『大久保利通と官僚機構』
加来耕三・著/講談社1987年
いわゆるマキャベリアンの大久保たちが、腐敗政治のシステムをつくりあげたという感じがボクにはした……。
父が流罪……。下「」引用。
「藩主の意向を敏感にくんだ藩庁では、機先を制して、斉彬を支持する核心派勢力を弾圧、死罪十三名を含む五十余名を処分した。」
ひっそりと結婚したという。下「」引用。
「盟友西郷がはなばなしく活躍する姿を横目に、大久保はひっそりと安政四年(一八五七)、二十八歳で結婚している。」
藩政が改められ……。下「」引用。
「ほどなく、藩政が改められ、またしても一転し、斉彬時代の家老島津左衛門が首座家老に復帰したのにはじまり、核心派が再び藩庁に返り咲く。
大久保は、上級藩士でありながら進歩的な小松帯刀を味方にひき入れ、改められたとはいえ、まだまだ閉鎖的な藩政の中枢に彼を送り込む。藩の空気は目に見えて変革されてきた。-略-」
大久保と西郷……。下「」引用。
「だれにでも尻っぽをふれるか、と西郷は思ったのだろう。-略-だが、大久保は、またしても久光と西郷の板ばさみとなって苦悩することになる。」
しかし、公を忘れ私に走ることに価値があるのか……。名目だけ公の大久保たちとしか思えない……。
大久保は薩長同盟は無理だと思っていたところに、龍馬が……。
イギリスと謀略計画……。下「」引用。
「大久保はこの時期、イギリスと連盟を秘かに進めていた。次なる大久保の戦術は、イギリスをたきつけて幕府へ兵庫開港を要求させ、薩摩がそれに反対して、幕府を苦境に陥れるというものであった。」
後藤象二郎は平和的な公武合体論を模索していた。下「」引用。
「後藤のしたたかさは、この案を薩摩藩邸に持参して、大久保らに承諾を得ようとしたところにある。
大久保は内心、しまった、と思ったが顔に出さない。「最初の一撃をもちこたえろ」といったマキャベリの心境であったろうか。
「われわれとしては、国政改革の実があればいいのですから、どうぞお好きにおやりください」
と答えた。-略-」
錦の御旗を愛人に頼む大久保……。下「」引用。
「「錦の御旗が二旒(りゅう)はいる」
と結論すると、愛人の一力亭の娘、おゆうに頼んで錦布を買いに走らせた。」
「大久保弾劾」……。廃藩置県後。下「」引用。
「桐之利秋(中村半次郎)などは、公然と「大久保弾劾」を叫んでいた。」
板垣退助を封じ込めた大久保。下「」引用。
「大久保はそうした板垣に対して、「板垣先生」と、どこまでもていねいであった。
だが、大久保はその言葉の裏で巧妙に板垣を罠にはめていく。
板垣退助は土佐藩高級官僚の出身。本来は保守派であったが、幕末のギリギリの段階で坂本龍馬の革命思想を知り、西郷と出会うことで薩長の武力討幕計画を察知した。-略-」
位うちをした大久保……。つまり、生まれながらの軍人の板垣を、文官コースに向いていないと分析し、参議の要職につけたという……。
西郷がいった「三井の番頭さん=大隈重信」は、佐賀閥にいるより、大久保につくことが有利と考えたようだ……。
腐敗がつづく……。下「」引用。
「山県有朋のひき起こした山城屋和助事件。同じように疑惑のもたれる三谷三九郎事件。井上馨の不正予算作成による大蔵省辞職。京都府参事槙村正直の小野組転籍事件。尾去沢銅山事件等々。」
しかし、数の論理の岩倉……。下「」引用。
「薩摩閥とひと口にいっても、なかには大久保派と西郷派、それに島津久光派もある。ところが長州は一丸となってまとまっていた。「長州プラス薩摩の三分の一」が味方なら、なんとかなる。そう考えてくると、岩倉の持ち前のしたたかさが出た。」
INDEX
もくじ
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加来耕三・著/講談社1987年
