるよ」 と言われたのが、旅行のちょっと前。
それが「1泊2日に変わったのよ」 といわれたのが旅行の2日前。

タイでは本当に、直前になるまで変更変更の繰り返しで、
誰に聞いてもはっきりしない。
誰も先のことは分からないのだ。
でも、みんな何となく分かっていて、そのなんとなくでどうにかなっちゃうタイ。



これまで、正直言って、研修旅行というのは
なんだかよく分からないことが多い不安の中、長い時間を過ごし、
泊をともにすることが、けっこうきついものがあった。
みんなが楽しそうにしていても、私は内心、早くこの苦しさから逃れて家に帰りたいと思っていた。
しかし、今回の旅行は今までとは違っている。


まず、私の気持ちが違う。
みんなが楽しみにしている気持ちを理解したいと思ったし、
一緒に時間を過ごし、同じものを見て、感じて、楽しみたいと思った。
「さちえ 行けるの?」と聞かれたとき、「行きたい!」と心から思った。

そして、周りの人たちの気持ちも違っていたと思う。
「さちえ 行けるの?」に対して
「行ける」と答えたときの、自閉症クラスの2人の先生が「わー!」と喜ぶ様子、
「夜は一緒に寝るのよ。」とはしゃいでいる姿は、本当に私と一緒に行きたいのだと感じた。
バスに乗り込むと、「さちえ、ここ、ここ!」と私の席をとっておいてくれて
私を呼んでくれたり、ごはんを一緒に食べるメンバーに当然のように入っていたり、
私の居場所があることが嬉しかったし、
建前やお客さん扱いではなく、同僚として友達として私が存在していると感じて
今までにない、親近感を感じた。
だから、2日間、みんなが笑っているのと同じように笑い、楽しんだ。
そんな研修旅行は、はじめてのこと。



夜、感動で胸が熱くなることがあった。

宿泊先は、ルーイ県のプールア学校。
校長や職員全員がもてなしてくれた。
そこで、親しい先生達とではなく、以前のように偉い人たちの間に
座り、夕食をとりながら、もてなしをうけることになった。
偉い人たちの中にぽつんといることが、以前と同じに感じてちょっとしょげていたら、
カウンターパートで、立場の偉いピーティンが、
「さちえ、写真撮りなさい、写真!」と私に言う。

いつも、行く先々の学校やセンターでのもてなしぶりはすごいのだが、
今回はさらにすごくて、タイの踊りや芸能人並みの歌や踊りで歓待を受けていた。

黙ってそれを見ているのに、写真写真って、もう、うるさいなあ、
撮りたいときに好きに撮らせてよ、なんて思っていた。


そこに出てきたのが  ピータコン。
      
    


ピータコンは ルーイ県のお祭りで、タイ随一の奇祭でといわれる。
毎年6月~7月にの3日間、華麗なお面と衣装を身につけたピー(精霊やお化け)が、
細長い刀を手に持って通りを練り歩く、珍しい祭り。
ルーイ県はタイ人には人気の観光地だが、外国人旅行客が多く訪れるような場所ではない。
行くのに不便で、ホテルも少ない。地元に精通していないと自力で行くのは難しい。
私はピータコンをずっと見たかった。
この先、日本に帰って教職に復帰したらまず行けない。行けるとしたら定年退職後。
タイにいる間に、一番見ておきたいもの、それがピータコンだった。
だけど、日本に一時療養帰国したために、それは叶わなかった。


そのピータコンのピー(お化けや精霊)たちが、目の前に踊って出てきた。
     


とんでもなく驚いて、私が騒いでいると
センター長がピーたちを並べ
「さちえ、写真を撮れ、ほら、写真を撮れ」
と私を呼び、一緒に写真を撮らせてくれる。 私だけに。
          

ピーたちを並び、思わず「キャーー!」と悲鳴を上げると、
みんながドッと笑う。


「ピーたちと踊ってこい。写真撮ってあげるから。」
と、みんながすすめる。

もてなしてくれているプールアン学校の先生達も
私が喜ぶと、喜んでくれる。

「ピータコン ピータコン!」と騒ぐ私をみんなが笑い、
私が喜ぶのを 心から嬉しそうにしていて、
みんなが喜んでくれているのが、すごく分かった。
      


踊っているピータコンを見ながら、写真を撮りながら涙が出た。
まさか、こんなことがあるとは。
もう見られないと思っていたピータコンを見られるなんて。
それもみんなと一緒に見られるなんて、信じられない。
神様がくれたプレゼントで、センター長がくれたプレゼントで、
みんなが、タイ人のみんながくれたプレゼントだと思った。
       

泣きながら 
「感動しました! ずっと見たかったんです。みんなと一緒に見られて嬉しい。」
そしてお礼を言うと、センター長も嬉しそうにしてうなずく。
タイのこの仕事場は、センター長がお父さんで、まるでみんな
家族のように親しくし、お父さんがみんなをかわいがるような、
子どもたちはお父さんに甘えるような、
それをよいとしているのだと、最近になって分かるようになった。

さっき、ピーティンが
「さちえ、写真、写真を撮りなさい」と言っていた言葉も
私にタイを見せてあげたい、珍しいものを見せて喜ぶ顔が見たい、
という気持ちから来ている言葉で、
「タイにいる間に写真をたくさん撮っておきなさい」
という愛情がこもっているんだと感じた。


ルーイの空は、満天の星。
グラウンドに寝転がって空を見上げると、降るような星空。
日本でもいつも見ていたオリオン座がここでもはっきりと見える。
      
「星がきれいだったよ」というと、
「誰といったの? 一人でいったの? だめよ!友達と行かなきゃ!」
と、こんなことも優しさをすごく感じる。


今日、胸が熱くなったのは、
感動のまさかのピータコンを見たから、
それも配属先のみんなと見られたから、
そして、
この配属先の人たちの、タイ人たちのあたたかい気持ちが
ぐっと胸の中に浸みてきたから。

      




    











ダムヌン サドゥアック

2011年11月01日 03時28分37秒 | 旅行


その昔、「水の都」と言われたバンコク。
今でも、タイバンコク付近にはいくつもの水上マーケットがある。

私が好きなのは、アンパワー。  (→ 過去ブログ 「アンパワー 水上マーケット」

タイ人に人気の観光地で、外国人観光客がほとんどいない。
だから、『地球の歩き方』にも載っていない、穴場。
外国人観光客がいないので「タイランド」なんて書かれたお土産はぜんぜんなく、
売っている物もおしゃれでタイ人のセンスが光っている。
夜には蛍がイルミネーションのように木々を飾る、いいところ。
近くの列車市場、メークローンとあわせて知り合いにはいつも紹介しているおすすめの場所。  (→ 過去ブログ 「メークローン 列車市場」

対して、『地球の歩き方』や、バンコク周辺のツアーには必ず登場する
人気の水上マーケット、ダムヌン・サドゥアック。
のんびりと見て回れるアンパワーと違い、船に乗せられてぐるぐると
お土産屋さん周りをさせられる、外国人観光客向けの水上マーケット。
だから、協力隊としてタイに来てタイを知る人間であれば行くだけ時間がもったいないかな
と思っていたけれど、何事も経験。
アンパワーと比べてみたい気持ちもあって、他国から隊員がやってきたときに
案内もかねて行ったみた。


バンコクから80km。
150年ほど前に造られた運河に、今なお生活の一部として機能する水上マーケット。
ここでの売り買いは、小船に乗ったまま行なわれる。
それを見ようと集まる外国人観光客で毎日賑わう。
     
      



運河沿いを歩いてのんびりするアンパワーと違い、売り子さんたちが道に顔を出し
「さあ、乗れ乗れ!」という勢いで船に乗せられる。
おお、かわいい、タイの国旗色の船。
      


船が出発すると、強制的にお土産屋さんめぐり。
ちょっとでもほしそうであれば、すぐさまこぎ手が船を店に近づけ、
お店の人はカギ棒で船をたぐり寄せる。 これはおもしろい。
    


値段は、バンコクの伊勢丹で買うよりは安いけれど、地方よりは多少高め。
外国人観光客向けなので、「タイランド」と書かれたお土産が目立ち、
象、タイ、象、タイ、象、タイ ばかり。
売り子さんたちも外国人慣れした感じ。
英語もここはけっこう通じる。
    


小さな水路や運河にはボートがひしめき合う。
騒がしくも色鮮やか。  
    

     



積み上げた果物、野菜、ココナッツジュース、
水上キッチンで作られるタイ料理。
コンロから湯気が立ち上って船が行く。
    


伝統的なチーク材造りの家、木造の小屋、網を繕う人々・・・。
果物がどっさり運ばれていき、所狭しと船が行き交う活気はなかなかの見応え。
    

  
一度は行ってみたかったダムヌンサドゥアック水上マーケット。
私には一度で十分だけど、
初めて来た人は、タイらしさを感じて、きっと興奮する観光地だ。

      

タイガーキングダム

2011年08月10日 13時02分49秒 | 旅行
チェンマイ市内から北へ15キロほど。
     


タイガーキングダム。
トラとぺったりくっついたり、
トラにすりすりしたり、
そんなポスターを市内でよくみかけ
ネコ好きの私としては気になる存在だった
タイガーキングダム。


外国人観光客向けのテーマパークという
においがポスターからもプンプンとにおう。
青年海外協力隊も9ヶ月目となる身としては
もろ外国人観光客な行動をするのは
多少気が引ける。

