『週刊金曜日 2011-4-22』
平井安嗣・編/金曜日2011年
特集名 命より電力なのか
チェルノブイリのデモ……。下「」引用。
「四月一七日、まだ寒さの残るウクライナの首都キエフでは、チェルノブイリ原発元作業員約二○○○人が、ロシア政府に対するデモを起こしていた。不十分な医療費補助や年金の減額に対して、二五年たった今でも、当事者たちは生存権獲得へむけて抗い続けている。」
目 次
学童疎開を要請したい。下「」引用。
「フランスの独立系放射能測定機関ACROと「福島老朽原発を考える会」が四月上旬に行なった福島県放射線モニタリング調査によれば、福島市を含む県北・相双の小学校や幼稚園などの校庭で、サンプリングのうち二割で大気中(地上一メートルからむ計測)から毎時二・三マイクロシーベルト以上の放射線量が検出され、土壌でもヨウ素、セシウム137の汚染が高いことが確認された。代表の阪上武さんは「学校単位の学童疎開の検討を行なうように、各自治体に要請した」と警鐘を鳴らす。」
グラウンドから消えた子どもたち……。下「」引用。
「福島市の教育委員会は、同市にある二一の公立学校の屋外での活動のすべてを停止させている。今月六日に始業式を迎えた福島第一中学校では、3・11以降、グラウンドから人影が消えた。陸上部の生徒たちは、廊下にハードルを並べて練習に励んでいるという。」
政治災害=「新基準」 下「」引用。
「原発大国フランスの『ルモンド』紙(三月二四日付)は、パリ大学ポール・ジョバン准教授のインタヴューを紹介し、作業員の被爆量を上限引き上げが、「補償請求から免れるための方便である可能性」を指摘し、異議を唱えている。健康を脅かすような「新基準」の設定は、自然災害と同等、あるいはそれ以上深刻な、政治災害をもたらす危険性がある。遅すぎた「レベル7」の発表といい、納得のいく説明もないまま引き上げられる被曝限度量といい、納得のいく説明もないまま引き上げられる被曝限度量といい、日本の民主主義は、事故のあった原発施設以上に汚染されているのではないか。」
「福島第一原発二○キロ圏内をゆく
防護服の報道陣と防護服なしの幼児」永尾利彦(写真・文)。下「」引用。
27「役場近くでも六・四マイクロシーベルト。だが、道路脇では三人の住民をなごやかに談笑していた。
「かなり高い放射線量が出ていますが」と話しかけてみた。三人のうち一人の男性(六一歳)が答えた。
「一度は自主避難したけんど、生活できないっぺ」
その男性の四歳になる孫が、役場で配られたという水のペットボトルを持って家から出てきた。幼児が防護服も着ないでこんな高濃度の中で生活している。一・三マイクロシーベルトで防護服を着ている機動隊員と報道陣。六・七マイクロシーベルトで何の防護もしていない飯舘村の幼児。守るべき者の優先度が倒錯している(注2)。-略-
(注2)その後、飯舘村は村独自の判断で、四月一三日から三歳未満の乳幼児やその保護者、妊婦の村外避難を始めた。」
index
波江町からの原発避難民。下「」引用。
「波江町から、福島市に避難してきた松本重子さんの言葉は、今も私の心を揺さぶる。
「国も東電も肝心なことは言わない。私たちは見捨てられたんだ」」
「原発の“長所”強調してきた副読本 高木文科相「見直し」明言」
