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証言未来への記憶-アジア「慰安婦」証言集-2 南・北・在日コリア編 下

2010年11月02日 | 読書日記など
『証言未来への記憶-アジア「慰安婦」証言集-2 南・北・在日コリア編 下』
   西野瑠美子、金富子、アクティブ・ミュージアム
     「女たちの戦争と平和資料館」・編/明石書店2010年

--証言だけでなく、資料も掲載されてあります。
「[資料紹介]看護婦にされた「慰安婦」たち」林博史・著。下「」引用。

「日本の敗戦後、日本や朝鮮半島などから中国や東南アジア各地に送られた「慰安婦」たちがどのように扱われたのか、ということは大きな問題である。-略-
 戦後、日本軍が作成した文章のなかに、朝鮮女性が敗戦前後に看護婦として登録されたことを示すものがある。金福童さんも、敗戦時に看護婦としての訓練を受けている。金福童さんは陸軍病院に配属されたようだが、ここで紹介するのは海軍について、日本人「慰安婦」を病院の補助看護婦にするように命令したこと、ならびにそうした措置をとったことを示す海軍の電報である。いずれもイギリス軍が日本海軍電報を傍受し、暗号解読をおこなって英訳したものである。-略-」



借金で一銭のお金ももらえなかったという。下「」引用。

「馬山から私を連れてくるためにかかった手続きの費用と旅費一切、そして慰安所で食べたり寝たり着た物にかかった費用、さらに配られた化粧品にいたるまで、すべてが借金として計算されていました。主人が「おまえの借金はこれこれだ」と言えば、それらがすべて借金となりました。何か口答えでもしようものならひどく殴るので、抗議もできません。-略-」

宿所(ベトナム(チョーロン)。下「」引用。

「宿所は全部で一二棟ありましたが、一号から三号までが女の宿所で、四号から一二号までが男の宿所でした。私は一号の宿所に入りました。一つの宿所で何十人がともに過ごすので、班長を決めて秩序を守りました。-略-」

1948年、米軍の慰安婦に……。下「」引用。

「最初始めたのは海雲台の海辺にあった空き家でした。-略-軍人の中には、思い通りにならないと怒り出して、銃まで構える物がいました。ある時、思い通りにならないといって私を田んぼに連れ出し、「両手を挙げろ」と脅かして銃を構えたことがありました。-略-」

黒人の混血児を生んだという。

帰国後、闘病生活の人もいたという……。

「国民基金」詐欺があったという。下「」引用。

「二○○七年三月末、横田弁護士のもとに「女性のためのアジア平和国民基金」から一通のファクスが届いた。それは何と沈達蓮さんの国民基金は、金某氏がの口座に確かに振り込みましたと、口座番号も記されていました。そして、国民基金は三月末日をもって解散することも。口座の名義人は沈さんを尋ねてきたあの男でもなく、沈さんの心当たりのない名前だった。
 このことから、沈さんにの事例に関わった私たちは、韓国、台湾において、他にも「国民基金」の「償い金」を詐欺された人がいたのではないか、少なくとも同じような事例は容易に起こり得たであろうと考えている。」

コンクール大会があったという。

「慰安婦」のカテゴリーの混乱。下「」引用。

「事実、日本軍の「慰安婦」のカテゴリーに対する混乱は、私たちが作業を行っている間にずっと核心の話題であった。「慰安所」の境界はどこからどこまでであろうか? その境界は誰が作ったのであろうか? 日本政府が「慰安婦」の犯罪を認めてない現実における「慰安婦」の境界は、生存者の証言と植民地時期の資料を基に歴史研究者らが作り上げたものであると考えられる。それなら、初期に証言をした生存者たちは現在の生存者たちとお互いに異る種類の「慰安婦」ではないはずなのに、なぜ私たちの作業に関わっている口述者たちは、既存の「慰安婦」ではないはずなのに、既存の「慰安婦」境界の中に入り込むのがこんなに大変だろうか? このような質問と向かい合って答えを見つけながら、私たちは私たちが逃していた重要なことを発見したが、それは口述者の声であった。」

大阪博物館に「日本の看護婦」という説明のついた写真で、看護婦姿を発見したという。
もちろん、最初の慰安婦を隠すためのものだったらしい……。

区長にだまされた。下「」引用。

「一九四三年七月のこと、村の区長が家に訪ねてきて、生活が苦しいのだから仁川に行ってゴム工場で働けばお金をたくさん稼げるから私を行かせろと、父をだましたのです。何も知らないと父と私は、お金をたくさん稼げるという言葉に引き付けられ、承諾していました。
 そのとき村からは、私を含む五人が区長にだまされてついて行きました。ソウルに着いた翌日、私たちは日本の憲兵に引き渡されたのです。-略-慰安所に着いた次の日から、私たちは日本軍兵士を相手に、「性奉仕」を強要されました。-略-」

沖縄・渡嘉敷島の「赤瓦の家」

性病のことも書かれてありました。








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