が、何でも経験。
タイのことを知り尽くす勢いで、
行けるならばどこにでも、どんどん行ってしまおう。
ということで、一路 タイガーキングダムへ。


市内から路線ソンテウでいくか  往復30バーツ(90円程度)
ソンテウをチャーターするか  交渉次第 往復400バーツから(1200円程度から)
トゥクトゥクをチャーターするか  交渉次第 往復 250バーツでいいというおじちゃんアリ(750円程度)

この中にはない選択肢「自転車で行く(無料)」という方法をえらび、
片道1時間10分の道のり。
じりじりとした日差しの中、汗をかきかき、自転車こぎこぎ。
だけど時折曇りがかかって、自転車での往復に天気も味方してくれてるかのよう。
   

   

やっぱり、外国人観光客だらけ。
ツアーの一部に組み込まれているようで、
大型のバスがきては、団体客がどさどさとやってくる。
聞こえるのは、韓国語、中国語、英語、アラビア語? 日本語。
現地タイ人が来ている様子はほぼ見られない。
建物はきれいで、レストランもビュッフェ。
さも、ファラン(欧米人)をターゲットとしたつくり。




 トラの大きさ4種類
  Big(大) Mideum(中) Small(小) Smallest(ちび)

 ふれ合いたい組み合わせを選ぶ。
 お値段こちら。

   1 大+小  =740バーツ
   2 大+ちび =840バーツ
   3 大+小+ちび =1260バーツ
   4 大+中+小+ちび = 1380バーツ
   5 大+中+小×2+ちび =1900バーツ
   6 大のみ(15分) 420バーツ
     中のみ(15分) 420バーツ
     小のみ(15分) 520バーツ
     ちびのみ(10分)520バーツ
                 ※バーツは約3倍で日本円に換算してください。
   
日本人としての値段からしたら、決して高くない、
むしろ安い値段設定だが、
タイ人の暮らしからすると敷居が高い。
気軽に遊びに行けるタイ人のためのテーマパークではない。


4の 大・中・小・ちび の4種類制覇コースを選ぶ。
1380バーツ。 日本円で4140円程度。




トラー!
   


係員がほぼつきっきりで、一人ついてくれ、
案内されながら、大・中・小・ちびのトラのいる檻を回る。


これはトラではありません。
ゴリラでもありません。
  


ちびから大トラまで堪能。
なんとまあ、どのトラもゆったりのんびしていることか。
大きなネコがたくさんいる感じ。
   
      




ちびトラかわいい!
手はしっかりと大きくて、
これから立派なトラになることを予想させる。
   


こんなことしちゃう
   



やっぱり、ネコだな、と思う。

ネコパンチ、ネコキック。
迫力の戦い(トラにしたら遊んでいるだけ)
にも、ネコ的動作がたくさんで、ネコ好きにはたまらない。


  おらおらおらー ネコパンチじゃー 
  

  ネコキックじゃー
     

  がっし がっし! ねこつかみ!
   

  がるがるがるるるるー
  

  ネコパーンチ! 水もかけちゃうぞコラー!
  


  にゃーーーーっ! ニャアーーーーっ!
  
   



肉球が、肉球がたまらん。

      


無防備な子トラ
     


   肉球  肉球  肉球  
        


そんな子トラと一緒にお昼寝中
  ぐうぐう ぐうぐう
      

   ぐうすか すやすや すやすや
   
  



成獣の毛並みの美しいこと!

  ガオーーー!
   

  ウンガーー!
   

  ガオガオガオーー!!
   

  ん? 
   

  トラ「なにやってんだ、おい?」 目ぱっちり
   

  ふふふ おとなしくしてなさい
   


グギャーーーッ!
 
  



すりすり~  トラの鼓動がどくどくしていて、体温があつい。毛皮はとってもなめらか。
  


じーーっ  起き上ったトラは間近で顔を合わせると大迫力
  



このタイガーキングダム。
トラの近くにいる間は、安全管理のため
職員がお客さんにぴったりとつく。
写真に夢中になっても嫌な顔一つせず、
長い時間、満足のいくまで写真を撮らせてくれた。
トラとお客さんの適度な距離をはかってくれ、
お客さん重視、お客さんの満足を第一に優先する
といったホスピタリティが感じられるスタッフと施設。


さて帰り、駐車場を見渡すと、トゥクトゥクやバスだらけ。
自転車は一台のみ。
外国人むけ、市内から10キロ以上離れたテーマパーク。
自転車で来ている客なんているわけなし。
完全にういている、青年海外協力隊員のお客様。


日本でトラの赤ちゃんを抱っこして写真を撮ったことがあるが、
本当に、写真をとるだけ。
触らせてもらうこともほぼなく、それでいてお値段もけっこうなものだった。


タイ。チェンマイ。
タイガーキングダム。
いい!


 
またきてねー
  



    
      

アンパワー 水上マーケット

2011年08月07日 07時02分54秒 | 旅行
バンコクの南西約75km、車で約1時間半、サムットソンクラーム県にある
水上マーケット、アンパワー。
   

水上マーケットといえば、外国人にはダムヌンサドゥアックが有名。
アンパワーは外国人には認知度が低いが、
タイ人の観光として人気が高い。
バンコクからの手頃な観光地として、多くのタイ人で賑わうが、
日本人をはじめ、外国人がほとんどいないというのが、穴場で魅力的。


タイに来たばかりの頃、一人で冒険気分を味わって行ってみた。
その後も気に入って、足を運ぶ。
1500バーツ(3500円程度)で日帰りツアーもあるが、
自力で行けば、300バーツ(900円手度)もかからない。


水上市場の活気があり、
昔ながらの縁日の雰囲気と現代的なおしゃれさが混じり合う
女の子が好きそうな、歩くだけで楽しいところ。

      


もともとは、観光用ではなく、地元の人々の台所として生まれた市場なので、
タイのローカル雰囲気は満点。
週末のみの開催。
船の上ではタイ料理やシーフード料理が作られ、安価で食べられる。
     



クルージングもあり。50バーツ。(150円程度)
地元の人か? 川で水浴びする光景も。 ずいぶんと水は茶色だけど、きれいになるのかな。
     


日が落ちると、また違う顔を見せる。
朝の ダムヌンサドゥアック。
夜の アンパワーと言われるだけあって。
夕方からのアンパワーはさらに魅力的。
          


夜は、感動の蛍ナイトクルージング
ホタルは、熱帯の生物だが、ここでは一年中見られる。
一斉に点滅し、すごい点滅の速さ、そして力強さ。
日本のか細い光を淡く灯す、あの幽玄な雰囲気とは全く違う。
木にどっさりと光が点在し、勢いよく点滅する光景は、まるで
クリスマスツリーのイルミネーション。
日本のような情緒はないが、タイの力強い蛍の光。



さて、夜のお楽しみ。
船でおばちゃんが焼いてくれる、びっくりサイズのでっかいエビをいただきます。
    


なんておいしそうなんだ! ふっふっっふ
   


うっひょー! でっかーーい! さあ食べちゃうぞ。
   


じーーーーーっ  見つめ合って・・・
   


ちょっとふざけてみたりして
  「ふんがー」
   



いただきまーす! あぐっっっ!
   


ぐびぐびー
   



おいしーーーい!
    


にこっ
    


アンパワーのゲストハウスは少ないが、
泊まると早朝の、僧侶の托鉢の光景が見られる。
タイでは、朝6時くらいに道で待っていれば 僧侶が托鉢にやってくるのに出くわす。
ここでは、運河を船に乗った僧侶やってくるというので、
それはぜひ見なければ。
と、頑張って 苦手な早起き。

待ってる間に耐えられず寝てしまう。
水の音がここちいい~
  

船をこいでみたり
  


そうこうしているあいだに、やってきた、僧侶。
小舟に乗り、托鉢に漕いで来る。
     


     


おしゃれで、週末はタイ人で賑わうアンパワー。
朝の静寂と、昼の熱気と、夜の蛍。
様々に顔をかえ、飽きさせない。
おすすめ穴場観光地。

   

       


世界文化遺産 アユタヤー遺跡 2 

2011年08月05日 10時57分38秒 | 旅行
世界文化遺産 アユタヤ遺跡を巡る旅。
 1のつづき(前ブログ→






◆◆ ワット・チャイ・ワッタナラム ◆◆

カンボジアに対する勝利を記念し、境内の中央に高くそびえる
プラーン(仏塔)をクメール様式にして建造したもの。
ビルマ軍侵攻によって破壊されてしまったが、
現在では修復され、広々とした平原に4基の仏塔がそびえ立つ。
    



               

遺跡すみにある、大きな水たまり。
その水面に映った ワット・チャイ・ワッタナラム。
まあ、なんと。息をのむほど美しい。
だけど、正面からしか見てない観光客のほとんどが、
この美しい光景があるとことすら気づかない。
見ないまま帰って行く。

視点をいくつももてる人は、見える世界も増える。

私も自分では見つけられなかった一人だが、
教えてもらった以上、今度は嗅覚をもう少し研ぎ澄まし、
自分でこの美しさを見つけ、
そばにいる人に教えてあげたい、と思う。

   



  







