私たち青年海外協力隊は、年間20日間までの任国外旅行を認められている。
ただ、どこにでも行っていいというわけではなく、派遣国により渡航先が限定されており、
私のもつ公用旅券(オフィシャルパスポート)にもそれが記載されている。
(→過去ブログ 「これが公用パスポートだ」)
タイの隣国、ラオス人民民主共和国へ任国外旅行。
ສາທາລະນະລັດ ປະຊາທິປະໄຕ ປະຊາຊົນລາວ ラオス人民民主共和国
ラオス人民民主共和国、通称ラオスは北に中国、西にミャンマー、東にベトナム、
南にカンボジア、タイと国境を接する共和制国家。首都はヴィエンチャン。
長い戦乱の歴史をもち、タイやカンボジアの戦乱に巻き込まれ3国に分裂したこと、
隣国に対抗するためにフランス領となること、
第二次世界大戦中には日本に占領されること、
フランス領から独立したのちの長期にわたる内戦、それらの歴史を経て
1975年ラオス人民民主共和国となった国。
急速な社会主義化により、かつてはタイからの国境封鎖も行っていたが、
激しいインフレと日用品の不足を引き起こして社会主義化の緩和にいたる。
国土の多くが山岳地帯であり森林資源が多く、緑豊かな国。
多くがラオ民族、そして少数民族による50以上もの民族が暮らす多民族国家。
ラオスの全人口はバンコクの人口に満たない630万人。
2009年のラオスのGDPは55億ドル(約4500億円)、鳥取県のほぼ4分の1の経済規模。
このラオスと、タイ東北部の関係は密接だ。
メコン川を隔てて目と鼻の先ということもあり、食べもの、言語、生活様式など
共通するするものがたくさん。
そんなラオスに行くのは、派遣前訓練を受けていたときから願っていたこと。
コンケンからはインターナショナルバスが1日2本出ていて
たった4時間でラオスに行ける。
バンコクに行くよりも近くて早い。
ラオスへとバスに乗り、メコン川のラオス-タイ友好橋を渡り入国する。
島国日本では経験できない陸路での国境越え。
考えただけでワクワクしちゃうじゃないか。
7:40 コンケン-ビエンチャンのバス。
前もっての予約ができず、全て当日券のため長蛇の列。
バス内では席がなくて立っている乗客も。
チケット 180バーツ(540円) 540円で国境を越えて外国に行ける。
日本を離れておもしろいなと思うことの一つ。
こういう正式なチケットで苗字がなく名前が書いてあること。
「さちえ」と国際バスのチケットにも記入されている。
予想通り定刻には出発せず、8:30過ぎてやっと出発。
コンケンからウドンターニー、ノーンカイとタイ東北部を北上していく。
タイ側、国境の町ノーンカイに到着。
バスを降り、イミグレーションで出国手続き。
手続きが終わり歩いてゲートを通過した先に、バスが先回りして私たちを待つ。
タイ-ラオス友好橋を通過。
今、メコン川の上で国境を越えている。
ラオス側、ビエンチャンに入国。
入国手続きのため、再度バスを降りる。
バスはまたもや先回りしてゲートの先で私たちがやってくるのを待つ。
だけど、この地点でなぜか私だけとめられパスポートのチェックを再度される。
なぜ? 公用パスポートを見て何やらうなっている職員。
公用パスポートをもっているのは国の関係者。
のわりに、あまりにラフな服装だと怪しまれることがあると笑い話で聞かされたことがあるが
私は今、その状態なのか? 浮き足だった服装がまずかったかな・・・と少し不安。
バスの運転手が降りてきて、
「時間がかかるならバスから荷物を下ろして、次のバスに乗っていけ。」と言う。
いやいやいや! それは困る!お願いだから待って!と懇願。
入国管理の職員は全く急ぐ気配もないし、国境越えからちょっとしたアクシデント。
ここでバスに置いて行かれることは、実際によくあることらしい。
なんだかんだあって、「タイーラオス友好橋」の入国審査を通過。
友好橋「FRIENDSHIP BRIDGE」のハンコが押される。
無事 ラオスの首都ビエンチャンに到着。
時間はぴったり4時間。
