磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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折り鶴の少女

2006年05月13日 | 読書日記など
『折り鶴の少女』
     たいらまさお・作/かみやしん・絵/偕成社1988年

この本の特記することは、
佐々木禎子の兄の作文があります。




はじめはおたふくかぜかと思われていました。
そしてABCCで診断してもらうことになり、
赤十字病院に入院することになります。

ABCCの検査は辛かったようです。

いい薬もあったようですが、
禎子の家も貧乏でした。下「」引用。

「そのはん点は、コーチゾンというくすりを注射すれば、うそのようにきえるのです。それを知っている禎子は、ことばにださないものの、きっと、注射してほしいと思っているにちがいありまん。」

20円を出しあって、謄写版でビラをつくり、
訴えた仲間たちがいました。



NYや世界各地から折り鶴が届くそうです。同。

「たとえば昭和六十年の八月には、アメリカのニューヨークに近いコネチカット州ダリエンの町のロイル・スクールから、「ヒロシマのサダコへ」として、折り鶴が送られてきました。
 この学校のダニエルソンという女の先生が、図書室で、エレノア=コアという人の書いた『禎子と千羽鶴』という本を見つけ、クラスの子どもたちにそれを読んであげました。話に感動した子どもたちは、クラスに〈折り鶴の会〉を作り、鶴を折りはじめることになりました。つごうのいいことにロイル・スクールには、日本人の江口修子という子どもが通っていて、この修子さんが、みんなに折り方を教えたのでした。
 この折り鶴は、アメリカの日本大使館から朝日新聞をとおして、広島にとどけられ、〈原爆の子の像〉にささげられました。
 アメリカからばかりではなく、イギリス、ニュージランド、オーストラリア、カナダ、西ドイツ、ノルウェー、フィンランド、ソ連など、世界各国の子どもたちから、広島へ折り鶴が送られてきています。」

広島にローマ法王ヨハネ・パウロ二世が来られたことも
書かれてあります。同。

「戦争は人間のやることです。戦争は人間の命をうばいます。戦争は死そのものです。過去をふりかえることは、将来にたいする責任をになうことです。ヒロシマを考えるということは、平和にたいして責任をとることです。」」

兄・佐々木雅弘(まさひろ)の作文が掲載されています。
やさしい妹であったこと。
きれいごとばかりではなく、
きょうだい喧嘩をしたことなども
書かれてありました。



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