  ◆◆ ワット・プー・カオ・トーン ◆◆

意味は、「金色の山」。
遺跡郡から離れ、北西へ3~4㎞の水田地帯にそびえ立つ。

高さ80mはあろうかという、巨大なチェディ(仏塔)がひときわ目をひく。
ビルマ軍が手に入れたのち、改築して高くしたもの。

    


頂上からは遠くアユタヤの町が見渡せる。
『地球の歩き方』には、「絶好のサンセットポイント」とかてあるが、
日没時にどこでアユタヤの記念すべき夕日を見るべきか、
考える。

ここに来るまでにあった、湖。
その湖畔から、ワット・プー・カオ・トーンと夕日を共に見るべきか。
それとも、
このワット・プー・カオ・トーンの頂上から、田園に沈む夕日を見るべきか。
一度しかない夕日のアユタヤ、判断を間違うな! だ。


夕暮れはどんどん近づく。


選んだポイントは……  最後のお楽しみ♪







 

  ◆◆ バーン・パイン離宮 ◆◆


アユタヤから南へ約20キロ。
チャオプラヤー川の中州に築かれた、夏の宮殿。
アユタヤーの歴代の王たちは、ここを離宮とした。

広い敷地の庭園には、様々な建物が点在。
じりじりと太陽が照らす中、見て回る。
太陽の光のすごいこと。日本の何倍の強さだろうか。
   


美しいには美しいのだけど、
ここは、タイなの?と言いたくなるくらいにタイ離れした雰囲気。
西洋風の建物があったり、中国風の物見の塔があったり。


池の中央にある美しいタイ建築の
プラ・ティナン・アイワサン・ティッパアート。
   

  
時の流れに風化した遺跡の方が、
よほどにずっしりとした重みがあると感じるのは
私だけかな。


ヨイショッ
      











  ◆◆ ワット・ヤイ・チャイ・モンコン ◆◆

アユタヤを象徴する仏教寺院の遺跡で
遠くからでも見えるチェディ、ずらりと並ぶ坐仏像が壮観。
   


ビルマ軍が改築して高くしたワット・プー・カオ・トーンに対抗して
天を突くような高い塔を建てた。
が、わずかに及ばなかったことが、残念。
スリランカ様式の大仏塔が高くそびえる。
     


仏像の存在感が、どっしりとくる。
   




おまけ
  ◆◆ 僧侶も観光 ◆◆

 さすが、アユタヤ。
    



  ◆◆ アユタヤと言えば、象 ◆◆

アユタヤでは象が道路を歩く。
遺跡を背景に何ともオリエンタルな雰囲気。
だが、象さんはアスファルトの上を歩くよりも、
土の上を歩きたいんじゃないだろうか。
柔らかくて、草の生えた、でこぼことした土の上を。
    




  ◆◆ 夕日 ◆◆

たった一度きりのチャンス、アユタヤの夕日。
日没時にどこでアユタヤの記念すべき夕日を見るべきか。

選んだポイントは、『地球の歩き方』おすすめの、
ワット・プー・カオ・トーンの頂上からの夕日、ではなく、
夕日とワット・プー・カオ・トーンの組み合わせ。

日が暮れる前に急げ、急げと、来た道を引き返し、
湖へ。
きっとこの判断は正解だと信じて。


日没にぎりぎりセーフ。
そして、
やっぱりこの判断は正しかった、と思える
記念すべきアユタヤの夕暮れ風景を目に写す。
          
   









さて、暑かった、とにかく暑かったアユタヤ遺跡巡り。
炎天下の太陽のもと、汗をだらだらと流し 皮膚を焦がし
古都アユタヤを満喫。


仏像たちは、この焼けつく日差しの下、
長い年月、人間たちを黙ってじっと見てきた。
汗一つかかず、涼しい顔をして。
人間たちの争いはどんなに愚かに見えただろう。

だけど、過去があるから今がある。
過去はどんなものでも、今につながっている。
繰り返された戦いの歴史も、今につながっている。
     


きっと、人間そのものも同じ。
失敗したことも、ひどく傷ついたことも、苦しかったことも、
身を裂かれるような悲しみも、
それらすべてが今にたどり着く要素の一つ。
すべてを肥やしにして、人間の中身を変容させながら、
少しずつ中身を豊かにしながら、生きていっているのだと思う。
そう考えると、生きているだけで、
少しずつ成長して、
前に、前にと 進み続けているのだな。




    世界文化遺産 アユタヤ遺跡

世界文化遺産 アユタヤー遺跡 1 

2011年08月04日 04時58分49秒 | 旅行
バンコクから北へおよそ約80キロ、車で1時間半。
チャオプラヤー川とその支流に囲まれた中州にある
東西7キロ、南北4キロにおよぶ島、古都アユタヤの町。


1350年から417年間にわたり、アユタヤー王国の歴史を築いた。
35代の王が統治し、「ロンドンのように見事」と称えられた国際都市。
しかし、ビルマとの度重なる戦いにおいて陥落。
ビルマ軍の手によって、建造物の多くは徹底的に壊された。


顔のない仏像、崩れ落ちているチェディ(仏塔)、土台だけが残された寺院。
アユタヤーの遺跡は、今も静かにその時を止めたまま。





※「ワット」=「寺」

  ◆◆ ワット・マハータート ◆◆

アユタヤ遺跡を代表する重要な仏教寺院。
かつては高さ44mの仏塔があったといわれるが、
やはりビルマ軍によって破壊され、
現在その面影を残すのは、頭部を切り落とされた仏像のみ。
遺跡の中の仏像はすべて頭が切断されており、
当時の殺戮の模様が生々しく残されている。


遺跡内にある、木の根に覆われた仏頭。
切り落とされた仏像の頭が、長い年月をかけて菩提樹に包み込まれた。
地面にゴロリと転がり落ちただろうにもかかわらず
菩提樹の根に抱かれながら、またまっすぐに立ちあがり、
ゆがみなく前を向いている光景は、まさに自然の奇跡。
神秘的なものを感じざるをえない。
   
     

仏頭に敬意を払い、この仏頭よりも高い位置から鑑賞するのは禁じられている。
仏頭と同じ目線までしゃがみ体を落とす。
この仏頭が長い年月見てきた人間の争いの歴史は、
収束を迎えたのだろうか。
今は心静かに何を思い、何をその目で見ているのだろうか。


風化の激しい寺院の石段を登り、頂上からアユタヤの町を一望。
さえぎるもののない四方を見渡すと、時間を超越した眺めが広がり、
しばらく声もなく、360度に広がる景色を見まわす。
   


斜めになってしまった仏塔。
   







  ◆◆ ワット・ラーチャブラナ ◆◆


正面入り口からのぞかせるクメール様式のチェディ(仏塔)。
まるで額縁に入れらた絵画のよう。
         

大きなプラーン(クメール式仏塔)には途中まで登ることができる。
上から見渡すと、まるで天空の城のよう。
          

   








  ◆◆ ワット・プラ・ラーム ◆◆

破壊された石仏がずらりと並ぶ回廊。
頭部を切り取られても、仏像は依然、聖なる存在のまま。
  

美しいクメール調の寺院。
   

遺跡内には誰一人観光客がなく、ひっそりと静寂。
   







  ◆◆ ワット・ローカヤー・スッター ◆◆

広々とした草原に並ぶ遺跡群の一番奥に、
高さ5m、全長28mの涅槃仏が横たわっている。

からりと晴れ渡ったアユタヤの空の下、
悠々と寝そべるその姿はなんとも気持ちがよさそう。
    


私も、添い寝。
    





  ◆◆ ワット・プラ・シー・サンペット ◆◆

1500年には高さ16m、総重量171kgの黄金に覆われた仏像があったが、
ビルマ軍の侵攻により、跡形もなく破壊されてしまった。

残っているのは、スリランカ様式の3基のチェディだけ。
歴代のアユタヤ王朝の3人の王が眠る、王室の守護寺院。
王3人の遺骨が納められている。
夜はライトアップされ、昼間とは違う顔を見せる。
      

     
  


 世界文化遺産 アユタヤ遺跡 2に続く

メークローン 列車市場

2011年08月03日 05時42分48秒 | 旅行
バンコクから約72km、車でおよそ1~2時間。
メークローン川がタイ湾に注ぐ河口に位置するサムット・ソンクラーム県。


傘たたみ市場、列車市場として
世界的に有名な観光地となっているメークロン市場がある。

    

メークローン駅すぐそば、列車の線路の上に、市場が並ぶ。
じゃあ、列車が来たらどうするのかというと、
列車が来る頃にはバタバタと商品を片付け、
列車が通過したら、
また、バタバタと商品を線路上に並べる。


そのバタバタとした光景と
列車が通る瞬間、ギリギリまで陳列された商品
そして、通過ギリギリラインに涼しい顔をして立つ人たちの様子。
何ともおもしろい。

 1 プアーーーン!! 汽笛が鳴り、列車が近づく
  


 2 だけど、この店のおじちゃん、全く動じる気配なし。
  


 3 ギリギリ通過。 だけど動じないおじちゃん。 
  



メークローンには、これまでに3回足を運んでいるが、
何度いってもおもしろい。

タイの列車だから定刻通りには通過しない。
この列車も11時頃の通過予定の列車だが、
実際は12時頃に通過すると、市場の人が教えてくれる。
その通り、12時頃になると駅でベルが鳴り、
列車が通過。


線路というと、続く続くよどこまでも、と、
ちょっとわびしげなレールのイメージがある。
カンチャナブリなどは、まさにその感じだったが、
このメークローンのせわしないこと。


線路の上に、魚、ナムプリック、野菜、靴、衣料品、何でも売っている。
    


焼きバナナをぱっくり。
  



なんと、これも売りものですか?!
  