いわゆるマキャベリアンの大久保たちが、腐敗政治のシステムをつくりあげたという感じがボクにはした……。
父が流罪……。下「」引用。
「藩主の意向を敏感にくんだ藩庁では、機先を制して、斉彬を支持する核心派勢力を弾圧、死罪十三名を含む五十余名を処分した。」
ひっそりと結婚したという。下「」引用。
「盟友西郷がはなばなしく活躍する姿を横目に、大久保はひっそりと安政四年(一八五七)、二十八歳で結婚している。」
藩政が改められ……。下「」引用。
「ほどなく、藩政が改められ、またしても一転し、斉彬時代の家老島津左衛門が首座家老に復帰したのにはじまり、核心派が再び藩庁に返り咲く。
大久保は、上級藩士でありながら進歩的な小松帯刀を味方にひき入れ、改められたとはいえ、まだまだ閉鎖的な藩政の中枢に彼を送り込む。藩の空気は目に見えて変革されてきた。-略-」
大久保と西郷……。下「」引用。
「だれにでも尻っぽをふれるか、と西郷は思ったのだろう。-略-だが、大久保は、またしても久光と西郷の板ばさみとなって苦悩することになる。」
しかし、公を忘れ私に走ることに価値があるのか……。名目だけ公の大久保たちとしか思えない……。
大久保は薩長同盟は無理だと思っていたところに、龍馬が……。
イギリスと謀略計画……。下「」引用。
「大久保はこの時期、イギリスと連盟を秘かに進めていた。次なる大久保の戦術は、イギリスをたきつけて幕府へ兵庫開港を要求させ、薩摩がそれに反対して、幕府を苦境に陥れるというものであった。」
後藤象二郎は平和的な公武合体論を模索していた。下「」引用。
「後藤のしたたかさは、この案を薩摩藩邸に持参して、大久保らに承諾を得ようとしたところにある。
大久保は内心、しまった、と思ったが顔に出さない。「最初の一撃をもちこたえろ」といったマキャベリの心境であったろうか。
「われわれとしては、国政改革の実があればいいのですから、どうぞお好きにおやりください」
と答えた。-略-」
錦の御旗を愛人に頼む大久保……。下「」引用。
「「錦の御旗が二旒(りゅう)はいる」
と結論すると、愛人の一力亭の娘、おゆうに頼んで錦布を買いに走らせた。」
「大久保弾劾」……。廃藩置県後。下「」引用。
「桐之利秋(中村半次郎)などは、公然と「大久保弾劾」を叫んでいた。」
板垣退助を封じ込めた大久保。下「」引用。
「大久保はそうした板垣に対して、「板垣先生」と、どこまでもていねいであった。
だが、大久保はその言葉の裏で巧妙に板垣を罠にはめていく。
板垣退助は土佐藩高級官僚の出身。本来は保守派であったが、幕末のギリギリの段階で坂本龍馬の革命思想を知り、西郷と出会うことで薩長の武力討幕計画を察知した。-略-」
位うちをした大久保……。つまり、生まれながらの軍人の板垣を、文官コースに向いていないと分析し、参議の要職につけたという……。
西郷がいった「三井の番頭さん=大隈重信」は、佐賀閥にいるより、大久保につくことが有利と考えたようだ……。
腐敗がつづく……。下「」引用。
「山県有朋のひき起こした山城屋和助事件。同じように疑惑のもたれる三谷三九郎事件。井上馨の不正予算作成による大蔵省辞職。京都府参事槙村正直の小野組転籍事件。尾去沢銅山事件等々。」
しかし、数の論理の岩倉……。下「」引用。
「薩摩閥とひと口にいっても、なかには大久保派と西郷派、それに島津久光派もある。ところが長州は一丸となってまとまっていた。「長州プラス薩摩の三分の一」が味方なら、なんとかなる。そう考えてくると、岩倉の持ち前のしたたかさが出た。」
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