「フィンランド 福島事故の影響で原発支持率低下 一方「自国の原発は安全」も多数」
「まさか! 原発で暮らす避難者たち
宮城県や女川町はなにをしているのか」本誌取材班。下「」引用。
「東北電力女川原発(宮城県女川町)にいまも多くの避難者がとどまっている。大震災発生直後に“緊急措置”として逃げ込むのはやむを得ないかもしれない。ただ、一カ月以上経ったのに、子どもたちを含む多くの人々がなぜ今もいるのか。」
「都市部を特別管理地域に」高田久代。下「」引用。
「加えて同じ線量でも人口密度が高ければ高いほど、健康被害のリスクが統計的に増すにもかかわらず、住民に知らされていません。約六○キロ離れた人口密集地の福島市や郡山市では、場所によっては一時間あたり二~四マイクロシーベルトという高い数値が出ました。これだと、二五○時間~五○○時間、つまり数週間で年間被曝限定量を超えてしまいます。
チェルノブイリ事故では、周辺地域で避難指示が示された際の基準となった年間限定量が五ミリシーベルトでした。そうすると県の都市部では、五○日から一○○日程度でチェルノブイリ事故当時の限定量すらも超えてしまう計算です。
しかしながら私たちの調査スタッフは、住民が正しい情報を与えられておらず、マスクすらしないまったくの無防備で外出するなど通常通りの生活を続け、子どもたちが屋外を走り回ったり、土をいじったりしている状態を目にして衝撃を受けました。汚染防止のマスクを身に付けた私たちスタッフの姿が、住民にとっては奇異に映っているほど。できるだけ速やかに、放射線の影響を受けやすい子どもや妊婦の優先的な避難が必要です。-略-
チェルノブイリ事故では少なく見積もっても、これが原因でがんや白血病などで四○○○人が亡くなられたとされます。私たちの試算では二五万人ですが、チェルノブイリよりも今回の事故の方が、汚染地域の人口がはるかに多い点に留意せねばなりません。」
「市町村を侵食した“原発マネー” なぜ自治体は原発を受け入れたのか」 下「」引用。
「住民の安全と引き替えに、自治体が得てきたものは何か。そこには一度味を占めれば止められない“原発マネー”のうま味がある。」
「原発マネーで潤った大熊町と一円も入らない南相馬市」
「原発に歯向かって“抹殺”された佐藤栄佐久前福島県知事に聞く 原子力政策全体の体質・体制が問題」
「原発幇間」に卑劣が上塗り 蟹瀬さん、あんたは酷すぎるよ」北原みのり(ラブピースクラブ代表)。下「」引用。
「「逃げた。とにくか逃げた」国際ジャーナリスト蟹瀬誠一のブログ“世界の風を感じて”より(三月二九日)。
「完全無欠な機械も人間も存在しない。だから事故は必ず起きる」
そんな蟹瀬氏は、今、世界のどこかで風を感じていらっしゃるかもしれないが、ここまで卑劣な男が存在することに、私は大袈裟でなく、恐怖しています。
蟹瀬さんさ、あんたがメディアで喧伝してきた「クリーンエネルギー」の落とし前、なぜつけない? もちろん逃げたっていい。でもせめて黙ってお逃げなさいよ。「逃げた。とにかく逃げた」ってり、かっこつけるなよ。ましてや、「事故が起きた場合のリスク管理(中略)を主張し続けてきた」とか、まるで脱原子力発電派だったかのような嘘までつくなんて!