すてきなすてきな メークローン。列車市場。
  




      

クレット島

2011年06月19日 20時20分52秒 | 旅行
クレット島    เกาะเกร็ด
     

バンコクから北へ20㎞、車で約50分ほど、ノンタブリ県にあるクレット島。
バンコクからも近く、タイ人に人気の観光地。
別名「素焼きとお菓子の島」
クレット島近くで活動する隊員がいるため、任地訪問とクレット島観光に行く。
     


クレット島は今から200年ほど前に
チャオプラヤー川から運河を渡したときにできた中州。
クレットの意味は「小さい」「小川をつなぐ運河」という意味。
主な島の住民は紀元前2000年以上も前からの歴史をもつ
モン族をルーツとする人たち。
アユタヤ王朝からバンコクに遷都するときに移住し、その末裔が住む。
島のあちこちにはモン族の言葉で書かれた文字がある。
素焼きの焼き物の産地として有名で、生産量はタイ国内で最も多い。
島の住民のほとんどが焼き物か製菓にかかわって暮らしているのだとか。
    


島は一周して約7キロメートル。 
1日40バーツで自転車レンタルもOK。


かつてはいたるところに焼き窯があったようで、
今は土に埋もれた陶器  草に覆われた焼き窯が島にいくつも残っている。
            


細い路地、入り組んだ道々、そこに並ぶ店、
砂浜もヤシの木もないこの島は江ノ島を思わせる雰囲気。
なんでだろう。
島って共通する何か独特の雰囲気と良さがある。
       


島内の古びた寺も、遺跡に近いんじゃないかと言うくらいぼろぼろに崩れたジェディも
きれいに保存されてないからこそ味わい深い。
     

            



かわいい小さな素焼きの水差しを購入。
1つ20バーツ。(60円)   
草花を入れて飾ろう。
    


おしゃれなカフェ、おしゃれなレストラン、おしゃれなお菓子屋さん。
おしゃれなお土産屋さん。
おしゃれなガラス細工。
クレット島ではお花の天ぷらが名物。アンチャンという藍色をした花を揚げる。
これもまたおしゃれ。
       

    

       
 

  
陶芸工房は自由に見ることができる。
なんのパフォーマンスがあるわけでもなく、それだけに
この島の人々の生活と陶芸が共にあるのだなと感じる。
      


おもしろいものがずらりと並んで、島独自の雰囲気があり、食べ歩きが楽しい。
外国人観光客はほとんどいない、タイ人に任期の観光地、それもいい。
一日中いてもこれは飽きないぞ。

  


斜めに傾いたジェディが運河を見渡す。
このジェディがクレット島のシンボル。
    


アヌッサワリー駅から 166・177バスで 19バーツ。(57円)
ぺッブリー通りから M35バスで 20バーツ。(60円)
モーチットバスターミナルから 104バス、ワットポーからなら 32バス。 などなど。
島への渡し船 2バーツ。(6円)
    


バンコクから手頃な値段と手頃な時間で行ける、ノスタルジックで魅力たっぷりの島。
クレット島 おすすめします。

    

パッタヤー

2011年05月21日 17時58分01秒 | 旅行
       พัทยา パッタヤー

    

パッタヤーはバンコクの東南165キロメートル、チョンブリー県にある特別市。
タイランド湾に面して、マリンスポーツが盛んな老舗高級リゾート地。
元々小さな漁村に過ぎなかったパッタヤーだが、ベトナム戦争時に米軍が保養地として利用し始め、
ビーチ開発、性産業が発達した。
過剰な観光客の集中から、海の汚染、売春、公害問題などパタヤ独特の問題が生じ、
パッタヤーというと暴力団、ゲイの街、夜の街というイメージが強い。
女の子が行くのはちょっと危険な街、といわれることも多いので、夜は避けて昼に日帰りで行く。
任国外旅行で来タイ中のマレーシア隊員、モルディブ隊員と共に。
      昨日ブログ →「マレーシア隊員 モルディブ隊員 来タイ」
 
片道2時間ほど。 ロットゥーやバスで100バーツ程度。(300円)
今回はタクシーを借り切り、6人で1500バーツ(4500円)での観光と往復。




目的は二つ。

◆◆ サンクチュアリー・オブ・トゥルース ◆◆
    
ビーチに立つ異次元空間。
の建築物で、 工事は1981年に着工。
ある大富豪が建設を始めたもので、金属製の釘などを一切使っておらず、下から上まで全て木造。
大富豪が亡くなった後も建物はまだ完成しておらず、彼の死後も建設が進められている。
      

                         人間がこのサイズ↓
      


       


  木を用いた曲線の表現が美しく柔らかい。
      


      




        

    


世界の様々な神々達の彫刻があり、不思議な空間。
        

            


毎日400~500名の作業員が作業を進めるが、木造のため劣化していく部分もあり、
永遠に完成しないのではないかとも言われている。
ガウディの死後も建設が続けられているサグラダファミリアと似ていることから、
アジアのサグラダファミリアとも呼ばれている。
         

      


こんなに立派で不思議で巨大な建物なのに、ぜんぜん観光客がいない。
なぜか、短い距離を馬車で移動。 タイ舞踊のショーもついて お値段600バーツ(1800円)
           








◆◆ パッタヤー・パーク・タワー ◆◆

タイで最も高いと言われる展望台があり、ワイヤー伝いに降りるアトラクションを楽しめる。
それを目指してタクシーで。
遠くから発見。 あ、あれだ! あれ!まるで人がゴマのよう!
      

56階に登り、展望台の屋上からワイヤー伝いに斜め滑降。
命綱と専用の金具だけで降りる。
       
                 
           
見た目は怖いのだが、進み出すとそれがそうでもない。
進み出すまでは、空中に一歩踏み出す思い切りが出ずにうじうじしてしまうのだが、
いざ滑降が始まると 斜めに降りる角度も気持ちよく景色を楽しむ余裕もある。
滑降中に写真も撮っちゃう余裕もある。
     
                         

これがタテ急降下だったら ウゲッとなるところ。
お値段300バーツ。 900円程度。 お安いのではないか?

   びゅーーーーーーーーん
        


ラオス任国外旅行⑤ ~ラオス旅行から感じたこと~

2011年05月17日 03時50分52秒 | 旅行

タイの隣国ラオスに行ってみて感じたことはたくさん。
ラオスの文化を肌で感じたことはもちろん、
ラオスに行ったからこそ分かった、考えたというタイのこともある。
タイにいるだけでは見えなかったものもある。

旅行って、単に気分転換になるだけではなく、
その地の文化に触れて新しい考えが生まれたり、
自国や自分のいる地を客観的に見たり、そして改めて良さを発見したり、
視野を広めていけるものだ。
生徒にもよく、生まれ育った地から出て外から見てみなさい、と言ってきた。

タイに来たことでも、得られた視野は大きい。
外から客観的に見る日本、タイの人たちの目線からの日本、
日本にいたときには見えなかった良さも今はたくさんわかる。
世界の協力隊仲間もきっとたくさんの発見をしている。

どんな形でもいい、海外旅行でもワーキングホリデーでも、バックパッカーでも。
子どもたちにも日本を出て外から自分が生まれ育った国を見てもらいたいと思う。
             (→過去ブログ「世界の協力隊仲間たちの見る世界」

旅行って私にとって大事なもの。
今回のラオス旅行。
寺を巡って町を歩いて、ラオスの人たちと話をして
同期の隊員にも会えた。
いろーんなことを感じた。
          



◆その1◆ ラオス人って幅広い。
まず、ラオスの外国語事情とラオス人の受け入れ土壌の広さ。
メコン川流域では、タイのラジオ放送やテレビ番組が自由に受信でき、
ラオス人は毎日タイのテレビを見ている。
そして、経済開放化政策により生活必需品はタイから購入してきたものばかり。
こういう生活背景から、ラオス人のほとんどがタイ語を理解する。
私のタイ語がラオスでは100%通じるのだ。
これには驚いた。

イサーン語(タイ東北弁)とそっくりというラオス語。
確かにイサーン語に似ているが、聞いていると声調は異なっていて同じではない。
「カオニャオ」(=もちごめ)にしても、声調やアクセントが違う。
ラオス人たちは、ラオス語を母国語としながらも、日常タイ語を聞き取り、
いつも2種類、方言をあわせると数種類の声調を聞き取っている。
そのため、多少声調が違っても幅広く受け止め、理解するのだと思う。

タイ語は声調(単語についた音階のようなもの)に厳しい。
声調を間違うとタイ人はまったく分かってくれない。
ラオスでは多少声調が正しくなくとも、100%通じた。
それは、ラオス人の、
ラオス人以外の話す言葉を聞き取ろうとする気持ちがあってできることであり、
きっとこういうことを言おうとしているんだなという類推する力も優れているように感じる。
いつもなかなか通じないタイ語が、必ず通じる、
必ず受け止めてくれるという喜びをラオスで味わった。

