ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

ラオス任国外旅行⑤ ~ラオス旅行から感じたこと~

2011年05月17日 03時50分52秒 | 旅行

タイの隣国ラオスに行ってみて感じたことはたくさん。
ラオスの文化を肌で感じたことはもちろん、
ラオスに行ったからこそ分かった、考えたというタイのこともある。
タイにいるだけでは見えなかったものもある。

旅行って、単に気分転換になるだけではなく、
その地の文化に触れて新しい考えが生まれたり、
自国や自分のいる地を客観的に見たり、そして改めて良さを発見したり、
視野を広めていけるものだ。
生徒にもよく、生まれ育った地から出て外から見てみなさい、と言ってきた。

タイに来たことでも、得られた視野は大きい。
外から客観的に見る日本、タイの人たちの目線からの日本、
日本にいたときには見えなかった良さも今はたくさんわかる。
世界の協力隊仲間もきっとたくさんの発見をしている。

どんな形でもいい、海外旅行でもワーキングホリデーでも、バックパッカーでも。
子どもたちにも日本を出て外から自分が生まれ育った国を見てもらいたいと思う。
             (→過去ブログ「世界の協力隊仲間たちの見る世界」

旅行って私にとって大事なもの。
今回のラオス旅行。
寺を巡って町を歩いて、ラオスの人たちと話をして
同期の隊員にも会えた。
いろーんなことを感じた。
          



◆その1◆ ラオス人って幅広い。
まず、ラオスの外国語事情とラオス人の受け入れ土壌の広さ。
メコン川流域では、タイのラジオ放送やテレビ番組が自由に受信でき、
ラオス人は毎日タイのテレビを見ている。
そして、経済開放化政策により生活必需品はタイから購入してきたものばかり。
こういう生活背景から、ラオス人のほとんどがタイ語を理解する。
私のタイ語がラオスでは100%通じるのだ。
これには驚いた。

イサーン語(タイ東北弁)とそっくりというラオス語。
確かにイサーン語に似ているが、聞いていると声調は異なっていて同じではない。
「カオニャオ」(=もちごめ)にしても、声調やアクセントが違う。
ラオス人たちは、ラオス語を母国語としながらも、日常タイ語を聞き取り、
いつも2種類、方言をあわせると数種類の声調を聞き取っている。
そのため、多少声調が違っても幅広く受け止め、理解するのだと思う。

タイ語は声調(単語についた音階のようなもの)に厳しい。
声調を間違うとタイ人はまったく分かってくれない。
ラオスでは多少声調が正しくなくとも、100%通じた。
それは、ラオス人の、
ラオス人以外の話す言葉を聞き取ろうとする気持ちがあってできることであり、
きっとこういうことを言おうとしているんだなという類推する力も優れているように感じる。
いつもなかなか通じないタイ語が、必ず通じる、
必ず受け止めてくれるという喜びをラオスで味わった。

タイに帰り、配属先で会った職員に「あれ?髪を切ったの?」と聞くと
「は?」
2度3度繰り返したが通じず、他の職員が聞き取って媒介してくれた。
が、がっくり落ち込んだ。「髪切ったの?」程度でもこんなに通じないなんて。
ラオスでこういう気持ちを感じたゆえになおさら。

ラオスはフランス領だった背景から、現年齢50才以上で高等教育を受けた人たちは、
フランス語で教育を受けている、そのためフランス語が堪能。
都市部にはベトナム人、中国人、タイ人が暮らすラオス。
ラオスの侵略の歴史、植民地となった悲しい過去が、
今現在ラオスの他国を受け入れる土壌の広さにつながったのかもしれない。
タイは侵略された歴史をもたない。
だからか、自国に誇りを強く持ち、強国であるという思いが強く、そう簡単には歩み寄らない。
だけど、そのプライドがあるからこそこれだけの発展をとげられたのだとも思う。



   
◆その2◆ キープ・バーツ・ドル
ラオスのお金はキープ。
普通、他国に旅行するときにはその国のお金に両替するものだが
ラオスではほぼどの店でもバーツが使える。
そして、ドルも同時に使える。
カンボジアからきた同期隊員はドルを使っていた。
私はバーツを。

ゲストハウスの料金表にも、キープ・バーツ・ドルの表示が。
       

ナイトバザールの小さな露店の売り子でも、「バーツでいくら?」と訪ねれば
ちょっと考えて、キープをバーツに換算して答えてくれる。
ラオス隊員が「タイバーツへの換算はキープを260で割るといい」、と教えてくれたが
そんな計算、すぐにできない。
一生懸命計算しようと思うが、頭がこんがらがり続けた。
バーツ・ドル・キープの3種の通貨を日々 同時に使っているラオス人。
いやいや、すごい。




    
◆その3◆ タイってすごい
すごいところたくさんあるけれど、やっぱり首都バンコクの発展ぶりは尋常ではない。
そして食べものの豊富さ。
屋台の並ぶ量、種類。
これだけ暮らしていてもまだ見たことのない食べものに屋台で遭遇する。
こんなに食が豊かな国はない。
アジア一ではないかと思う。




