磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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核の黙示録

2008年08月19日 | 読書日記など
『核の黙示録』
   A・A・グーハ(著)/保坂一夫(訳)/白水社1985年

外国のSFは呑気なものが多い。
--この本ではやっと、ヒロシマのことを少し知ったという作品である。
しかし、もう水素爆弾も開発されている。こんな甘いわけがない!



ジャーナリストの現実を描いている。下「」引用。

「新聞が無力だったのは、安全保障政策だけでなく、他のどんな政策にも当然むけてしかるべき、ジャーナリストとしてのもっとも単純な疑問を避けてきたためではないのか? その代わりに出版関係者、プロデューサー、編集長、各部局長などは思い上がって国家を支える準政治家の役割を演じ、この「軍拡の狂気」がすでに「腹痛」を起こすに足るだけのものになっているかもしれないのに、こうした事態をたんに正当化し事後承認してきただけなのであり、いずれにしても時々それを伝えてきただけなのだ。「腹痛」のかたちをとった批判的意識。」

結局は、いつものことの一員である……。

ホロコーストのための準備をしていた。下「」引用。

「ところで、核兵器によるホロコーストはすでに長い間準備され、考え抜かれ、予感されてきたので、それはもう私たちには--ちょうど自然死のように--自然の宿命であって犯罪ではないかのように思われる。この戦争が可能となったのは、米ソ両国が精神的、心理的、物質的に比類ないエネルギーを費してこの戦争の準備をしていたからなのである。」

これも現実ですね。
--人類にとって必要でないものを環境を破壊し、ムダなエネルギーを消費してきた……。

教会もまた、いつもの一員がほとんどですね。クエーカー教徒のような人たちもおられますが……。下「」引用。

「おそらく、祈るにはもう遅すぎる。新旧両教会ともに、それを支える人ひどの切なる願いを無視して、「たとえ武器を用いても平和を達成する」というテーゼにしがみついてきた。たしかに両教会は、核兵器の投入はよくないと強調したが、核の抑止力に固執し、抑止政策は「期間を限って」倫理的に正当な「平和保障」政策であるとして、それに祝福を与えた。この期間が過ぎればもちろん核による抑止もモラルにもとることになるとされたが、しかし、両教会ともその期間を明示しなかった。」

歴史の法則をわかっていても、変えられない。下「」引用。

「戦争が起こるときは、それ以前に政治的指導層が必ず精神病的な現実知覚に、すなちわ部分的盲目症に襲われているものである。私にはこのことが、まるで歴史の法則であるかのように思われてくる。」

従軍司祭たちは、戦争……。下「」引用。

「第一テレビではプロテスタントの従軍司祭が時、まことに対照的なことに、第二テレビではカトリックの従軍司祭が説いている。彼らは、神が加護したまう為政者たちを信頼せよと警告する。」

原発周辺の人たちがパニック……。

今度の核戦争ではヒロシマではない。下「」引用。

「ヒロシマとナガサキは再建され--不幸な象徴となった。今日では多くの軍人や政治家は、世界的規模の核戦争には生き残りうるし、勝利しうる、と確信している。犠牲も費用も負担しうる程度なのだ。ヒロシマとナガサキの犠牲者たちも「負担しえた」ではないか。人間は好きなように再生産できる。個人は再生産できないが、それが判るのはようやく自分の死を知るときだ。」

核の冬であると思う……。

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運がよくっても、チェルノブイリ事故のように、その周辺は住むことができなくなるという……。

しかし、日本人には別の地に住むことはできないだろう。
--ごく一部のセレブを除いては……。

あれでも、ヒロシマ・ナガサキはもっとも小さな初期の核兵器という人もいる……。








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