ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

家族から見たタイ そこで暮らす私 

2011年04月17日 03時37分18秒 | 日記
 

家族がタイにいた2週間。
いろーーーーーんなことがあった。
私にとってのタイ生活、青年海外協力隊生活は日々貴重なものだが、
家族にとってもタイでの2週間は濃密な時間で、普通の観光ではまずできない経験をし、
驚きや感動やショックの連続だったようだ。
    

さて、家族が帰る前に聞いてみた。



◆驚いたこと◆
・ラフ族フィックカップ村に行く道。あんなところを車が通れるのかと驚いた。
・フィックカップ村。 (→4/15ブログ 「フィックカップ村」
 電気もない自給自足の、全く自分たちとはかけ離れた生活。
 鶏、豚、猫、犬が共生しているのにも、人々の素朴さにも、
 水シャワーの冷たさにも驚いた。
 村の人たちみんなが寄ってきて、私たちを興味深く見ていたのが思い出深い。
・タイ人のみなさんがあまりにも親切なところ。
 日本人だというと誰もが地震津波のことを心配してくれた。
・近所の人の親切さ。家族を大切にすると聞いていたが
 さちえの家族である自分たちもすごく大切にしてくれたところ。
・何もかもがやたらと甘い。たこ焼きかと思ったら甘い。
 何にでもココナッツミルクが入っているし、
 缶コーヒーにブラックと書いてあっても甘い。
         
・さちえがタイ語を話せるだけでみんなが寄ってきて、ぞろぞろと集まり、
 そこからみんなが楽しく話して盛り上がるところ。
 かといって、知り合い同士ではなく通りすがりの人であるところ。
・ソンテウやトゥクトゥクの乗り物。 自分がトラックの荷物になって
 運ばれていく感じで楽しい。
   
・トイレに驚き。 備え付けのシャワーやホースで洗うところ。
 最初は抵抗があったがでも、清潔でいいと思った。
      
・牛。日本とは全く違う。配属先に行く途中の道にいる牛。 できればじっくり牛を見たかった。
   




◆タイの印象◆
・親日家。これほどとは思わなかった。
・笑顔がいい。本当にみんな微笑んでくれる。
・優しい。誰もが優しく、親切な人ばかり。
・人なつこい。知らない人でも人なつこく話す。
・おせっかい。人の世話を焼くのは当たり前のことのよう。
・暑い。
・犬がどこにでもいる。そして幸せそうにどこででも寝ている。
         




◆おいしかったもの◆
  1位 チェンマイSPチキンのガイヤーン (→ブログ 「ガイヤーン」  You-tube 「SPチキンのガイヤーン」
  2位 トムヤムクン
  3位 ソムタム
  4位 ナムプリック
  5位 カオソーイ(チェンマイの美味しい店)
  ほか、なまず。グイッティアオ、アイスティム(パンにはさんでカオニャオが入っているのが、ある種の驚き。食べてよかった。)(→過去ブログ 「アイスティム」
        

          





◆そこで暮らす私を見て思ったこと◆
・タイ人になりきってしまっている。
 足は真っ黒に日焼けして、顔も手も焼けて、もう日本人じゃない。
      さあ どれが私の足だ?
     
・あんなに辛いものに弱かったのに、今は信じられない強さ。
・タイになじんでいる。タイが好きで、タイにあっているんじゃないかな。
 食事でも美味しい美味しいと何でも好き。私たちもおいしいと思うけれど
 さちえほどではない。全てを美味しそうに食べてエライと思う。
・車がどんどん来る道をさっさと横切っていくのはもう日本人じゃない。ついていけない。
    
・センターでは言葉が分からないというけれど、日常生活では不自由していない様子。
 それだけに、活動で使う言葉は日常的ではない複雑さなのだろうと思った。
・近所の人たちの親切に助けられ、支えられている。近所にいい人ばかりで幸せなことだ。
   
・素人から見ればタイ語でちゃんと会話しているなあと思った。
・たくましくなった。何でも自分でやっている。
 「信じられるのは自分」とさちえが言った言葉が印象的。
 人に頼らないという姿勢が以前とは全く違う。
 


  

以上、家族が言ったことそのまま。

最後の、「たくましくなった。」の言葉は嬉しかった。
日本にいたときは、人に依存し、親切にされて愛されて当然と思うところがあった。
だけど、タイで一人生活するうちに、自分でやる、自分で責任をもつということが
できるようになっている気がする。

たとえば、道をタイ人に尋ねると、タイ人は分からないと言うのが嫌な性分で
悪気なく知らない道でも知った風に教えることがしばしばある。
だから、説明されてもそれを鵜呑みにせずに、
必ずほか数人にも尋ねるようにしている。
その結果間違っていても、
そもそも下調べを自分で念入りにしていなかったのが悪い、と思う。
いい意味で、信じられるのは自分であり、結果、何が起きても人が悪いわけではなく
悪いのは自分、責任をとるのは自分、と常に考えるようになった。

日常の些細なことで言えば、「ねえ、それとってー」
と頼ることさえなくなってしまった。
だから、この世話好き頼られ好き、頼り好きなタイの人たちの中では
逆によくないのかもしれないなとも思う。
上手に甘えられて、上手に人を頼って、でも頼りすぎずに生きていくって
難しいことだなと思う。


いろんなことを考え、感じ、過ごす毎日。
たくましく、この暑い国で生きて、私がひとまわり成長していけたらいいな。
家族っていいものだ。
   

家族からの客観的な目は、この1年の自分の変化を振り返る
いいきっかけになった。
ありがとう 私の家族。
      

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