タイに帰り、配属先で会った職員に「あれ?髪を切ったの?」と聞くと
「は?」
2度3度繰り返したが通じず、他の職員が聞き取って媒介してくれた。
が、がっくり落ち込んだ。「髪切ったの?」程度でもこんなに通じないなんて。
ラオスでこういう気持ちを感じたゆえになおさら。

ラオスはフランス領だった背景から、現年齢50才以上で高等教育を受けた人たちは、
フランス語で教育を受けている、そのためフランス語が堪能。
都市部にはベトナム人、中国人、タイ人が暮らすラオス。
ラオスの侵略の歴史、植民地となった悲しい過去が、
今現在ラオスの他国を受け入れる土壌の広さにつながったのかもしれない。
タイは侵略された歴史をもたない。
だからか、自国に誇りを強く持ち、強国であるという思いが強く、そう簡単には歩み寄らない。
だけど、そのプライドがあるからこそこれだけの発展をとげられたのだとも思う。



   
◆その2◆ キープ・バーツ・ドル
ラオスのお金はキープ。
普通、他国に旅行するときにはその国のお金に両替するものだが
ラオスではほぼどの店でもバーツが使える。
そして、ドルも同時に使える。
カンボジアからきた同期隊員はドルを使っていた。
私はバーツを。

ゲストハウスの料金表にも、キープ・バーツ・ドルの表示が。
       

ナイトバザールの小さな露店の売り子でも、「バーツでいくら?」と訪ねれば
ちょっと考えて、キープをバーツに換算して答えてくれる。
ラオス隊員が「タイバーツへの換算はキープを260で割るといい」、と教えてくれたが
そんな計算、すぐにできない。
一生懸命計算しようと思うが、頭がこんがらがり続けた。
バーツ・ドル・キープの3種の通貨を日々 同時に使っているラオス人。
いやいや、すごい。




    
◆その3◆ タイってすごい
すごいところたくさんあるけれど、やっぱり首都バンコクの発展ぶりは尋常ではない。
そして食べものの豊富さ。
屋台の並ぶ量、種類。
これだけ暮らしていてもまだ見たことのない食べものに屋台で遭遇する。
こんなに食が豊かな国はない。
アジア一ではないかと思う。




◆その4◆ 単位が多い。
ラオスのお金はキープ。
これ、1000キープ。
日本円で10円程度。
   

100000キープなどの札もある。
0が多すぎ!
0が多いとこんがらがるし、金銭感覚が狂う。
    

こういうケタの中でバーツ換算もドル換算も瞬時にできちゃうラオス人ってやっぱりすごい。




◆その5◆ 陸続きってすごい。
日本では考えられないが、他国と陸続きなのだ。
だからなのか?携帯電話がしっかりと使えた。
メコン川をはさんで、タイ-ラオス友好橋を渡るとラオス。
友好橋上を鉄道が走り、鉄道でラオスに入ることもできる。
鉄道で国境越え?! そんな経験してみたい!
と、帰りの交通手段は鉄道でコンケンまで、と画策したが
ラオス内の鉄道事情をラオス人たちがあまりわかっていない。
バンコク行きはあるのだが、途中下車のコンケンとなると
みんなはっきりしない。さんざん歩き回って訪ね歩いた結果
未知数が多すぎて断念。
いつか鉄道での国境越えの夢を果たしたいと あきらめていない私。




◆その6◆ 日本頑張ってるぞ。
ラオスではいたるところで 日本人というと「JICAのボランティアか?」と聞かれる。
バスには「ODA(政府開発援助)」と書いてあり、
ラオスと日本の国旗が並んでいる看板もよく見かけた。
タイ-ラオス友好橋や空港、鉄道も日本の資金援助によって造られていて
ラオス人にとって日本は国際協力にあつい国、というイメージのよう。
日本、JICA、国際協力、がんばっているぞ!
    



◆その7◆ 朝夜が早い。
ラオス隊員から聞いていたが、ラオス人は夜早く寝て朝早くから起きる。
昼食は大人も子どもも家に帰って食べるのが一般的で、昼寝は欠かさない。
タイも以前はそうだったのだろうが、近代化の波により、都心部はすっかり様相が違う。
バンコクは眠らない街だ。
  




◆その8◆ 女性はみなシンをはいている。
ラオスの民族衣装シン。
女性がはくスカート。
タイにも民族衣装はあるが、日本の着物と同じように、
ここぞというときにしか着ない。
このシンのような巻きスカートもあるが、田舎で年配の人がはいているのを見かける。
バンコクでは見ることはほとんどない。
だけど、ラオスではみんなはいている。
ラオス隊員もいつもはいているという。
学校の先生も生徒も、郵便局の職員も、屋台のおばちゃんも、みーんなシンをはいている。
    

 


◆その9◆ 国旗がどこにでもある。
タイでもそうだ。
ベトナムにいったときにも、街中で国旗があがっていた。    (→過去ブログ 「ベトナム隊員との再会」
こんなに国旗を見かけない国は日本くらいなのかもしれない。
    



◆その他◆
カンボジアの同期隊員が同時期にラオスに旅行することを、出発直前に知る。
じゃあ、最終日にビエンチャン空港で待とう、ということになる。
ビエンチャン空港に到着すると、なつかしい友達の顔。
「ひさしぶり!!」
     
カンボジアで理数科教師として活動する友達。
アンコールワットをはじめとする遺跡の宝庫シェムリアップにいる。


ラオス隊員、カンボジア隊員、タイ隊員 3国の隊員が
福島の訓練所以来、ビエンチャンで再会。
     


ナイトバザールを見て回ったり
     


再会の祝杯をあげたり
   

突風が吹き始めてお店がどんどん片付けられる中、ぽつんと飲んだり
      


「とまるゲストハウスがなんだかここ来たことあるぞ、っていう懐かしい感じがしたの。
 何でだろうと思ったら、病院! 病院なの!」
と言われてゲストハウスにいくと、確かに。 どこを見ても・・・。
以前病院だったのか、病院として建築中気が変わったのか。
   


大きなお寺、ワット・ミーサイが見下ろせるゲストハウスで
「今日は寝ないよ!話したいことがたくさんあるんだから!」と言いつつ、
旅の疲れからすやすや眠ってしまう友達。
     


早朝、ゲストハウスから出るときには入り口で番をしている人を起こす。
タイではほとんどのホテルやゲストハウス(ちゃんとしたところ)は、
防犯対策でこうやって従業員がドア付近で夜勤する。
    


最後は友達への懐かしい思いをかみしめたり、別れを寂しく思ったり、
旅の思い出を振り返りつつ、一人ソンテウに揺られてバスターミナルへ。
コンケンまで4時間の帰路につく。
4時間・・・。 バンコクに上京するよりも早い。
   



ラオス人はタイ人に比べ、はにかみ屋で照れ屋だった。
カメラを向けると喜ぶタイ人が多いのに対し、ラオス人は恥ずかしそうに撮らせてくれる。
目が合うとイム(ほほえむ)するタイ人に対し、誰もがほほえむけではないラオス人。
が、少し話すとすぐ世話を焼いてくれ、誰もが心根が優しい感じがした。
ベトナムに行ったときには、にこりともしない人々、怒りっぽい人々にびっくりした。 
カメラを向けるとマンゴーを投げられたこともある。
に比べて、穏やかでのんびりとにこにこしているタイやラオスの人たちにはほっとする。
ラオス人は、タイ人に似たところもあり、タイ人よりもすれていないところもあり。
中進国となって行くにつれてタイがなくしていったものもラオスにたくさん
そのまま残っているように感じた。

     

      

      

    

  


               「ラオス グルめぐり」へと続く






 ラオス旅行 記事一覧
「ラオス任国外旅行① ~コンケンから出発~」 

「ラオス任国外旅行② ~ルアンパバーンへ~」 

 「ラオス任国外旅行③ ~ルアンパバーン 寺巡り~」

 「ラオス任国外旅行④ ~ヴィエンチャン~」

 「ラオス任国外旅行⑤ ~ラオス旅行から感じたこと~」

「ラオス任国外旅行⑥ ~ラオス グルめぐり~」

















ラオス任国外旅行④   ~ヴィエンチャン~

2011年05月16日 14時15分11秒 | 旅行
    ヴィエンチャン
         

ラオスの首都であるヴィエンチャンは、メコン川をはさんでタイのノーンカーイ県の国境に面する。
人口70万人程度というスケールはアジアの首都の中でも小さい。
フランス植民地時代の古い建物や並木道がのこり、そこに数多くの仏教寺院が混在する、
アジアとヨーロッパが融合した街並み。
1999年6月からは、日本政府ODAの無償資金協力によってできたワッタイ空港新ターミナルが利用されるようになった。
ビエンチャン住民はビザなしでタイのノーンカイまで行くことができるため、
ごく当たり前にタイで日用品や電化製品の購入をしている。

そんなビエンチャン巡り。





◆◆ ワット・シェンクアン(ブッダパーク) ◆◆
ヴィエンチャン市街から約24キロ。タイラオス友好橋の近くにある。
ビエンチャンから少し離れると急に田舎の風景。
途中メコン川の向こうにタイの国境の町、ノーンカイがみえる。
      

ある僧侶がこの地で寺を造り、やがてタイに渡りノーンカイにもワット・サラ・ケオクーを創設。
                            (→過去ブログ「ノーンカイ ワット・サラケオクー」
63才でこの世を去るまで生涯をかけ偶像を造り続けた。
彼が手がけた二つの寺、ラオスとタイ、どちらにも似たような像が並ぶが、規模はタイの寺の方が大きい。
       

