ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

いろんなことがある

2010年09月08日 20時42分26秒 | 日記
外出するときには、ドアの外ノブには錠前をかけています。
それが、2階に移ってからはかみ合わせが悪くて、錠前が入らない。
大家さんに一度言って直してもらったけど、効果なし。
それを、今日職場で話したところ、
昼過ぎに「さちえ、センター長が呼んでるよ。」
行ってみると、

「今から家に行って、カギを直してもらっておいで。」
センター長の奥さんのピーキレイネ(ピーは年上に対して使います。お姉さん、のような感じ)が頼まれて、
センター所属の大工さんまで連れて、家に行ってくれました。
ちょっと話したら、こんなにしてくれるセンター長にありがたい気持ちで一杯。

職場の人を2人もつれて、カギを見てもらうと、
最初は閉まらなかったカギが、いろいろやっているうちに閉まりました。
カギには、コツがあったっていうこと。
一同、「なーーーーんだ!」という感じ。

そこからが。
ピーキレイネがなにやら早口でまくし立て始め、
聞き取れるのは「帰る」「センター」「さちえはここにいる」
何が何やら分からずに、戸惑って、それでも必死で理解しようと頭をフル回転させていると、
「タムガーン!!」(=仕事!!)
仕事があるのに、こんなことで時間をとらせて、って言ってるのかな?
先に帰るから、さちえはもうセンターに戻らなくていいと言っているのかな?
何となくの内容が分かっても、「イエス」か「ノ-」での答えを迫られると
何となくの理解では大事な返答はできないのです。
「コートーカ マイカウジャイ」(ごめんなさい、わかりません)
と言ったところで、イライラして大きな声を出し、
「さちえにもっとタイ語を教えてもらわないと!」
これははっきりと聞き取れてしまった。
そして、さっさと歩いて行ってしまった後ろ姿に、
大家さんのピージョーもかわいそうに思ってか
「さちえは分かってないみたいだよ!」と声をかけてくれたけど。

「迷惑かけてすみませんでした。」と謝りつつセンターに戻ると
みんなが、「どうだったの?」と心配してくれています。
センター長も。
ピーキレイネは 疲れ顔をして、ため息を大きく吐き出し しかめ面で、大きな声で説明します。
会う人会う人に。
私の口ぶりをまねて、さちえはちっともわからなくてこう言ったんだと。
なんとなく見せ物になっている気分です。
「さちえにタイ語を教えてもらわなきゃ。先生はいないの?」
これがまた、はっきりと聞き取れてしまったから、よけい悲しい。

心の中では、言いたいことはたくさんあります。
私にとっては、人によって、話すタイ語の分かりやすさが全く違う。
ピーキレイネは、独特のしゃべり口調で、実はいつも何を言っているか聞き取れない。
方言もある。早口もある。
ゆっくりと話してくれたらもっと分かるのに。
1回目で分からなかったら次は言い方を変えたり、単語を少なくしたり、
2回目、3回目、と、わたし側に近寄ってくれたら私の力でも理解できるはずなのに。
だけど、1回目も2回目も3回目も、言い直すたびに、同じ早さ同じ言葉、だんだんイライラした圧迫感をこちらが感じるだけで、
全く近づいてくれない。
自分の話し方がわかりにくいのかもしれないとは、全く思ってはくれない。
カギにはコツがあったかもしれないけれど、1階にいたときにはするりとしまったカギだった。
外国人の私に、こんな妙なコツがいるつけ方をしたカギ。
「仕事があるのに!」と大声で言いながらも、帰ってきて仕事らしき仕事をしていないピーキレイネ。

だけど、どれ一つとして絶対に言えない。
言うだけのタイ語も持たない。

どれだけ大変だったかを大きな声で説明するピーキレイネの隣で
だんだん、顔に笑顔がつくれなくなってきていたとき、
いつも私に優しく話してくれる ピードン(ドンさん)が
「さちえ、心配いらない。タイ語の勉強が出来るように、タイ語の先生を
何人かでちゃんと探してあげるから。」
いつものことだけど、ドンさんは、ゆっくりと言葉を噛むように話します。
だから、私でも一発で分かります。
「カウジャイカー」(分かりました)
「カウジャイナ。 ゲンマーック」(わかったのね。上出来よ。)
分かる早さで話してもらえたこと、上出来よ、の言葉に胸が詰まる。

ピーキレイネは疲れていたみたい。今日とても。
ここに来てから、いつも楽しくおしゃべりしてくれていたピーキレイネが
私はとても好きだっただけに、今日はすごく傷ついていく気がしました。

もし、日本だったらどうだろう。
その国の言葉がまだうまく使えない人をこんなになじることがあるだろうか。
単身で一人やってきて生活をともにしている外国人を、
この職場から給料をもらっているわけでもないボラティアで来ている人間を
言葉が通じないじゃないのと なじるだろうか。
ない、絶対ない。
この激しさがタイ人の気質の一部なんだ。
こんな一面をもってるんだ。
センターで涙を落とさなかっただけ、頑張ったと思うぞ、と自分を励ました残りの勤務時間。
忘れっぽいのが私の悪いところであり、かついいところ。
だから、寝て少しずつ忘れて、またピーキレイネをだんだん好きに戻ろうと思う。
それに、これしきのこと、みんな経験している、きっと。
世界中にいる仲間も同じ経験をしているんだ。


夕方、そんなことを考えていると、大家さんの ジョーさんが、天井の小さな穴の修理に来てくれました。
手には日本語のポケット辞書。
「さちえ、この本を買ったのは、さちえとしゃべるためだよ。」
私と話すことを考えて、本屋さんでこの本を手にとって考えているジョーさんのことを想像して
胸がぎゅうううです
しついこいくらいにお礼を言ってジョーさんが帰ったあと、今度は奥さんのミアオさんが。

「さちえ、ごはんつくったのよ。タイ料理よ。食べて。」
とゆーーーーーーーーーーーっくりゆーーーーーーーーっくりと話してくれます。
まるで子どもに話すように。
私がゆっくりと話せば分かると思ってくれているんです。
昼間、私がピーキレイネからまくし立てられ理解できない様子を見ていて、夫婦で話したのだろうと思います。
ご飯を食べる間、ずっと横にいて、料理の説明をしてくれるミアオさん。
食べながら、我慢できず涙がポタっと落ちました。

   

どんなことがあったって、いい人の方が絶対に多いんだから
沈んだり浮いたりしながら、「好き」を蓄えていこう。
ちゃんと、タイ大好きになって帰れると思う。