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シリーズ・戦争の証言11 中国人強制連行の記録-花岡暴動を中心に-

2009年05月07日 | 読書日記など
『シリーズ・戦争の証言11 中国人強制連行の記録-花岡暴動を中心に-』
   石飛仁・著/太平出版社1973年、1986年10刷

何か今の日本にも、これも似ている感じがします……。
--人間を人間とも思わない人たちが権力をにぎっていたら、とんでもないことになるのは当然の結果ではないか……。



日本人の身代わり……。下「」引用。

「戦争遂行総体が崩壊していく情勢のなかで、その穴うめとして立案された「華人労務者内地移入ニ関スル件」は、一九四二年一一月二七日、東条内閣の閣議で決定された。つぎつぎに「お国のために」死んでいった農民や労働者のかわりに「支那人」をあてることにしたのである。
 このころ、すでに「満州国」内において、毎年百万人以上の労働者の動員がおこなわれていたが、その経験を日本国内にむけて適用することにしたのである(同じように、朝鮮人労働者も「徴用制」によって強制的に連行され、その数は六十万人におよんでいた)。
 現地の収容所から海を越えて日本列島の一三五の事業所へ連行された人員および戦後の送還までの人員数の変動は、つぎのようになっている。-略-」

三光作戦の一つだという。下「」引用。

「中国人狩りのもっとも露骨で残忍な方法は、現地日本軍による住民拉致作戦であった。「兎狩り作戦」と呼ばれるこのおそるべき作戦は、「殺しつくし、焼きつくし、奪いつくす」あの三光作戦の一環をなすものとして、実行されたのである。中国人強制事件は「日本列島にもちこまれた三光作戦」ということができる。
 「兎狩り作戦」の代表的なものは、山東省でおこなわれた第一二軍の大包囲作戦(一九四二年一○月から一二月にかけておこなわれた)、第五九師団の「一九秋山東作戦」(一九四四年)、「二○春山東作戦」(一九四五年一~三月)などであった。
 農民をはじめ、買物にでていた一般住民の無差別な拉致がおこなわれ、軍隊は軍服をぬいで便衣で徴発に参加し、カイライ政府の軍と保安隊や警官をおもてにたてて「戦果」をあげた。その「戦果」競争はしだいにエスカレートして、八路軍であろうが、国民党軍であろうが、日本軍の味方である地方部隊「土匪」「保安隊」「自衛隊」であろうと、これを武装解除して員数をそろえ「戦果」をあげたのである。もちろん「囚人」も多数が「行政供出」された。
 家族をもっているものが全体の約六割をしめ、年令は一一歳から七八歳にわたり、二○~三九歳が七割をしめると「外務省報告書」にはあるが、実際には日本に連行されるまでに多くの老人が死亡している。」

抵抗闘争もかなりの数あったようだ……。下「」引用。

「中国人は苛酷な労役と残虐な管理によって死においつめられながらも、しばしば断固たる抵抗闘争をおこした。その「抵抗・反乱」は「外務省報告書」にのっているものだけでも一八件にのぼっている。
 その規模において最大であり、時局において最小鋭であった鹿島組花岡事業所での反乱(わたしは、本稿においてその全貌を提出する)をはじめ、「打倒日本帝国主義」「世界公敵日本」と壁に書かれた抵抗の様相が全国の事業所で展開されていた。
 その一部は「外務省報告書」によれば、つぎのようであった。-略-」

日本軍の徴発(強盗)など……。下「」引用。

「日本軍は、よく強姦をしました。中国人の女を犯すのはわけないし、抵抗すれば殺す。強姦はお金がいりませんからね。ただしタマゴはいる。日本軍はよくタマゴをよく食べましたよ。あれは精力がつくでしょう。それになにより毒が入っていない。それから牛のおしりの肉を切って食べました。日本軍は生きている牛のおしりの肉を切って食べました。日本軍は生きている牛のおさえこんでおしりの肉をナイフで切りとるんです。牛はあばれますよ。」

「まとめ」 下「」引用。

「以上の証言をもとにして、「拉致する日本人」と「拉致されたる中国人」についてまとめてみよう。
1 日本人は、「労務狩り」を中国人をつかってやった。どのばあいでも、通訳とカイライ軍によってことをスムーズにはかどらせようとした。
2 収容所に入れてから、日本行きの編成を組んだ。
3 連行した中国人は、八路軍兵士に限らず農民や商人、さらに日本軍に協力的だった保安隊員まで連行に組み入れ、なにがなんでも日本行きの船におしこめた。
4 日本軍は、中国人を集めるためには手段を選ばなかった。年齢についても制限がなく、傷や病気もかまわなかった。
5 「労工狩り作戦」、別名「兎狩り作戦」は、中国人綏〓(*立に胃)(スイセイ)軍・保安隊二○、○○○~三○、○○○、日本軍一○、○○○の編成で、華北、山東省博山西方地区でおこなわれたものが代表的であり、「一九山東作戦」「二○春山東作戦」で労工狩りをだいだい的に行なった。-略-
6 この強制連行を代行した会社は、おもに財団法人華北労工協会・日華労工協会・国民政府機関・華北運輸公司・福日華工会社などであり、運送は華北交通・東亜海運などがあたった。
7 各事業所ごとに、労務統制帰還である華北労工協会などから通訳が派遣されている。カイライ軍と日本軍ら拉致された中国人は、華北労工協会の手にわたり、厚生省などの手配で各事業所へひきわたされる。各事業所では、中国通の現場監督によって作業ノルマが課せられ、あるいは朝鮮人に作業の指導を受ける。-略-
8 諸悪の根源である「華人労務者内地移入ニ関スル件」の閣議決定が、恐ろしい証言として結果していった。「決定」された一つ一つの条項が恐怖の「事実」を生んでいったのである。」

「作業所別中国人強制連行者数(カッコ内の数は他事業所からの転入)」
鹿島組(現・鹿島建設)、間組、西松組などが並んでいる……。

「II 鹿島組花岡事業所「中山寮」の中国人」
「虐殺の地花岡への旅」

--花岡(秋田)の外国人の数。下「」引用。

「俘虜収容所に囚われていた一、一七○人のイギリス人、アメリカ人、オーストラリア人と、この二、三六七人の中国人を合わせると、じつに三、五三七人が秋田県下にいたことになる。さらにこの地区に連行された朝鮮人(約三、○○○人)を加えると、決して広くない地域に六、○○○人以上の外国人がいたことになるのである。花岡の鹿島組での中国人の暴動がすさまじいものを裏にふくんでいたことを察知するには十分すぎる外国人の数である(後にこの点についてはくわしくふれる)。-略-」








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