コンクリートの様々な像があり、仏教の象だけでなくヒンズー教の神々までまつられていて、
中には笑ってしまうユニークなものも。、
         


        
       
      
    

天上界、地上、地獄を表現した3層の建物。
地獄の階層はかなり恐ろしい雰囲気。長居できずにそそくさと逃げ去った。
         







◆◆ タートルアン ◆◆ラオス仏教の最高の寺院で、ビエンチャンだけでなく、ラオス全土のシンボル。
なだらかな丘の上に立つ高さ45メートルの巨大な 巨大な黄金の塔。
遠くから見ても圧倒される存在感でどーーんと構える。この車と比較しても巨大。
寺院広場の前ではタートルアンを守るかのようにセタティラート王の象が鎮座する。 
    
 





◆◆ ワット・ミーサイ ◆◆
 ちょうど仏事のため本堂には入れず残念。
    







◆◆ パトゥーサイ(凱旋門) ◆◆
パリの凱旋門を模して作られた、内戦で戦死した戦士のための戦没者慰霊塔。
新空港建設に使用されるはずだったセメントで建てられたもの。
昼の顔もいいけれど、ライトアップされた姿もいい。
夜は噴水ショー。
       

       
   
内部から階段を上り、てっぺんまで行くことができ、ヴィエンチャン市内を一望できる。
    






◆◆ タートダム ◆◆
ロータリー中央部に立つ黒色の塔。
詳しいことは分かっていないらしいが、シャム(タイ)の侵入からビエンチャンを守った竜が住んでいるといわれている。
     






◆◆ ワット・ホーパケオ ◆◆
エメラルド寺院という意味。タイ語の「ワットプラケーオ」と同じ。
王国の首都をルアンパバーンからヴィエンチャンへと遷都した際、エメラルド仏(パーケオ)を
旧王都から移し安置したのがこの寺院。
タイの侵入により、1828年寺は破壊されエメラルド仏も持ち去られたという。
が、タイ側ではもともとラオスがエメラルド仏をタイから奪い去ったと言われている。
元々は寺院だが、現在は博物館の位置づけで、中庭にはジャール平原から運ばれた石の壷もある。
陳列品や装飾デザインは見事。
この寺は王の保護寺院のため、僧侶がいない。
     

      

    

   

仏像の指が長くて繊細、見とれる美しさ。
         





◆◆ ワット・シーサケート ◆◆
建立は1824年、現在はここも博物館の位置づけとなっている。
度重なるシャム(タイ)の侵入に耐え、現在もその原形をとどめている寺院。
本堂を四方に取り囲む回廊には6840体の仏像が安置されており、
境内の他の仏像もあわせると1万体以上の仏像を擁する。
戦乱や植民地政策の損傷がいたるところに残り、
ビエンチャンの混乱の歴史を物語る意味でも歴史的価値が高い。
      

   
度重なる戦いによって、ほとんどの仏像が
目に嵌め込まれていた宝石類や頭部の金細工等を取り去られている。
片目にのみ宝石が残る仏像、両目を生々しくえぐりとらえた仏像、
鋭利な刃物で足下から切り倒され指先だけが地に残る仏像。
破壊された仏像も、修復がなされていないからこそ、胸にぐっとせまるものがある。
      

       

          
 
  
この仏像たちは人間の争いをどれだけここで見てきたのだろうか。
たとえその目をなくしてもじっと見つめ続けてきただろう、長い年月に私も思いをはせる。
傷を負った仏像一体一体の表情が、人間に黙って語りかけているかのよう。
荘厳な空気に魅せられて、予定変更して何時間もここで過ごした。
今回のラオス全土の寺巡りで一番思い出に残る場所。
        

      










◆◆ 朝の托鉢 ◆◆
ルアンパバーンの数百人の僧侶とまではいかなくとも、小さな首都に寺がいくつもあるため、
ここでも驚く数の僧侶たちが托鉢に歩く。
商業化されておらず、自然なラオス人たちの朝の風景がそのまま。
ビエンチャンでは厳かな朝の托鉢風景が見られる。
僧侶たちの黄衣が、まだ夜が明けきらない薄紫の空の下に映える。
    

    

    

      


    次 「ラオス旅行から感じたこと」へと続く


   







 ラオス旅行 記事一覧
「ラオス任国外旅行① ~コンケンから出発~」 

「ラオス任国外旅行② ~ルアンパバーンへ~」 

 「ラオス任国外旅行③ ~ルアンパバーン 寺巡り~」

 「ラオス任国外旅行④ ~ヴィエンチャン~」

 「ラオス任国外旅行⑤ ~ラオス旅行から感じたこと~」

「ラオス任国外旅行⑥ ~ラオス グルめぐり~」




















        

ラオス任国外旅行③   ~ルアンパバーン寺めぐり~

2011年05月15日 13時40分29秒 | 旅行
ラオスは今 暑季。最も暑い時期。
もうすぐ雨季のせいか、朝夕には雨季のように雨が降る。
むしむしと押しつけるような暑さの中、世界遺産ルアンパバーンの寺を回る。
自転車を借りて、カメラをもち地図を片手に さあ行くぞ。
天気に左右されながら、時計を見て空を見て、
雨の間は寺の中、貴重な晴れ間に大急ぎで景色のいいところをめぐる。
    





◆◆ ワット・パバート・タイ ◆◆
ルアンパバーンの他の寺とは様式を異にするベトナム風の寺院。
寺院の名前にはベトナム語も併記されている。
ラオスには外国人が多いが、その中でもベトナム人が最も多い。
狭い本堂の中に大きな黄金の寝仏が横たわる。
       
 
     

   ルアンパバーンで最初に訪れたのが、このワット・パバート・タイ。
ふつうほとんどのお寺は無料だが、さすが世界遺産、どこも入場料がかかる。
日本でも京都で支払うのと同じ。
入場料を払おうとしたら、若い僧侶がどこから来たのかと聞く。
日本人でタイから来たというと、
「せっかく来てくれたのだから、入場料はいらない」と受けとらなかった。
100円ほどの入場料だったが、お金の問題ではなくもてなしの気持ちが嬉しい。
スタートから心癒される僧侶に出会った。
   




◆◆ ワット・ホ・シェン ◆◆
日本語を勉強中だというの僧侶が人なつこく話しかけてくれた。
まぶしいくらいのいい笑顔。
    





◆◆ ワット・タートルアン ◆◆
1514年ビスンナラート王によって建立された寺院。
野原にぽつんと立つ。
曲線が女性的なワット・ビスンナラートのすいかの塔に対し、
このタートルアンの塔は男性的な印象で、この2つが対になっているとも言われている。
      

         

        





◆◆ ワット・ビスンナラート(ワット・ビスン) ◆◆
塔の形がすいかを半分に切ったように見えることから、別名 ワット・マークモー(すいか寺)。
本堂の窓はクメール・シャム様式の特徴的なスタイル。
      

       

       

      

外国語文化が流れ込むラオスでは、若い僧侶が英語や日本語を
寺の境内で勉強している光景を目にすることもしばしば。
   

日本語を勉強していた若い僧侶。
屈託のない笑顔が素敵。
    





◆◆ 王宮博物館 ◆◆
かつての王宮邸宅をそのまま利用した博物館。王族の調度品や家具が並べられ、
当時の絢爛豪華なルアンパバーン王国の繁栄を偲べる。
当時はフランスがラオス全土を植民地化していたが、ルアンパバーンだけは保護領として形式上の王政を続けていた。
当時から、国王は完全無欠の最高指導者であり、民にとっては別次元の高貴な人と見なされた。
今も人々は、最後の国王シーサワンォン王の霊がここにいると考え
守衛が家具が動いたのを見た、国王の足音を耳にしたというエピソードもある。
そのため、日が暮れてのち宮殿に来る人は誰もいない。
     
       

たくさんの国の支援を受けてここにある王宮博物館。
屋根はスウェーデン、日本がシロアリ駆除、JICAが空調設備、オーストラリアが写真、フランスが壁画修復というように。
日傘の下で憩う3つの頭をもつ象は力の象徴。
蛇は神様である祖先をあらわし、川に住みラオスの人々を見守っているという。
      


この王宮博物館で活動するシニアボランティアがいるため、案内をしてもらえた。
JICAボランティアはこれまで数人ここに派遣されていて、
私が借りた日本語の音声案内もその方々が作ったもの。
現在いるシニアボランティアの職種は学芸員、写真・ネガ保存。
永年博物館が整理できずにいた写真、ネガ、ガラス原版など約5万点を
時代別、内容別に整理し保存するという活動。
時代が分からないもの、虫食い、写っている人物の特定が難しいもの、
山ほどのアルバム、それを経験10年以上のシニア隊員がこれから整理保存していく。
シニアの知識と技量と専門性。いつも感嘆する。私もこの道でそうなれるだろうか。
     





◆◆ プーシー ◆◆
「仙人の山」という意味。
王宮博物館の向かいにあるルアンパバーンを一望できる高さ150メートルの小高い山。
海抜は700メートル。
かつて2人の仙人が神様に導かれ、この山にたどり着き、ルアンパバーンの街を造ったといわれている。
    

