『原発をとめる女たち-ネットワークの現場から-』
三輪妙子、大沢統子(編)/社会思想社1990年
帯に書かれてあります。下「」引用。
「脱原発とは人権と自由と出会の総和--。
水俣も戦争ではないのに、じわじわと人を殺していっているでしょう。薬害でもあるし、殺人よね。集団自決させたような沖縄の性格にも通じるわけ。原発も同じことです。……-略-丸木俊」
index
地学の教師もがんばってもらいたいものですね。下「」引用。
「人には核燃の問題に関して、入口がさまざまにあるわけね。自然食のほうから入っていくという人もあれば、耐震設計、建築工学のほうから入っていく人もあるし。それから「あそこはだいたい活断層があるんですよ」という地質の人もいるわけです。それは地元の高校の理科の教師なわけなんだけれども、そういう人たちの話を聞けば聞くほど、核燃へのいろんな疑問が出てきたわけですね。」
村長が、こんなことを言ったとは……。下「」引用。
「一九八四年の一月に核燃立地が新聞に出た後、-略-当時の古川伊勢松村長が、「プルトニウムは毒だという人がいますが、私は信じません」とテレビカメラに向って言った時、私、ゾッと寒気がしたのね。というのは、古川伊勢松たちの無知もさりながら、それをいいことに核のゴミを押しつけて捨てようとするということに非情に腹が立ったわけです。」
原発安全神話といわれるゆえんですね。
--信じるものはだまされる……。
相手がウソつきの場合はそうなるでしょう……。
女たちのネットワーク「りんごの花の会」誕生したという。
--放射能から子どもを守る女たちの集会アピール。
私達は放射能に汚染された故郷を子や孫に残したくありません。
「原発なしでも展望は開ける」
--今では、ますますエネルギーをくう社会をつくってしまいましたね……。
ナガサキの被爆二世の人の文章がありました。下「」引用。
「私の母は長崎で被爆し、その二年後に私は生まれた。それから一八年間、成長期に重なり合うように、戦後の「被爆地」の推移を子どもの心なりに見てきたと思う。高校三年生の時に、一学下の男子生徒のーが白血病で急死し、献血に走り回ることと祈ることしかできなかった私たちに、「被爆二世」ということばが終わることのない放射能の影響を端的に焼きつけるように教えてくれた。」
「東電と共に脱原発をめざす会(東電共の会)」を名乗る。
これも、「そうですね」としかボクにはいえない。下「」引用。
「一つの会社なり一つの国家なりが、これまでの歴史でどれくらい続いたかを考えてみて欲しい。誰が数百年、数千年、数万年も、責任をもってこの危険な物質を管理しますと言いきれるのか。ましてや、数百万年も。」
高木仁三郎氏を1989年2月脱原発語り手養成講座として札幌で開き、60名余の参加。
--これらの参加者は全道の反原発をつなぐ大きなネットとなっていったという。
もくじ
こんなことも書かれてありました。下「」引用。
「このペレット1つで7家庭1年分の電気ができ、5万人のガン死者を出す死の灰が生じます」(北海道原発語り手組合製作シートより)」
逃げるところなしの日本。下「」引用。
「だが、日本中の原発のどこか一カ所でも重大事故を起こしたら、もう逃げるところはないという状況を知った時、すべての「いつかは」は「いま」に変わったのだった。」
でも、金持ちは外国へ行く気だろうなあー。
ローザリー・バーテル氏のインタビュー記事がありました。下「」引用。
「ローザリー 戦争中におもしろいことがありましたね。アメリカでは肉が配給制になり、カナダでは砂糖が配給制になったんです。わずから二、三キロしか離れていないのに、どういうわけか配給制になったものが違うんですよ。アメリカには砂糖がたっぷりあるし、カナダには肉がたっぷり。だから、カナダに行く時は砂糖をいっぱい持っていってあげたし、アメリカに戻って来る時は肉をいっぱいもらってきました。」
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目 次