バスターミナルは小さく、古びたバスがたくさん。
私はかなり目立っていたようで、じーっと見られドキッ。
気さくなラオス人から話しかけられてタイ語で話すが、全て通じる。
ラオス人すごい。
日本人だというと、「JICAのボランティアか?」と聞かれ、驚く。
タイではJICAといっても知らない人の方が多く、ボランティアというものが
日本の国が組織立てて派遣しているものだという認識はあまりない。
ちょっと手伝いに来た大学生ボランティアと同様、と受けとっている人も多い。
けれど、ラオスではJICAといえば誰でも知っていて、バスにもODA、
あらゆるところに日本の国旗のマーク、 日本の援助のあとがある。
今回、ラオスでは同期の隊員に会うのも目的の一つ。
以前タイにも来てくれた友達と再会。 (→ 過去ブログ「ラオス隊員 コンケン来訪」)
サワンナケートからビエンチャンまでバスで10時間かけて会いに来てくれた。
ルアンパバーンで小学校教師として活動する同期隊員とも再会。
彼女とはルアンバパーンの寺で、寝転び天井の写真を撮っているときの再会。
両手を広げて飛びついてきた友達。
友達のすすめで、写真館でラオス衣装を着ての写真撮影。
頼んでいないのに肌・目の周り、とことん加工が施されているできあがり写真。
自分じゃないぞ、これは。 でも貴重な経験ができた。
ラオスの隊員ドミトリーにもおじゃま。
タイの隊員ハウスとはまた違う雰囲気だけど、本がたくさんあるところは同じだ。 (→過去ブログ 「隊員ハウスはこんな感じ」)
懐かしい友達との再会も果たし、乾杯のグラスをならして話に花が咲く。
→「ラオス任国外旅行 ~ルアンパバーンへ~」 へと続く
ラオス旅行 記事一覧
「ラオス任国外旅行① ~コンケンから出発~」
「ラオス任国外旅行② ~ルアンパバーンへ~」
「ラオス任国外旅行③ ~ルアンパバーン 寺巡り~」
「ラオス任国外旅行④ ~ヴィエンチャン~」
「ラオス任国外旅行⑤ ~ラオス旅行から感じたこと~」
「ラオス任国外旅行⑥ ~ラオス グルめぐり~」
ただ、どこにでも行っていいというわけではなく、派遣国により渡航先が限定されており、
私のもつ公用旅券(オフィシャルパスポート)にもそれが記載されている。
(→過去ブログ 「これが公用パスポートだ」)
タイの隣国、ラオス人民民主共和国へ任国外旅行。
ສາທາລະນະລັດ ປະຊາທິປະໄຕ ປະຊາຊົນລາວ ラオス人民民主共和国
ラオス人民民主共和国、通称ラオスは北に中国、西にミャンマー、東にベトナム、
南にカンボジア、タイと国境を接する共和制国家。首都はヴィエンチャン。
長い戦乱の歴史をもち、タイやカンボジアの戦乱に巻き込まれ3国に分裂したこと、
隣国に対抗するためにフランス領となること、
第二次世界大戦中には日本に占領されること、
フランス領から独立したのちの長期にわたる内戦、それらの歴史を経て
1975年ラオス人民民主共和国となった国。
急速な社会主義化により、かつてはタイからの国境封鎖も行っていたが、
激しいインフレと日用品の不足を引き起こして社会主義化の緩和にいたる。
国土の多くが山岳地帯であり森林資源が多く、緑豊かな国。
多くがラオ民族、そして少数民族による50以上もの民族が暮らす多民族国家。
ラオスの全人口はバンコクの人口に満たない630万人。
2009年のラオスのGDPは55億ドル(約4500億円)、鳥取県のほぼ4分の1の経済規模。
このラオスと、タイ東北部の関係は密接だ。
メコン川を隔てて目と鼻の先ということもあり、食べもの、言語、生活様式など
共通するするものがたくさん。
そんなラオスに行くのは、派遣前訓練を受けていたときから願っていたこと。
コンケンからはインターナショナルバスが1日2本出ていて
たった4時間でラオスに行ける。
バンコクに行くよりも近くて早い。
ラオスへとバスに乗り、メコン川のラオス-タイ友好橋を渡り入国する。
島国日本では経験できない陸路での国境越え。
考えただけでワクワクしちゃうじゃないか。