328段の階段を上って頂上へ行くと、そこに立つのがタートチョムシーと呼ばれる仏塔。
メコン川とカーン側の間に広がるルアンパバーンの街が一望できる。
           
     
        

       

          

 
  



◆◆ ワット・パフアック ◆◆
プーシーに登る途中にある寺。さりげなく小さな寺が横道にそれたところにある。
小さな看板が「どうぞ見てください」と、か細くアピールしている。
来た人も通り過ごしてしまいそうな小さな寺。
       

が、この寺がなんともいい雰囲気。
痛みが激しく、他の寺ほどに修復も保存もされていない。
だからこそ、味わいがある。
ほとんどの寺に入場料のかかるルアンパバーンだが、ここは無料。

貝に絵を描いている職人の仕事をじっと見る。
タイ語を完全に理解してくれ、にっこり笑う笑顔があたたかい人だった。
       

        

            





◆◆ ワット・マイ ◆◆
1821年に建立され、建築開始から完成まで50年を要したと伝えられる。
ルアンパバーンの名勝で、正式には「美しい黄金の国土の新しい寺院」という意味を持つ。
その名の通り、ラオスにおける仏教芸術が最盛を誇った時を思わせる絢爛さ。
屋根は五重に折り重なり、典型的なルアンパバーン様式の寺院。
       

      

      
   
本堂の壁に描かれた黄金のレリーフはまばゆいばかり。
インドの叙事詩をモチーフにして仏教の輪廻を表現している。
    

本堂の横には僧侶たちの暮らす部屋があり、学習の部屋があった。
ここで毎日勉強しているのだろう。
       






◆◆ ワット・セーン ◆◆
本堂隣に黄金の仏塔が建つ。
赤い壁に黄金のシャム様式の窓が豪華。
大きな仏像が直立不動で立っているのが通りからも人目をひく。
指をまっすぐに伸ばし 立ち姿が定規を当てたようにまっすぐ。
     

   





◆◆ ワット・パックヘーン ◆◆
寺が密集する大通りにあるが、白を基調とした他とは違う色使いの建物。
ヨーロッパあるいはベトナムの影響があるのか。
    
         






◆◆ ワット・シエントーン ◆◆
ルアンパバーン、そしてラオスの寺院の中で最高の美しさを誇る。
世界遺産ルアンパバーンのシンボル。
末広がりの屋根が幾重にも折り重なるような、大胆に湾曲したデザインが特徴の、ルアンパバーン様式。
レリーフや鎮座する釈迦像たちの指先がなまめかしくて美しいのについつい目がひかれる。

      

      
 
    

  あり得ない手の向きさえも繊細で優雅な姿に。
        


外壁も金の彫刻で彩られ豪華だが、本堂の裏にデコレーションされた
黄金の木が必見。モザイクが美しい。
     

        


八股のおろちを想像させるような豪華絢爛な霊柩車も保存されている。
       


願い後をとしたあと、頭まで持ち上げることができれば願いが叶うといわれる仏像。
私の願い事の後はとんでもなく重く、床から浮くまでで精一杯。どうやら願いが大きすぎたかな。
       






ラオスの仏像はタイのスコータイ、アユタヤなどかつてのタイ王国の影響を受けている。
同様にタイは,スリランカ仏教美術の影響をうけている。

ラオス特有の釈迦像は、仏像の腕が長く腰が細い三角形の体つき、
眉は額の生え際にそっていて、口元はにっこりと笑い、顔は長め、長い首。
足を組んで座り右手を地面につけ、左手を膝に置く手の置き方はコーマインと呼ばれ、
平穏で清らかな心の状態の象徴だという。
   
仏像を見て回って思うこと。
一体一体の細い腰や表情も美しいが、手や指の曲線しなやかさが優雅ではっとするほど美しい。
        







-オチ-
ワットシェントーンを堪能し、そろそろ日も暮れてきたので帰ろうかと思ったら
自転車のカギがない。
ワットシェントーンで落としたとしか考えられないので一生懸命に探す。
本堂や建物は鍵がかけられ扉が閉じられてしまったので、僧侶たちの暮らす部屋まで行って
事情を話し、扉を開けてもらう。
子どもの僧侶たちも一緒に探してくれる。だが見つからず。
てくてく歩いてレンタルサイクルの店まで帰ったころはとっぷりと日が暮れていた。
ごめんなさいとわびると、返ってきた言葉は
「ボウペンニャン!」(タイ語のマイペンライ=大丈夫) びっくりした。
お店の人が一緒に寺まで戻り、カギを壊す。
この時間に待ち合わせた友達も協力してくれ、一緒にみんなでカギを壊す。
    
スペアキー代金を払うことはもちろん、迷惑をかけたことできっとおこられる、
怒らないにしても嫌な雰囲気になると覚悟していたのに、嫌な顔一つせず「ボウペンニャン!」とにこっと笑うお店の人。
友達と待ち合わせているというと携帯電話を貸してくれ、友達を捜しにも行ってくれた。
このラオス人の優しさには いたく感動してしまった。

しかし、まあ、よく落とし物をする私。



    次 「ビエンチャン」へと続く







 ラオス旅行 記事一覧
「ラオス任国外旅行① ~コンケンから出発~」 

「ラオス任国外旅行② ~ルアンパバーンへ~」 

 「ラオス任国外旅行③ ~ルアンパバーン 寺巡り~」

 「ラオス任国外旅行④ ~ヴィエンチャン~」

 「ラオス任国外旅行⑤ ~ラオス旅行から感じたこと~」

「ラオス任国外旅行⑥ ~ラオス グルめぐり~」

















ラオス任国外旅行②   ~ルアンパバーンへ~

2011年05月14日 10時16分30秒 | 旅行
    ルアンパバーン

    
ルアンパバーンはラオスの北部にある古都。
首都ビエンチャンからメコン川をさかのぼり、カーン川との合流場所に位置する。
山間部の静かなこの街は、長い間ラオス王国の首都として君臨した。
かつてはタイのチェンマイと並び称されるほどの繁栄を誇る。
王朝が廃止され寺院だけが残り、仏教への弾圧も始まり、その栄華は衰えていったが、
1980年代後半に始まった開放政策により、寺院にも人々が集まりだし、
人々の喜捨や外国の援助を受けて、荒廃した仏教建築が立て直された。
小さいながら80もの寺院がひしめき、街全体が文化遺産として1995年ユネスコの世界遺産に登録されている。

    



ラオスの首都ビエンチャンから飛行機で40分。
陸路ではバスで10時間かかる。
青年海外協力隊としてはバスを使いたいところだけど、ラオス滞在の時間が限られているため
ラオス航空でひとっ飛び行くことにする。
   

いくぞ ルアンパバーン 飛べ飛べ ルアンパバーンへ
  
 

アテンダントたちみな、ラオスの民族衣装のスカート、シンをはいている。
      


機内で出たフルーツフライチップ。このおいしさに衝撃。
バナナ、ドラゴンフルーツ、ジャックフルーツ、マンゴー、
サクサクもちもちのフライチップ全て
そのもののフルーツの味がする、こんなのどうやって作るの?
     


上空から見るとこのうねった川。日本にはないすごい景色だ。
国土の多くに山岳をもつ自然豊かなラオス。山の景色も美しい。
         



笑顔の素敵な客室乗務員のサービス受けてルアンパバーンに到着する。
     








古都ルアンパバーンは日本でいうならば京都に近い位置づけ。
高い建物を建てることは禁じられているため、低い建物が横並びに建ちかわいらしい。
ベトナムのホイアンに似た雰囲気を感じるが、ホイアンよりもさらに緑が豊か。
     

     


古びた軒並みを保存しつつ、その合間におしゃれなカフェもちょこんちょこんと存在する。
          


かつてフランス領だった影響か、あちらこちらに小粋なパリの街角があり、
そこを籠を担いだラオス人や上半身裸の中国人、ベトナム人が歩き、
観光客の欧米人たちが行き来する。
ベトナムや中国と隣接しているため、ベトナム、中国の人たちも多い。
メコン川やカーン川、もやの中にたちこめる山や町。
美しく豊かな自然の中に新旧が混在するノスタルジックな町。
         

    

    

      

      

      

        

     



  
  小学校の校庭で遊ぶ子どもたち。女の子はみな民族衣装のシンをはいている。
  街のあちこちで元気に遊び、人なつこい子どもたち。
          
              
    



  街で見つけた瓶のなる木。 こういうことをしちゃうのがおしゃれ。
   


  歩行者注意の看板も、民族衣装シンをはいた女性。
     
 


ルアンパバーン名産のおこしを乾燥させている光景。
      


カーン川に乾季だけかかるという橋
   

    





夜にはナイトマーケットが開き、少数民族モン族やヤオ族の人々が露店をずらりと並べる。
        

      

 あれ? 布に紛れて赤ちゃんが。 もぞもぞいるだけで看板っ子。
     





静かな街だが、朝市では野菜や米を売る人とどっさりと買い歩く人でちょっとだけにぎわう。
とはいっても、小さな小さな朝市。
     

      






早朝には数百人の僧侶たちが托鉢に歩く。その規模はラオス最大級。
仏教への帰依も高い。
僧侶が町の人々の喜捨(きしゃ)を求めて歩く托鉢。
ラオス全土で見られるけれど、狭いエリアに多くの寺院が集中するルアンパバーンは
僧侶の数も他の街と比較にならない。

