磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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原爆症認定訴訟が明らかにしたこと-被爆者とともに何を勝ち取ったか-

2012年08月27日 | 読書日記など
『原爆症認定訴訟が明らかにしたこと-被爆者とともに何を勝ち取ったか-』
   東京原爆症認定集団訴訟を記録する会・編/
     あけび書房2012年

「裁判を支えた東友会事務局」



大臣ウソ……。下「」引用。

「西本 あの時の発言は、マスコミの方たちもたくさんいたので、とても緊張しました。でも私、大臣に言ってしまいました。「うそばっかり。大臣はうそついた」と。大臣は私の名前を覚えていたけど、何にもしてれないと思ったので、言いました。
 最初にお会いした時、「あなたたちが長崎で被爆してくれたから、僕は生まれたようなもんだ。あれが小倉にの落ちていたら、僕はいないよ」とまで言われたのに。
村田 舛添大臣との2回の面談で、河村健夫衆議院議員が与党プロジェクトの座長として同席していました。」

根を詰めた【松谷訴訟】 下「」引用。

「宮原 松谷訴訟で国が上告したので、上告理由反論書というものをつくりました、みんなで。そのときは、尾藤さんも京都から、それから長崎からも東京からにも、総力を挙げて議論した。最高裁でひっくり返っちゃったら大変だということで、ものすごく根を詰めて上告理由反論書をつくったんです。」

「貴重な専門家証人」 下「」引用。

「坂田 次に、この訴訟はまさに科学的な、また医学的な点でとても大事な訴訟で、放射能の専門家や医学者の関与や協力が重要だったかと思います。1次訴訟から順番で行くと一番初めは沢田昭二先生という放射線部率学の専門家の尋問から始まりました。2番目に被団協の岩佐幹三さんを被爆の実相の立証のため証人申請して、担当が菅井さんと小海さんでした。-略-」

後援会……。下「」引用。

「高橋 「東京おりづるネット」の3代目の事務局長の高橋です。私は18歳の時、1966年8月の第12回原水爆禁止世界大会に参加して、20代で墨田の原水協の事務局長をやり、被爆者支援、核兵器廃絶の取り組みをしてきました。
 そういったなかで1986年の9月に、当時東友会の事務局長だった田川時彦さんのよびかけで、池田眞規弁護士、一橋大学名誉教授の石田忠先生、児童文学者の大川悦生先生と東京被爆者後援会を立ち上げたんです。「われわれ非被爆者は東友会の会員になれない。それなら後援会をつくろう」ということでした。-略-」

「黒い雨」 下「」引用。

「増田先生は、広島で「黒い雨」が降った範囲について詳細な文献・聴取調査をして、広い範囲で「黒い雨」が降っていたことを明らかにしたのでした。これに対して、国は、「降った範囲はもっと狭かった」と反論することはできず、いい加減なシミュレーションをして「影響があった地域は狭かった」と話をすり替えてきたのです。国は、訴訟でも、このすり替えた後の主張を言ってきたのです。
 増田先生は、長い間気象研究所に勤務され、日本の数値予報の草分け的な方です。すり替えた後の国の主張も、シミュレーションの在り方として根本から間違ったものであることを分りやすく説明されました。-略-」

「「はだしのゲン」の衝撃」弁護士 内田耕司。下「」引用。

「さて、初めて見た「はだしのゲン」は、幼い私にとって、それはそれは恐ろしい映画でした。-略-そんなシーンが強烈に焼き付けられました。原爆ってなんて怖いものなのだろう、戦争ってなんて恐ろしいものなのだろう。そう感じたものでした。しばらくの間、夜眠ることすら何だか怖くてしかたなかったものです。」

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「原爆被爆者は自国の戦争被害者です」








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