ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

ラオス任国外旅行③   ~ルアンパバーン寺めぐり~

2011年05月15日 13時40分29秒 | 旅行
ラオスは今 暑季。最も暑い時期。
もうすぐ雨季のせいか、朝夕には雨季のように雨が降る。
むしむしと押しつけるような暑さの中、世界遺産ルアンパバーンの寺を回る。
自転車を借りて、カメラをもち地図を片手に さあ行くぞ。
天気に左右されながら、時計を見て空を見て、
雨の間は寺の中、貴重な晴れ間に大急ぎで景色のいいところをめぐる。
    





◆◆ ワット・パバート・タイ ◆◆
ルアンパバーンの他の寺とは様式を異にするベトナム風の寺院。
寺院の名前にはベトナム語も併記されている。
ラオスには外国人が多いが、その中でもベトナム人が最も多い。
狭い本堂の中に大きな黄金の寝仏が横たわる。
       
 
     

   ルアンパバーンで最初に訪れたのが、このワット・パバート・タイ。
ふつうほとんどのお寺は無料だが、さすが世界遺産、どこも入場料がかかる。
日本でも京都で支払うのと同じ。
入場料を払おうとしたら、若い僧侶がどこから来たのかと聞く。
日本人でタイから来たというと、
「せっかく来てくれたのだから、入場料はいらない」と受けとらなかった。
100円ほどの入場料だったが、お金の問題ではなくもてなしの気持ちが嬉しい。
スタートから心癒される僧侶に出会った。
   




◆◆ ワット・ホ・シェン ◆◆
日本語を勉強中だというの僧侶が人なつこく話しかけてくれた。
まぶしいくらいのいい笑顔。
    





◆◆ ワット・タートルアン ◆◆
1514年ビスンナラート王によって建立された寺院。
野原にぽつんと立つ。
曲線が女性的なワット・ビスンナラートのすいかの塔に対し、
このタートルアンの塔は男性的な印象で、この2つが対になっているとも言われている。
      

         

        





◆◆ ワット・ビスンナラート(ワット・ビスン) ◆◆
塔の形がすいかを半分に切ったように見えることから、別名 ワット・マークモー(すいか寺)。
本堂の窓はクメール・シャム様式の特徴的なスタイル。
      

       

       

      

外国語文化が流れ込むラオスでは、若い僧侶が英語や日本語を
寺の境内で勉強している光景を目にすることもしばしば。
   

日本語を勉強していた若い僧侶。
屈託のない笑顔が素敵。
    





◆◆ 王宮博物館 ◆◆
かつての王宮邸宅をそのまま利用した博物館。王族の調度品や家具が並べられ、
当時の絢爛豪華なルアンパバーン王国の繁栄を偲べる。
当時はフランスがラオス全土を植民地化していたが、ルアンパバーンだけは保護領として形式上の王政を続けていた。
当時から、国王は完全無欠の最高指導者であり、民にとっては別次元の高貴な人と見なされた。
今も人々は、最後の国王シーサワンォン王の霊がここにいると考え
守衛が家具が動いたのを見た、国王の足音を耳にしたというエピソードもある。
そのため、日が暮れてのち宮殿に来る人は誰もいない。
     
       

たくさんの国の支援を受けてここにある王宮博物館。
屋根はスウェーデン、日本がシロアリ駆除、JICAが空調設備、オーストラリアが写真、フランスが壁画修復というように。
日傘の下で憩う3つの頭をもつ象は力の象徴。
蛇は神様である祖先をあらわし、川に住みラオスの人々を見守っているという。
      


この王宮博物館で活動するシニアボランティアがいるため、案内をしてもらえた。
JICAボランティアはこれまで数人ここに派遣されていて、
私が借りた日本語の音声案内もその方々が作ったもの。
現在いるシニアボランティアの職種は学芸員、写真・ネガ保存。
永年博物館が整理できずにいた写真、ネガ、ガラス原版など約5万点を
時代別、内容別に整理し保存するという活動。
時代が分からないもの、虫食い、写っている人物の特定が難しいもの、
山ほどのアルバム、それを経験10年以上のシニア隊員がこれから整理保存していく。
シニアの知識と技量と専門性。いつも感嘆する。私もこの道でそうなれるだろうか。
     





◆◆ プーシー ◆◆
「仙人の山」という意味。
王宮博物館の向かいにあるルアンパバーンを一望できる高さ150メートルの小高い山。
海抜は700メートル。
かつて2人の仙人が神様に導かれ、この山にたどり着き、ルアンパバーンの街を造ったといわれている。
    

328段の階段を上って頂上へ行くと、そこに立つのがタートチョムシーと呼ばれる仏塔。
メコン川とカーン側の間に広がるルアンパバーンの街が一望できる。
           
     
        

       

          

 
  



◆◆ ワット・パフアック ◆◆
プーシーに登る途中にある寺。さりげなく小さな寺が横道にそれたところにある。
小さな看板が「どうぞ見てください」と、か細くアピールしている。
来た人も通り過ごしてしまいそうな小さな寺。
       