早朝5:30~6:30ごろ。僧侶たちは寺を出て裸足で歩き、
人々はタンブン(徳を積む)の行いとして、ひざまずき米やおかずを僧侶のもつ鉢の中に入れる。
これを喜捨という。
黄衣を着た僧侶たちがずらりと並び歩く姿は山間の静かなもや立ちこめる街で圧巻の光景。
   

    


まるで僧侶の遠足のようと思ってしまった。
     


世界遺産に登録されてのちのルアンパバーンには観光客が押し寄せ、
このタンブンを見るためにも多くの人が訪れる。
寺院が並ぶメインストリートは観光地化されて、観光客の喜捨体験のために喜捨セットが道に並ぶ。
その地の人たちの自然な姿よりも、観光化された部分が強く映し出されるのを見ると少し切ない。
    

    


と思っていたら、メインストリートから一本路地裏に入ると、地元の人々のタンブン風景が。
       

       
    

  ある路地を入ると目の前に籠を置き、子どもたちがずらりと座りこんでいた。
  僧侶たちは食べきれないほどの食事や飲み物をもらう。
  それを分けてもらうために座っている、おそらく近隣の村の貧しい子どもたちだ。
  僧侶たちが過ぎ去った後、子どもたちはもらったものを袋に詰めて持ち帰る。
  子ども同士で楽しそうにおしゃべりしながら。
      

    

  寺の壁にもち米が。
  おそらくこれもタンブンなのだろうが、これを袋に集めている人もいた。
  持っている人が持っていない人にあげる、持ってない人が持っているところからもらう
  ごく自然なサイクルとして成り立っているのだろうか。
    


朝のタンブンが終わり、寺に戻った僧侶たちは清掃を始める。
    


敬意を払ってフラッシュは決してたかず、
近づきすぎず、僧侶よりも目上に行かず、そして絶対にさわらず。(女性は絶対にさわってはいけない)
僧侶たちの列が行きすぎると自転車でおいかけおいかけ、
先回りし、行きすぎるとまた追いかけ、朝から息きらして托鉢風景を存分に見る。







メコン川の夕日
   




山間にたたずむ、美しい街 ルアンパバーン。
時間を過ごせば過ごすほどに居心地がよく、魅力いっぱいの街。

   ブログ 「ルアンパバーン 寺巡り」へと続く





 ラオス旅行 記事一覧
「ラオス任国外旅行① ~コンケンから出発~」 

「ラオス任国外旅行② ~ルアンパバーンへ~」 

 「ラオス任国外旅行③ ~ルアンパバーン 寺巡り~」

 「ラオス任国外旅行④ ~ヴィエンチャン~」

 「ラオス任国外旅行⑤ ~ラオス旅行から感じたこと~」

「ラオス任国外旅行⑥ ~ラオス グルめぐり~」















ラオス任国外旅行①   ~コンケンから出発~

2011年05月13日 16時11分14秒 | 旅行
私たち青年海外協力隊は、年間20日間までの任国外旅行を認められている。
ただ、どこにでも行っていいというわけではなく、派遣国により渡航先が限定されており、
私のもつ公用旅券(オフィシャルパスポート)にもそれが記載されている。
           (→過去ブログ 「これが公用パスポートだ」





タイの隣国、ラオス人民民主共和国へ任国外旅行。




  ສາທາລະນະລັດ ປະຊາທິປະໄຕ ປະຊາຊົນລາວ ラオス人民民主共和国 
      

ラオス人民民主共和国、通称ラオスは北に中国、西にミャンマー、東にベトナム、
南にカンボジア、タイと国境を接する共和制国家。首都はヴィエンチャン。
長い戦乱の歴史をもち、タイやカンボジアの戦乱に巻き込まれ3国に分裂したこと、
隣国に対抗するためにフランス領となること、
第二次世界大戦中には日本に占領されること、
フランス領から独立したのちの長期にわたる内戦、それらの歴史を経て
1975年ラオス人民民主共和国となった国。
急速な社会主義化により、かつてはタイからの国境封鎖も行っていたが、
激しいインフレと日用品の不足を引き起こして社会主義化の緩和にいたる。
国土の多くが山岳地帯であり森林資源が多く、緑豊かな国。
多くがラオ民族、そして少数民族による50以上もの民族が暮らす多民族国家。
ラオスの全人口はバンコクの人口に満たない630万人。
2009年のラオスのGDPは55億ドル(約4500億円)、鳥取県のほぼ4分の1の経済規模。


このラオスと、タイ東北部の関係は密接だ。
メコン川を隔てて目と鼻の先ということもあり、食べもの、言語、生活様式など
共通するするものがたくさん。
そんなラオスに行くのは、派遣前訓練を受けていたときから願っていたこと。


コンケンからはインターナショナルバスが1日2本出ていて
たった4時間でラオスに行ける。
バンコクに行くよりも近くて早い。
ラオスへとバスに乗り、メコン川のラオス-タイ友好橋を渡り入国する。
島国日本では経験できない陸路での国境越え。
考えただけでワクワクしちゃうじゃないか。

    

7:40 コンケン-ビエンチャンのバス。
前もっての予約ができず、全て当日券のため長蛇の列。
バス内では席がなくて立っている乗客も。
チケット 180バーツ(540円)  540円で国境を越えて外国に行ける。
      
 

日本を離れておもしろいなと思うことの一つ。
こういう正式なチケットで苗字がなく名前が書いてあること。
「さちえ」と国際バスのチケットにも記入されている。
      


予想通り定刻には出発せず、8:30過ぎてやっと出発。
コンケンからウドンターニー、ノーンカイとタイ東北部を北上していく。
      


タイ側、国境の町ノーンカイに到着。
バスを降り、イミグレーションで出国手続き。
手続きが終わり歩いてゲートを通過した先に、バスが先回りして私たちを待つ。
      
           


タイ-ラオス友好橋を通過。
今、メコン川の上で国境を越えている。
     


ラオス側、ビエンチャンに入国。
入国手続きのため、再度バスを降りる。
バスはまたもや先回りしてゲートの先で私たちがやってくるのを待つ。
だけど、この地点でなぜか私だけとめられパスポートのチェックを再度される。
なぜ? 公用パスポートを見て何やらうなっている職員。
公用パスポートをもっているのは国の関係者。
のわりに、あまりにラフな服装だと怪しまれることがあると笑い話で聞かされたことがあるが
私は今、その状態なのか? 浮き足だった服装がまずかったかな・・・と少し不安。
バスの運転手が降りてきて、
「時間がかかるならバスから荷物を下ろして、次のバスに乗っていけ。」と言う。
いやいやいや! それは困る!お願いだから待って!と懇願。
入国管理の職員は全く急ぐ気配もないし、国境越えからちょっとしたアクシデント。
ここでバスに置いて行かれることは、実際によくあることらしい。
なんだかんだあって、「タイーラオス友好橋」の入国審査を通過。
友好橋「FRIENDSHIP BRIDGE」のハンコが押される。
      


無事 ラオスの首都ビエンチャンに到着。
時間はぴったり4時間。
バスターミナルは小さく、古びたバスがたくさん。
     

私はかなり目立っていたようで、じーっと見られドキッ。
気さくなラオス人から話しかけられてタイ語で話すが、全て通じる。
ラオス人すごい。
日本人だというと、「JICAのボランティアか?」と聞かれ、驚く。
タイではJICAといっても知らない人の方が多く、ボランティアというものが
日本の国が組織立てて派遣しているものだという認識はあまりない。
ちょっと手伝いに来た大学生ボランティアと同様、と受けとっている人も多い。
けれど、ラオスではJICAといえば誰でも知っていて、バスにもODA、
あらゆるところに日本の国旗のマーク、 日本の援助のあとがある。
      


今回、ラオスでは同期の隊員に会うのも目的の一つ。
以前タイにも来てくれた友達と再会。 (→ 過去ブログ「ラオス隊員 コンケン来訪」
サワンナケートからビエンチャンまでバスで10時間かけて会いに来てくれた。
          


ルアンパバーンで小学校教師として活動する同期隊員とも再会。
彼女とはルアンバパーンの寺で、寝転び天井の写真を撮っているときの再会。
両手を広げて飛びついてきた友達。
         


友達のすすめで、写真館でラオス衣装を着ての写真撮影。
頼んでいないのに肌・目の周り、とことん加工が施されているできあがり写真。
自分じゃないぞ、これは。 でも貴重な経験ができた。
    

      


ラオスの隊員ドミトリーにもおじゃま。
タイの隊員ハウスとはまた違う雰囲気だけど、本がたくさんあるところは同じだ。  (→過去ブログ 「隊員ハウスはこんな感じ」
    



懐かしい友達との再会も果たし、乾杯のグラスをならして話に花が咲く。
   


 →「ラオス任国外旅行 ~ルアンパバーンへ~」 へと続く




 ラオス旅行 記事一覧
「ラオス任国外旅行① ~コンケンから出発~」 

「ラオス任国外旅行② ~ルアンパバーンへ~」 

 「ラオス任国外旅行③ ~ルアンパバーン 寺巡り~」

 「ラオス任国外旅行④ ~ヴィエンチャン~」

 「ラオス任国外旅行⑤ ~ラオス旅行から感じたこと~」

「ラオス任国外旅行⑥ ~ラオス グルめぐり~」