三、タイベン
25.風船屋
雨の日。雄二と池山は二人でアパートの新館の板張りの廊下で、百円で買ったプラモデルのゼンマイ式の自動車でレースをして遊んでいた。
「いくぞ!」
錦林小学校の近くのプラモデル屋は、文房具屋もかねていた。
文房具屋では百円以上かうごとに、十円のサービス券をくれた。雄二たちはサービス券を貯めて、模型を買っていた。
「よし!」
同時に手を離す。自動車を追って歩く。廊下の三分の二くらいで車は止まる。
「この遊びは、あきるな。単純やからな」
池山は口をへの字に曲げている。
雄二らは、新館の出入り口に行く。鉄の階段があり、そこに足を置き座る。
「なあ、池山。ジョンさんのことやけど……」
「なんや、バテレンのことかいな」
池山の表情はお天気のようになった。
「今じゃ、バテレンなんて言わないそうだよ」
「そうなんかい」
どうでもいいという口調だった。
池山にはどうでもいいことでも、ジョンさんにはひどいことをしていると雄二は思っている。
「今はキリスト教徒とか、クリスチャンって言うそうや」
「そうかいな。それが、どないしてん。関係あらへんやろ」
「人身売買もしてへんそうや。家の母ちゃんが言うてたでえー」
「そうか、時代は変ったというわけか」
池山はプラモデルを手にとり見ている。
「曽我のおばあさんも、ジョンさんと、話しているで」
「そうか、そういえば、そうやなー」
池山はうつむき、考えこんでいる。
雨は小さな音をたてて降っている。
「人身売買はしてへんのんか」
落ちてくる雨粒を見ながら、池山は噛みしめて何度か同じ独り言をいった。
「そんなんしていたら、警察が黙ってへんで。それに、ぼくの隣の静ちゃんはクリスチャンやそうや」
「えっ、あの人もバテレンかいな」
「だから、バテレンとは違う」
「そうかいな。あの人、頭のええ人やないかー。京都府立大学へ行ってはるんやろー。それに親孝行やんか。母親がわりもしてはるんやろう。そんな立派な人でも、バテレンなんかいなー」
「だから、バテレンとは……」
雄二は池山と本館の西にある外の共同洗面所で、船をつくって遊んでいる。船といっても、木に釘をうちつけたりしたものだ。サンド・ペーパーや、やすり、のこぎりを使って作っている。
「かまぼこ板あったよ」
池山の妹と弟がやってきた。
「吉坊も作るか」
雄二は笑って誘った。
「無理や」
池山はそっけない。
「無理ちゃう」
吉坊は怒っていった。吉坊は怒ったら言うことをきかない。
「そうか~。恭子、手伝ってやれ」
池山はのこぎりの手を止めていった。
息を切らせて、幸江が走ってきた。手に風船を持っていた。
「風船屋さん、来はったよ」
「なに、それ……。その風船屋さんって」
「見たらわかるって。これ風船屋さんから貰ったのよ。そのかわり、この辺の子どもを集めて来てっていわれたのよ」
それは風船がリンゴの形をしていた。
雄二らはアパートの下の自動車が入れる道に下りて行った。
「この風船は、そんじょそこらにある風船とわけがちがう」
子どもたちは、風船屋さんをとりかこんでいる。かわった商売だなーと思った。
途中から、ジョンさんも見ていた。
「この風船は丸くはならない、長い風船」
ひものような風船をふくらませる。
「そこの子ども、これあげよう」
一軒家に住んでいる子どもが風船をもらった。
「もう、一本、ふくらませるね」
風船屋は赤い顔をしている。
「これ二本なら、チャンバラができる」
風船屋は一軒家の子どもにチャンバラをしかける。
「これなら、棒切れとちがって怪我しない。おかあちゃん、怒らない」
「はははは」
ジョンさんが一人笑っていた。
あんなんで、チャンバラしても、ちっとも面白くない。それに、怪我するほどするわけあらへんやろに。
「それ、ちょぶだい」
いつもの通り、鼻と涎をたらしている吉坊が欲しがった。
「商売物、商売物。買ってよね。さぁ、さぁ、これからがちがう。なにが違うかと言ったら、風船のハチマキを作る」
風船屋はひものような風船のさきを口にいれ、ぽこんと出した。それから、息を思いきり入れ、反対の先を結んだ。ギリッ、ギッ。風船の先を手でねじ曲げる。
「いやーな音」
子どもたちの何人かは大きな声をあげた。
「そう言わない、そう言わない」
風船屋は長い風船の両方の先を、くるくるとからめて鉢巻きをつくった。アパートの子どもじゃない子どもの頭に鉢巻きをかぶせた。吉坊、あんなに欲しがっていたのにと思う。
「次はリンゴの風船をつくりますよ」
風船屋は器用に風船でリンゴの形をつくった。これと同じ物を幸江は貰っていた。
「さぁ、さぁ、そこらにある風船とはわけが違うよ。買った、買ったっー」
「見せてください」
ジョンさんは風船をくまなく見つめている。
「これ、ふつうの風船ね」
ジョンさんは訴えた。
「変なこと言う外人だね。商売の邪魔しないでくれよ」
いがぐり頭の変に愛想のいい風船屋は否定した。風船は高くって、アパートの子どもは買えなかった。
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