『ポプラ・ノンフィクション40
夏服の少女たち~広島・昭和20年8月6日~』
大野充子・著/ポプラ社1989年
この作品はアニメーション(*ビデオでは実写も一部ありました)にもなっています。
今ではDVDで販売されているようですよ。
表紙の裏にはこう書かれてあります。下「」引用。
「昭和二十年四月、広島(ひろしま)の女学校に大ぜいの少女たちが入学した。第二次世界大戦は終わりをつげようとしていた。少女たちの日常生活にも、戦争は、その影を確実におとしていた。
六月、少女たちは、母親などの着物をほどいた布で、自分たちの夏の制服をぬいあげた。色もがらもふぞろいな夏服だったが、その夏服には少女たちの夢と希望がぬいこまれていた。
八月六日、少女たちはその夏服を着て、作業にでかけていく……。
少女たちの上級生だった著者が、少女らの日記をもとにしてえがいた、広島の小さな記録。あなたへの重い手紙--。」
宮島線などが出てきます。
登場人物のなかで、宮島に住んでいる方がいます。
もし、あの日、母親のいわれたように、
熱があるのだから、学校を休んでいたら、
原爆にあわなかったかもしれない。
人間の運命というものは、「もし……」はない
だろうけど。やはり、思ってしまいます。
平日は、五時間授業で、
土曜日は四時間授業だったみたいです。
カナダは敵国だと知られていたようです。
奥津牟(おくつひとみ)さんの日記帳の写真がある。
まるで学級日誌を思い出すような感じのものです。
名札の布には、血液型まで書いてありました。
夏服の少女たち
第一県女追憶之碑 【中国新聞】(2006/07/17)
もくじ
夏服の少女たち~広島・昭和20年8月6日~』
大野充子・著/ポプラ社1989年
この作品はアニメーション(*ビデオでは実写も一部ありました)にもなっています。
今ではDVDで販売されているようですよ。
表紙の裏にはこう書かれてあります。下「」引用。
「昭和二十年四月、広島(ひろしま)の女学校に大ぜいの少女たちが入学した。第二次世界大戦は終わりをつげようとしていた。少女たちの日常生活にも、戦争は、その影を確実におとしていた。
六月、少女たちは、母親などの着物をほどいた布で、自分たちの夏の制服をぬいあげた。色もがらもふぞろいな夏服だったが、その夏服には少女たちの夢と希望がぬいこまれていた。
八月六日、少女たちはその夏服を着て、作業にでかけていく……。
少女たちの上級生だった著者が、少女らの日記をもとにしてえがいた、広島の小さな記録。あなたへの重い手紙--。」
宮島線などが出てきます。
登場人物のなかで、宮島に住んでいる方がいます。
もし、あの日、母親のいわれたように、
熱があるのだから、学校を休んでいたら、
原爆にあわなかったかもしれない。
人間の運命というものは、「もし……」はない
だろうけど。やはり、思ってしまいます。
平日は、五時間授業で、
土曜日は四時間授業だったみたいです。
カナダは敵国だと知られていたようです。
奥津牟(おくつひとみ)さんの日記帳の写真がある。
まるで学級日誌を思い出すような感じのものです。
名札の布には、血液型まで書いてありました。
夏服の少女たち
第一県女追憶之碑 【中国新聞】(2006/07/17)
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