磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ほのぐらい灯心を消すことなく

2007年12月29日 | 読書日記など
『ほのぐらい灯心を消すことなく』
    奥田貞子・著/キリスト新聞社1979年、1980年2刷

著者は山形の基督教独立学園高校の教師だそうです。



六十キロの地点で被爆されたそうです。それでも、こんなに……。下「」引用。

「一九四五年(昭和二十年)八月六日、私はあの時は瀬戸内海の静かな島におりました。六日の朝、原爆が投下され、私たちは何か大変な事が起ったという気配がしました。
 その時、私は病院に行っていました。医師は戦地に言っていたけれど、夫人と看護婦がいたので簡単な注射くらいはしてくれました。八時頃病院に行って、さあ、これから注射をしましょう、と私が腕をのばした時でした。ピカッ!!  と光ったのです。ちょっと頭に釘をさされたようないたみを感じました。注射が終って帰ろうとした時に、右側の首がヒリヒリ、チクチク痛みました。さわってみると火傷をしていました。六十キロメートルも離れた家の中で、私は原爆による火傷をしたのです。」

犬のことが書かれてありました。下「」引用。

「家のなき声がした。その辺を見たがわからなかった。横の家の焼け残りの材木の陰で何か動いたようだった。急いで行って見ると、焼けた家のしたから腕が片方見えている。その腕にくさりがくいこんでいて、犬は離れられなくなっていた。
 かわいそうに、お前のご主人様はもうお前と一緒に歩けないのよ。さあ離してやるからどこへでもお行き。くさから離してやったのに、犬は動こうともしない。主人らしい人の腕をペロペロなめ回したり、自分の足の傷をなめている。そのうちそこにしゃがんでしまった。じーっと私を見ていたが、私が立ってもついてくる様子はない。」

当時、食料難の戦争中。
犬を飼うことは禁じられていた。
それでも、犬を愛する人たちは命令をきかなかった……。
--そのご主人ですからね……。

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「負けてもいい。戦争が終わったほうが」
--こんなタイトルがありました。

私は当時の生まれていませんが。負けてくれてよかったと思う。
--それはケストナーの詩をよむと強く感じます。
でも、最近は戦勝国の戦争にまきこまれそうで、不安です……。
平和日本にふさわしい政治家を望まないといけないと最近強く思っています……。

追記に書かれてありました。下「」引用。

「この日記は、当時の古いザラ紙のノートに当時の鉛筆で書きましたので、ボロボロで頁をくるってしまつたノート、破れたノートです。」






ケイコちゃん ごめんね









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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
訂正 (Jacky)
2009-08-19 12:38:11
学園は山形県にあります。以上。
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訂正感謝! (磯野鱧男)
2009-08-19 19:55:40
創設者が山梨出身のようですね。
返信する

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