原発幇間のジャーナリストやタレントたちは、東電が雇う専門家たちに、きっとものすごい勢いで洗脳され本気で原発の安全を信じちゃったんだろうな、と思っていた。たとえば勝間和代氏は、3・11後もブログで「原子力のリスクの大きさ(中略)は人によって感受性が違いますので、許容すべきと言い切れないでしょう。しかし、だからといって、全否定をしても、何も進まない」とか、「(地震や津波での)死者の数に比べ、(原発事故の)報道は大きすぎる」とテレビで発言していた。狂ってるし、勉強不足だし、どうかしていると思うけど、筋は通っている(その後、認識が甘かったと発表)。
だからこそよけいに思う。本気で信じていないものを、喧伝し続けた蟹瀬氏の酷さ。原発幇間に卑劣が上塗りされたら、もう人に対する絶望しか見えてこない。これはあまりに酷すぎる。」
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平井安嗣・編/金曜日2011年
特集名 命より電力なのか
チェルノブイリのデモ……。下「」引用。
「四月一七日、まだ寒さの残るウクライナの首都キエフでは、チェルノブイリ原発元作業員約二○○○人が、ロシア政府に対するデモを起こしていた。不十分な医療費補助や年金の減額に対して、二五年たった今でも、当事者たちは生存権獲得へむけて抗い続けている。」
目 次
学童疎開を要請したい。下「」引用。
「フランスの独立系放射能測定機関ACROと「福島老朽原発を考える会」が四月上旬に行なった福島県放射線モニタリング調査によれば、福島市を含む県北・相双の小学校や幼稚園などの校庭で、サンプリングのうち二割で大気中(地上一メートルからむ計測)から毎時二・三マイクロシーベルト以上の放射線量が検出され、土壌でもヨウ素、セシウム137の汚染が高いことが確認された。代表の阪上武さんは「学校単位の学童疎開の検討を行なうように、各自治体に要請した」と警鐘を鳴らす。」
グラウンドから消えた子どもたち……。下「」引用。
「福島市の教育委員会は、同市にある二一の公立学校の屋外での活動のすべてを停止させている。今月六日に始業式を迎えた福島第一中学校では、3・11以降、グラウンドから人影が消えた。陸上部の生徒たちは、廊下にハードルを並べて練習に励んでいるという。」
政治災害=「新基準」 下「」引用。
「原発大国フランスの『ルモンド』紙(三月二四日付)は、パリ大学ポール・ジョバン准教授のインタヴューを紹介し、作業員の被爆量を上限引き上げが、「補償請求から免れるための方便である可能性」を指摘し、異議を唱えている。健康を脅かすような「新基準」の設定は、自然災害と同等、あるいはそれ以上深刻な、政治災害をもたらす危険性がある。遅すぎた「レベル7」の発表といい、納得のいく説明もないまま引き上げられる被曝限度量といい、納得のいく説明もないまま引き上げられる被曝限度量といい、日本の民主主義は、事故のあった原発施設以上に汚染されているのではないか。」
「福島第一原発二○キロ圏内をゆく
防護服の報道陣と防護服なしの幼児」永尾利彦(写真・文)。下「」引用。
27「役場近くでも六・四マイクロシーベルト。だが、道路脇では三人の住民をなごやかに談笑していた。
「かなり高い放射線量が出ていますが」と話しかけてみた。三人のうち一人の男性(六一歳)が答えた。
「一度は自主避難したけんど、生活できないっぺ」
その男性の四歳になる孫が、役場で配られたという水のペットボトルを持って家から出てきた。幼児が防護服も着ないでこんな高濃度の中で生活している。一・三マイクロシーベルトで防護服を着ている機動隊員と報道陣。六・七マイクロシーベルトで何の防護もしていない飯舘村の幼児。守るべき者の優先度が倒錯している(注2)。-略-
(注2)その後、飯舘村は村独自の判断で、四月一三日から三歳未満の乳幼児やその保護者、妊婦の村外避難を始めた。」
index
波江町からの原発避難民。下「」引用。
「波江町から、福島市に避難してきた松本重子さんの言葉は、今も私の心を揺さぶる。
「国も東電も肝心なことは言わない。私たちは見捨てられたんだ」」
「原発の“長所”強調してきた副読本 高木文科相「見直し」明言」
