磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

恵子 ゴー・オン

2006年11月13日 | 読書日記など
『恵子 ゴー・オン』
     笹森恵子・著/汐文社1982年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「日米をむすぶ“原爆の語り部”
“原爆乙女”として渡米し、米国永住の道を選んだ恵子。不安と葛藤、そして自立への模索……。在米被爆者として、幾多の苦難と波瀾にみちたその半生を切々と綴った〈愛と平和〉の自伝的メッセージ。」



表紙の絵は、ボストン在住の画家、松本六平さんがかかれてました。

この著者も“原爆乙女”より“ヒロシマ・ガールズ”の方がいいそうです。

“原爆乙女”では原爆が生きているようで、イヤだそうです。

この方は子どもが好きなんだろうなあと思います。

看護婦(現在・看護師)さんをしておられて、新生児をみていて、励まされているように思えたそうです。それが、ゴー・オン! だそうです。

お地蔵様好きの方のようです。

被爆して、火傷がひどく誰かわからないが、住所と名前をうわごとでいっているというので、家族が発見されたという。

重傷なのに、助かったのはお地蔵様のおかげと思われている。そして、今も広島の実家に大切にお地蔵様は祭られているという。

流川教会・谷本牧師の教会の「シオン会」のメンバー。

東大分院に入院

クエーカー教徒のノーマン・カズンズがやってきて面会する。

そして、渡米することになる。

著者はカズンズの家にホームスティされたようです。

英語の勉強はクエーカーの学校。

看護婦として働き、患者さんから、「エンゼル!」と呼ばれたそうです。

二世部隊の人たちのパーティで「クイーン」に選ばれたという。

手術中にヒロシマ・ガールズの中林智子さん死亡。

カズンズは不幸があった日から食事をしていなかったが、恵子の言葉「冬が過ぎたら春がくるのね」で、外食をしたという。外食しない彼、妻も栄養に気をつけていたが、食事をとったことを喜んだという。

秋葉市長もクエーカー教の関係者のように書かれてありました。

息子さんのことをとても大切にされ、息子さんは世界一の母と書いておられます。

シゲコ!-ヒロシマから海をわたって-






もくじ





エンタメ@BlogRanking



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。