『折り鶴の少女』
たいらまさお・作/かみやしん・絵/偕成社1988年
この本の特記することは、
佐々木禎子の兄の作文があります。
はじめはおたふくかぜかと思われていました。
そしてABCCで診断してもらうことになり、
赤十字病院に入院することになります。
ABCCの検査は辛かったようです。
いい薬もあったようですが、
禎子の家も貧乏でした。下「」引用。
「そのはん点は、コーチゾンというくすりを注射すれば、うそのようにきえるのです。それを知っている禎子は、ことばにださないものの、きっと、注射してほしいと思っているにちがいありまん。」
20円を出しあって、謄写版でビラをつくり、
訴えた仲間たちがいました。
NYや世界各地から折り鶴が届くそうです。同。
「たとえば昭和六十年の八月には、アメリカのニューヨークに近いコネチカット州ダリエンの町のロイル・スクールから、「ヒロシマのサダコへ」として、折り鶴が送られてきました。
この学校のダニエルソンという女の先生が、図書室で、エレノア=コアという人の書いた『禎子と千羽鶴』という本を見つけ、クラスの子どもたちにそれを読んであげました。話に感動した子どもたちは、クラスに〈折り鶴の会〉を作り、鶴を折りはじめることになりました。つごうのいいことにロイル・スクールには、日本人の江口修子という子どもが通っていて、この修子さんが、みんなに折り方を教えたのでした。
この折り鶴は、アメリカの日本大使館から朝日新聞をとおして、広島にとどけられ、〈原爆の子の像〉にささげられました。
アメリカからばかりではなく、イギリス、ニュージランド、オーストラリア、カナダ、西ドイツ、ノルウェー、フィンランド、ソ連など、世界各国の子どもたちから、広島へ折り鶴が送られてきています。」
広島にローマ法王ヨハネ・パウロ二世が来られたことも
書かれてあります。同。
「戦争は人間のやることです。戦争は人間の命をうばいます。戦争は死そのものです。過去をふりかえることは、将来にたいする責任をになうことです。ヒロシマを考えるということは、平和にたいして責任をとることです。」」
兄・佐々木雅弘(まさひろ)の作文が掲載されています。
やさしい妹であったこと。
きれいごとばかりではなく、
きょうだい喧嘩をしたことなども
書かれてありました。
もくじ
たいらまさお・作/かみやしん・絵/偕成社1988年
この本の特記することは、
佐々木禎子の兄の作文があります。
はじめはおたふくかぜかと思われていました。
そしてABCCで診断してもらうことになり、
赤十字病院に入院することになります。
ABCCの検査は辛かったようです。
いい薬もあったようですが、
禎子の家も貧乏でした。下「」引用。
「そのはん点は、コーチゾンというくすりを注射すれば、うそのようにきえるのです。それを知っている禎子は、ことばにださないものの、きっと、注射してほしいと思っているにちがいありまん。」
20円を出しあって、謄写版でビラをつくり、
訴えた仲間たちがいました。
NYや世界各地から折り鶴が届くそうです。同。
「たとえば昭和六十年の八月には、アメリカのニューヨークに近いコネチカット州ダリエンの町のロイル・スクールから、「ヒロシマのサダコへ」として、折り鶴が送られてきました。
この学校のダニエルソンという女の先生が、図書室で、エレノア=コアという人の書いた『禎子と千羽鶴』という本を見つけ、クラスの子どもたちにそれを読んであげました。話に感動した子どもたちは、クラスに〈折り鶴の会〉を作り、鶴を折りはじめることになりました。つごうのいいことにロイル・スクールには、日本人の江口修子という子どもが通っていて、この修子さんが、みんなに折り方を教えたのでした。
この折り鶴は、アメリカの日本大使館から朝日新聞をとおして、広島にとどけられ、〈原爆の子の像〉にささげられました。
アメリカからばかりではなく、イギリス、ニュージランド、オーストラリア、カナダ、西ドイツ、ノルウェー、フィンランド、ソ連など、世界各国の子どもたちから、広島へ折り鶴が送られてきています。」
広島にローマ法王ヨハネ・パウロ二世が来られたことも
書かれてあります。同。
「戦争は人間のやることです。戦争は人間の命をうばいます。戦争は死そのものです。過去をふりかえることは、将来にたいする責任をになうことです。ヒロシマを考えるということは、平和にたいして責任をとることです。」」
兄・佐々木雅弘(まさひろ)の作文が掲載されています。
やさしい妹であったこと。
きれいごとばかりではなく、
きょうだい喧嘩をしたことなども
書かれてありました。
もくじ