「フィンランド 福島事故の影響で原発支持率低下 一方「自国の原発は安全」も多数」
「まさか! 原発で暮らす避難者たち
宮城県や女川町はなにをしているのか」本誌取材班。下「」引用。
「東北電力女川原発(宮城県女川町)にいまも多くの避難者がとどまっている。大震災発生直後に“緊急措置”として逃げ込むのはやむを得ないかもしれない。ただ、一カ月以上経ったのに、子どもたちを含む多くの人々がなぜ今もいるのか。」
「都市部を特別管理地域に」高田久代。下「」引用。
「加えて同じ線量でも人口密度が高ければ高いほど、健康被害のリスクが統計的に増すにもかかわらず、住民に知らされていません。約六○キロ離れた人口密集地の福島市や郡山市では、場所によっては一時間あたり二~四マイクロシーベルトという高い数値が出ました。これだと、二五○時間~五○○時間、つまり数週間で年間被曝限定量を超えてしまいます。
チェルノブイリ事故では、周辺地域で避難指示が示された際の基準となった年間限定量が五ミリシーベルトでした。そうすると県の都市部では、五○日から一○○日程度でチェルノブイリ事故当時の限定量すらも超えてしまう計算です。
しかしながら私たちの調査スタッフは、住民が正しい情報を与えられておらず、マスクすらしないまったくの無防備で外出するなど通常通りの生活を続け、子どもたちが屋外を走り回ったり、土をいじったりしている状態を目にして衝撃を受けました。汚染防止のマスクを身に付けた私たちスタッフの姿が、住民にとっては奇異に映っているほど。できるだけ速やかに、放射線の影響を受けやすい子どもや妊婦の優先的な避難が必要です。-略-
チェルノブイリ事故では少なく見積もっても、これが原因でがんや白血病などで四○○○人が亡くなられたとされます。私たちの試算では二五万人ですが、チェルノブイリよりも今回の事故の方が、汚染地域の人口がはるかに多い点に留意せねばなりません。」
「市町村を侵食した“原発マネー” なぜ自治体は原発を受け入れたのか」 下「」引用。
「住民の安全と引き替えに、自治体が得てきたものは何か。そこには一度味を占めれば止められない“原発マネー”のうま味がある。」
「原発マネーで潤った大熊町と一円も入らない南相馬市」
「原発に歯向かって“抹殺”された佐藤栄佐久前福島県知事に聞く 原子力政策全体の体質・体制が問題」
「原発幇間」に卑劣が上塗り 蟹瀬さん、あんたは酷すぎるよ」北原みのり(ラブピースクラブ代表)。下「」引用。
「「逃げた。とにくか逃げた」国際ジャーナリスト蟹瀬誠一のブログ“世界の風を感じて”より(三月二九日)。
「完全無欠な機械も人間も存在しない。だから事故は必ず起きる」
そんな蟹瀬氏は、今、世界のどこかで風を感じていらっしゃるかもしれないが、ここまで卑劣な男が存在することに、私は大袈裟でなく、恐怖しています。
蟹瀬さんさ、あんたがメディアで喧伝してきた「クリーンエネルギー」の落とし前、なぜつけない? もちろん逃げたっていい。でもせめて黙ってお逃げなさいよ。「逃げた。とにかく逃げた」ってり、かっこつけるなよ。ましてや、「事故が起きた場合のリスク管理(中略)を主張し続けてきた」とか、まるで脱原子力発電派だったかのような嘘までつくなんて!
原発幇間のジャーナリストやタレントたちは、東電が雇う専門家たちに、きっとものすごい勢いで洗脳され本気で原発の安全を信じちゃったんだろうな、と思っていた。たとえば勝間和代氏は、3・11後もブログで「原子力のリスクの大きさ(中略)は人によって感受性が違いますので、許容すべきと言い切れないでしょう。しかし、だからといって、全否定をしても、何も進まない」とか、「(地震や津波での)死者の数に比べ、(原発事故の)報道は大きすぎる」とテレビで発言していた。狂ってるし、勉強不足だし、どうかしていると思うけど、筋は通っている(その後、認識が甘かったと発表)。
だからこそよけいに思う。本気で信じていないものを、喧伝し続けた蟹瀬氏の酷さ。原発幇間に卑劣が上塗りされたら、もう人に対する絶望しか見えてこない。これはあまりに酷すぎる。」
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