が、この寺がなんともいい雰囲気。
痛みが激しく、他の寺ほどに修復も保存もされていない。
だからこそ、味わいがある。
ほとんどの寺に入場料のかかるルアンパバーンだが、ここは無料。

貝に絵を描いている職人の仕事をじっと見る。
タイ語を完全に理解してくれ、にっこり笑う笑顔があたたかい人だった。
       

        

            





◆◆ ワット・マイ ◆◆
1821年に建立され、建築開始から完成まで50年を要したと伝えられる。
ルアンパバーンの名勝で、正式には「美しい黄金の国土の新しい寺院」という意味を持つ。
その名の通り、ラオスにおける仏教芸術が最盛を誇った時を思わせる絢爛さ。
屋根は五重に折り重なり、典型的なルアンパバーン様式の寺院。
       

      

      
   
本堂の壁に描かれた黄金のレリーフはまばゆいばかり。
インドの叙事詩をモチーフにして仏教の輪廻を表現している。
    

本堂の横には僧侶たちの暮らす部屋があり、学習の部屋があった。
ここで毎日勉強しているのだろう。
       






◆◆ ワット・セーン ◆◆
本堂隣に黄金の仏塔が建つ。
赤い壁に黄金のシャム様式の窓が豪華。
大きな仏像が直立不動で立っているのが通りからも人目をひく。
指をまっすぐに伸ばし 立ち姿が定規を当てたようにまっすぐ。
     

   





◆◆ ワット・パックヘーン ◆◆
寺が密集する大通りにあるが、白を基調とした他とは違う色使いの建物。
ヨーロッパあるいはベトナムの影響があるのか。
    
         






◆◆ ワット・シエントーン ◆◆
ルアンパバーン、そしてラオスの寺院の中で最高の美しさを誇る。
世界遺産ルアンパバーンのシンボル。
末広がりの屋根が幾重にも折り重なるような、大胆に湾曲したデザインが特徴の、ルアンパバーン様式。
レリーフや鎮座する釈迦像たちの指先がなまめかしくて美しいのについつい目がひかれる。

      

      
 
    

  あり得ない手の向きさえも繊細で優雅な姿に。
        


外壁も金の彫刻で彩られ豪華だが、本堂の裏にデコレーションされた
黄金の木が必見。モザイクが美しい。
     

        


八股のおろちを想像させるような豪華絢爛な霊柩車も保存されている。
       


願い後をとしたあと、頭まで持ち上げることができれば願いが叶うといわれる仏像。
私の願い事の後はとんでもなく重く、床から浮くまでで精一杯。どうやら願いが大きすぎたかな。
       






ラオスの仏像はタイのスコータイ、アユタヤなどかつてのタイ王国の影響を受けている。
同様にタイは,スリランカ仏教美術の影響をうけている。

ラオス特有の釈迦像は、仏像の腕が長く腰が細い三角形の体つき、
眉は額の生え際にそっていて、口元はにっこりと笑い、顔は長め、長い首。
足を組んで座り右手を地面につけ、左手を膝に置く手の置き方はコーマインと呼ばれ、
平穏で清らかな心の状態の象徴だという。
   
仏像を見て回って思うこと。
一体一体の細い腰や表情も美しいが、手や指の曲線しなやかさが優雅ではっとするほど美しい。
        







-オチ-
ワットシェントーンを堪能し、そろそろ日も暮れてきたので帰ろうかと思ったら
自転車のカギがない。
ワットシェントーンで落としたとしか考えられないので一生懸命に探す。
本堂や建物は鍵がかけられ扉が閉じられてしまったので、僧侶たちの暮らす部屋まで行って
事情を話し、扉を開けてもらう。
子どもの僧侶たちも一緒に探してくれる。だが見つからず。
てくてく歩いてレンタルサイクルの店まで帰ったころはとっぷりと日が暮れていた。
ごめんなさいとわびると、返ってきた言葉は
「ボウペンニャン!」(タイ語のマイペンライ=大丈夫) びっくりした。
お店の人が一緒に寺まで戻り、カギを壊す。
この時間に待ち合わせた友達も協力してくれ、一緒にみんなでカギを壊す。
    
スペアキー代金を払うことはもちろん、迷惑をかけたことできっとおこられる、
怒らないにしても嫌な雰囲気になると覚悟していたのに、嫌な顔一つせず「ボウペンニャン!」とにこっと笑うお店の人。
友達と待ち合わせているというと携帯電話を貸してくれ、友達を捜しにも行ってくれた。
このラオス人の優しさには いたく感動してしまった。

しかし、まあ、よく落とし物をする私。



    次 「ビエンチャン」へと続く







 ラオス旅行 記事一覧
「ラオス任国外旅行① ~コンケンから出発~」 

「ラオス任国外旅行② ~ルアンパバーンへ~」 

 「ラオス任国外旅行③ ~ルアンパバーン 寺巡り~」

 「ラオス任国外旅行④ ~ヴィエンチャン~」

 「ラオス任国外旅行⑤ ~ラオス旅行から感じたこと~」

「ラオス任国外旅行⑥ ~ラオス グルめぐり~」

















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