7:40 コンケン-ビエンチャンのバス。
前もっての予約ができず、全て当日券のため長蛇の列。
バス内では席がなくて立っている乗客も。
チケット 180バーツ(540円) 540円で国境を越えて外国に行ける。
日本を離れておもしろいなと思うことの一つ。
こういう正式なチケットで苗字がなく名前が書いてあること。
「さちえ」と国際バスのチケットにも記入されている。
予想通り定刻には出発せず、8:30過ぎてやっと出発。
コンケンからウドンターニー、ノーンカイとタイ東北部を北上していく。
タイ側、国境の町ノーンカイに到着。
バスを降り、イミグレーションで出国手続き。
手続きが終わり歩いてゲートを通過した先に、バスが先回りして私たちを待つ。
タイ-ラオス友好橋を通過。
今、メコン川の上で国境を越えている。
ラオス側、ビエンチャンに入国。
入国手続きのため、再度バスを降りる。
バスはまたもや先回りしてゲートの先で私たちがやってくるのを待つ。
だけど、この地点でなぜか私だけとめられパスポートのチェックを再度される。
なぜ? 公用パスポートを見て何やらうなっている職員。
公用パスポートをもっているのは国の関係者。
のわりに、あまりにラフな服装だと怪しまれることがあると笑い話で聞かされたことがあるが
私は今、その状態なのか? 浮き足だった服装がまずかったかな・・・と少し不安。
バスの運転手が降りてきて、
「時間がかかるならバスから荷物を下ろして、次のバスに乗っていけ。」と言う。
いやいやいや! それは困る!お願いだから待って!と懇願。
入国管理の職員は全く急ぐ気配もないし、国境越えからちょっとしたアクシデント。
ここでバスに置いて行かれることは、実際によくあることらしい。
なんだかんだあって、「タイーラオス友好橋」の入国審査を通過。
友好橋「FRIENDSHIP BRIDGE」のハンコが押される。
無事 ラオスの首都ビエンチャンに到着。
時間はぴったり4時間。
バスターミナルは小さく、古びたバスがたくさん。
私はかなり目立っていたようで、じーっと見られドキッ。
気さくなラオス人から話しかけられてタイ語で話すが、全て通じる。
ラオス人すごい。
日本人だというと、「JICAのボランティアか?」と聞かれ、驚く。
タイではJICAといっても知らない人の方が多く、ボランティアというものが
日本の国が組織立てて派遣しているものだという認識はあまりない。
ちょっと手伝いに来た大学生ボランティアと同様、と受けとっている人も多い。
けれど、ラオスではJICAといえば誰でも知っていて、バスにもODA、
あらゆるところに日本の国旗のマーク、 日本の援助のあとがある。
今回、ラオスでは同期の隊員に会うのも目的の一つ。
以前タイにも来てくれた友達と再会。 (→ 過去ブログ「ラオス隊員 コンケン来訪」)
サワンナケートからビエンチャンまでバスで10時間かけて会いに来てくれた。
ルアンパバーンで小学校教師として活動する同期隊員とも再会。
彼女とはルアンバパーンの寺で、寝転び天井の写真を撮っているときの再会。
両手を広げて飛びついてきた友達。
友達のすすめで、写真館でラオス衣装を着ての写真撮影。
頼んでいないのに肌・目の周り、とことん加工が施されているできあがり写真。
自分じゃないぞ、これは。 でも貴重な経験ができた。
ラオスの隊員ドミトリーにもおじゃま。
タイの隊員ハウスとはまた違う雰囲気だけど、本がたくさんあるところは同じだ。 (→過去ブログ 「隊員ハウスはこんな感じ」)
懐かしい友達との再会も果たし、乾杯のグラスをならして話に花が咲く。
→「ラオス任国外旅行 ~ルアンパバーンへ~」 へと続く
ラオス旅行 記事一覧
「ラオス任国外旅行① ~コンケンから出発~」
「ラオス任国外旅行② ~ルアンパバーンへ~」
「ラオス任国外旅行③ ~ルアンパバーン 寺巡り~」
「ラオス任国外旅行④ ~ヴィエンチャン~」
「ラオス任国外旅行⑤ ~ラオス旅行から感じたこと~」
「ラオス任国外旅行⑥ ~ラオス グルめぐり~」