◆その4◆ 単位が多い。
ラオスのお金はキープ。
これ、1000キープ。
日本円で10円程度。
   

100000キープなどの札もある。
0が多すぎ!
0が多いとこんがらがるし、金銭感覚が狂う。
    

こういうケタの中でバーツ換算もドル換算も瞬時にできちゃうラオス人ってやっぱりすごい。




◆その5◆ 陸続きってすごい。
日本では考えられないが、他国と陸続きなのだ。
だからなのか?携帯電話がしっかりと使えた。
メコン川をはさんで、タイ-ラオス友好橋を渡るとラオス。
友好橋上を鉄道が走り、鉄道でラオスに入ることもできる。
鉄道で国境越え?! そんな経験してみたい!
と、帰りの交通手段は鉄道でコンケンまで、と画策したが
ラオス内の鉄道事情をラオス人たちがあまりわかっていない。
バンコク行きはあるのだが、途中下車のコンケンとなると
みんなはっきりしない。さんざん歩き回って訪ね歩いた結果
未知数が多すぎて断念。
いつか鉄道での国境越えの夢を果たしたいと あきらめていない私。




◆その6◆ 日本頑張ってるぞ。
ラオスではいたるところで 日本人というと「JICAのボランティアか?」と聞かれる。
バスには「ODA(政府開発援助)」と書いてあり、
ラオスと日本の国旗が並んでいる看板もよく見かけた。
タイ-ラオス友好橋や空港、鉄道も日本の資金援助によって造られていて
ラオス人にとって日本は国際協力にあつい国、というイメージのよう。
日本、JICA、国際協力、がんばっているぞ!
    



◆その7◆ 朝夜が早い。
ラオス隊員から聞いていたが、ラオス人は夜早く寝て朝早くから起きる。
昼食は大人も子どもも家に帰って食べるのが一般的で、昼寝は欠かさない。
タイも以前はそうだったのだろうが、近代化の波により、都心部はすっかり様相が違う。
バンコクは眠らない街だ。
  




◆その8◆ 女性はみなシンをはいている。
ラオスの民族衣装シン。
女性がはくスカート。
タイにも民族衣装はあるが、日本の着物と同じように、
ここぞというときにしか着ない。
このシンのような巻きスカートもあるが、田舎で年配の人がはいているのを見かける。
バンコクでは見ることはほとんどない。
だけど、ラオスではみんなはいている。
ラオス隊員もいつもはいているという。
学校の先生も生徒も、郵便局の職員も、屋台のおばちゃんも、みーんなシンをはいている。
    

 


◆その9◆ 国旗がどこにでもある。
タイでもそうだ。
ベトナムにいったときにも、街中で国旗があがっていた。    (→過去ブログ 「ベトナム隊員との再会」
こんなに国旗を見かけない国は日本くらいなのかもしれない。
    



◆その他◆
カンボジアの同期隊員が同時期にラオスに旅行することを、出発直前に知る。
じゃあ、最終日にビエンチャン空港で待とう、ということになる。
ビエンチャン空港に到着すると、なつかしい友達の顔。
「ひさしぶり!!」
     
カンボジアで理数科教師として活動する友達。
アンコールワットをはじめとする遺跡の宝庫シェムリアップにいる。


ラオス隊員、カンボジア隊員、タイ隊員 3国の隊員が
福島の訓練所以来、ビエンチャンで再会。
     


ナイトバザールを見て回ったり
     


再会の祝杯をあげたり
   

突風が吹き始めてお店がどんどん片付けられる中、ぽつんと飲んだり
      


「とまるゲストハウスがなんだかここ来たことあるぞ、っていう懐かしい感じがしたの。
 何でだろうと思ったら、病院! 病院なの!」
と言われてゲストハウスにいくと、確かに。 どこを見ても・・・。
以前病院だったのか、病院として建築中気が変わったのか。
   


大きなお寺、ワット・ミーサイが見下ろせるゲストハウスで
「今日は寝ないよ!話したいことがたくさんあるんだから!」と言いつつ、
旅の疲れからすやすや眠ってしまう友達。
     


早朝、ゲストハウスから出るときには入り口で番をしている人を起こす。
タイではほとんどのホテルやゲストハウス(ちゃんとしたところ)は、
防犯対策でこうやって従業員がドア付近で夜勤する。
    


最後は友達への懐かしい思いをかみしめたり、別れを寂しく思ったり、
旅の思い出を振り返りつつ、一人ソンテウに揺られてバスターミナルへ。
コンケンまで4時間の帰路につく。
4時間・・・。 バンコクに上京するよりも早い。
   



ラオス人はタイ人に比べ、はにかみ屋で照れ屋だった。
カメラを向けると喜ぶタイ人が多いのに対し、ラオス人は恥ずかしそうに撮らせてくれる。
目が合うとイム(ほほえむ)するタイ人に対し、誰もがほほえむけではないラオス人。
が、少し話すとすぐ世話を焼いてくれ、誰もが心根が優しい感じがした。
ベトナムに行ったときには、にこりともしない人々、怒りっぽい人々にびっくりした。 
カメラを向けるとマンゴーを投げられたこともある。
に比べて、穏やかでのんびりとにこにこしているタイやラオスの人たちにはほっとする。
ラオス人は、タイ人に似たところもあり、タイ人よりもすれていないところもあり。
中進国となって行くにつれてタイがなくしていったものもラオスにたくさん
そのまま残っているように感じた。

     

      

      

    

  


               「ラオス グルめぐり」へと続く






 ラオス旅行 記事一覧
「ラオス任国外旅行① ~コンケンから出発~」 

「ラオス任国外旅行② ~ルアンパバーンへ~」 

 「ラオス任国外旅行③ ~ルアンパバーン 寺巡り~」

 「ラオス任国外旅行④ ~ヴィエンチャン~」

 「ラオス任国外旅行⑤ ~ラオス旅行から感じたこと~」

「ラオス任国外旅行⑥ ~ラオス グルめぐり~」

















最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。