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磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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「百人斬り競争」と南京事件-史実の解明から歴史対話へ-

2008年11月30日 | 読書日記など
『「百人斬り競争」と南京事件-史実の解明から歴史対話へ-』
   笠原十九司・著/大月書店2008年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「「百人斬り競争」を〈賞讃〉した時代があった。
軍人はなぜ日本刀を携行したのか。「百人斬り」は可能か。「百人斬り競争」は創作記事か。文献史料を徹底的に検証し、歴史学の立場から「論争」に終止符を打つ。」



日本刀は特権クラスの権威を示すものだったという……。下「」引用。

「軍特権クラスの権威誇示
「百人斬り競争」は、向井俊明少尉が「関の孫六」という名刀で、野田毅少尉が「無銘ながら先祖伝来の宝刀」で中国人を斬り殺したという話である-略-戦時中の陸軍部隊の記念写真の類を見ると、最前列の椅子に日本刀を持った将校クラスの軍人が得意然として座っている。海軍でも甲板で、軍装した士官クラスが日本刀を持って最前列に座り、記念写真におさまっている。軍刀は身分・階層制の厳格な日本軍における特権クラスの権威を誇示する象徴でもあった。」

【映画】『靖国YASUKUNI』でも話題になった「靖国刀」も書かれてあった。下「」引用。

「靖国神社の境内には一九三二年に陸軍大臣荒木貞夫の肝いりで刀工集団・日本刀鍛練会鍛冶場が設置され、「靖国刀」といわれた日本刀が造刀された。「靖国刀」の造刀数は年々増加し、日本の敗戦時まで八一○○口を生産したという。」

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日本刀についての本があるという……。下「」引用。

「成瀬関次『戦ふ日本刀』(前述)は、華北戦場での事例があるが、中国戦場で日本刀がどのように使われていたのか、刀剣修理士の立場から考察しているので、「百人斬り」の「傍証」の一つとして大変示唆に富む。」

イザヤ・べンダサンは山本七平の創作人物で実在しないという……。

部下が書いた本もあるという……。下「」引用。

「望月五三郎『私の支那事変』は、野田少尉の「百人斬り」についてこれまでに公表された唯一の現場の目撃記録である。」

こんな新聞記事の紹介もあった……。
「【無手勝流十六人斬り 津・大原鬼軍曹の手記】(『伊勢新聞』一九三八年一月一一日)」
「【伝家の宝刀かざし、敵十五名を斬る 箕曲・森島軍曹の奮戦】(『伊勢新聞』一九三八年一月一二日)」

そして、英雄として、講演もしたそうである……。下「」引用。

「【百人斬の野田少尉 神刀館で講演】(『鹿児島新聞』一九三八年三月二六日)」

英字新聞『ジャパン・アドバタイザー』(The Japan Advertiser)に二度にわたってで報道されたという。
--日本以外では意味がかわったという。下「」引用。

「『ジャパン・アドバタイザー』は、「百人斬り競争」を日本軍将校の英雄的行為として賞賛する意味で報道した可能性があるが、しかしこの二つの英文記事が世界で知られるようになれば、それは異なった受け取られ方をするのは当然であった。-略-」

三百人斬りをした軍人もいたという……。下「」引用。

「“愛刀助広”で三○○人の民間人を虐殺した田中軍吉の訊問がおこなわれた。検察側から『皇兵』のグラビアの「愛刀助広」の写真と、田中が日本刀で一人の民間人の首を斬っている写真が証拠として提示された。」

中国人も歴史的事実としては間違って記憶しているという……。下「」引用。

「紫金山麓において民間人をも対象とした「百人斬り競争」を繰りひろげたという話は、南京攻略戦の激戦地であった同地においてそれが不可能であったことは本書で明らかにしたとおりである。したがって、中国人の「国民の記憶」となった「百人斬り競争」のイメージは、本書が証明してきた史実としての「百人斬り競争」とは異っている。-略-本書の明らかにしたように、南京占領直後の掃蕩戦における「百五十人斬り競争」の結果を考えれば、むしろ「百人斬り」を上回る斬首がおこなわれていた可能性が高く、それこそは南京大虐殺事件の中の行為であったのである。」









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