三輪妙子、大沢統子(編)/社会思想社1990年
帯に書かれてあります。下「」引用。
「脱原発とは人権と自由と出会の総和--。
水俣も戦争ではないのに、じわじわと人を殺していっているでしょう。薬害でもあるし、殺人よね。集団自決させたような沖縄の性格にも通じるわけ。原発も同じことです。……-略-丸木俊」
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地学の教師もがんばってもらいたいものですね。下「」引用。
「人には核燃の問題に関して、入口がさまざまにあるわけね。自然食のほうから入っていくという人もあれば、耐震設計、建築工学のほうから入っていく人もあるし。それから「あそこはだいたい活断層があるんですよ」という地質の人もいるわけです。それは地元の高校の理科の教師なわけなんだけれども、そういう人たちの話を聞けば聞くほど、核燃へのいろんな疑問が出てきたわけですね。」
村長が、こんなことを言ったとは……。下「」引用。
「一九八四年の一月に核燃立地が新聞に出た後、-略-当時の古川伊勢松村長が、「プルトニウムは毒だという人がいますが、私は信じません」とテレビカメラに向って言った時、私、ゾッと寒気がしたのね。というのは、古川伊勢松たちの無知もさりながら、それをいいことに核のゴミを押しつけて捨てようとするということに非情に腹が立ったわけです。」
原発安全神話といわれるゆえんですね。
--信じるものはだまされる……。
相手がウソつきの場合はそうなるでしょう……。
女たちのネットワーク「りんごの花の会」誕生したという。
--放射能から子どもを守る女たちの集会アピール。
私達は放射能に汚染された故郷を子や孫に残したくありません。
「原発なしでも展望は開ける」
--今では、ますますエネルギーをくう社会をつくってしまいましたね……。
ナガサキの被爆二世の人の文章がありました。下「」引用。
「私の母は長崎で被爆し、その二年後に私は生まれた。それから一八年間、成長期に重なり合うように、戦後の「被爆地」の推移を子どもの心なりに見てきたと思う。高校三年生の時に、一学下の男子生徒のーが白血病で急死し、献血に走り回ることと祈ることしかできなかった私たちに、「被爆二世」ということばが終わることのない放射能の影響を端的に焼きつけるように教えてくれた。」
「東電と共に脱原発をめざす会(東電共の会)」を名乗る。
これも、「そうですね」としかボクにはいえない。下「」引用。
「一つの会社なり一つの国家なりが、これまでの歴史でどれくらい続いたかを考えてみて欲しい。誰が数百年、数千年、数万年も、責任をもってこの危険な物質を管理しますと言いきれるのか。ましてや、数百万年も。」
高木仁三郎氏を1989年2月脱原発語り手養成講座として札幌で開き、60名余の参加。
--これらの参加者は全道の反原発をつなぐ大きなネットとなっていったという。
もくじ
こんなことも書かれてありました。下「」引用。
「このペレット1つで7家庭1年分の電気ができ、5万人のガン死者を出す死の灰が生じます」(北海道原発語り手組合製作シートより)」
逃げるところなしの日本。下「」引用。
「だが、日本中の原発のどこか一カ所でも重大事故を起こしたら、もう逃げるところはないという状況を知った時、すべての「いつかは」は「いま」に変わったのだった。」
でも、金持ちは外国へ行く気だろうなあー。
ローザリー・バーテル氏のインタビュー記事がありました。下「」引用。
「ローザリー 戦争中におもしろいことがありましたね。アメリカでは肉が配給制になり、カナダでは砂糖が配給制になったんです。わずから二、三キロしか離れていないのに、どういうわけか配給制になったものが違うんですよ。アメリカには砂糖がたっぷりあるし、カナダには肉がたっぷり。だから、カナダに行く時は砂糖をいっぱい持っていってあげたし、アメリカに戻って来る時は肉をいっぱいもらってきました。」
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