磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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流動 1982年8月号 全記録ドキュメント・昭和20年

2008年10月18日 | 読書日記など
『流動 1982年8月号 全記録ドキュメント・昭和20年』
   円城寺康忠・編/流動出版1982年

昭和20年といえば、敗戦の年ですね。
--その特集記事があります。



被害者になればつらいものです……。下「」引用。

「彼らはわが勇士の髑髏を砲車の上に暴して玩弄するものである。彼らの残忍性は日本軍人の骨で紙ナイフを作る事すら致すのである。したがって市街無差別爆撃を敢えてするに何の不思議もない。」

しかし、日本軍も規模は小さくとも、重慶で同様のことをした……。

「「配給」という言葉」 下「」引用。

「ナポレオンの辞書には「不可能」という言葉あるとか、ないとかの話があるがわれら日本人の辞書に昔から「配給」という言葉があったのか、どうか。ともあれ、これまであまり聞きなれぬこの言葉がいまではわれわれの鼻づら取って引いて引いて引きまわす。ことによったら、いまに空気まで配給になるのではないか。いや、それよりも、仮りにいまのわたしたちが、空気がなくとも生きていけるにしたところで「配給」という言葉なしには一日も立ちゆかない
  (勝矢武勇『ある戦中生活の証言』より)」

「理化学研究所・仁科芳雄書簡(玉木英彦宛)」昭和廿年八月七日夜、東大嵯峨根教授あての降伏勧告書」、「続発する米兵犯罪」なども掲載されていました。

「京都御所の飛行場転用について」 下「」引用。

「昭和二十年十月一日
総司令部への日本政府覚書
 九月二十五日午後二時ごろ、一人乗り米軍機一機が京都御所構内の広場に強行着陸した、との報告が寄せられた。操縦士は、エンジン不調で不時着陸した、といっても、まもなく飛び立った。
 同日夕、第六司令部のカレイン少佐は、京都終戦連絡事務所の中村公つかいを訪れ、この広場を米軍の飛行場として使用のため、引き渡すように求めた。同少佐に対しては、京都御所はこれまで数世紀にわたって天皇の宮殿として使われ、国民の心からの崇拝を受けた場所のため、その要求に応ずることは難しいと説明したら、これにより、当該アメリカ将校は、司令部に相談して見ると言い残して立ち去った。
 日本政府は連合国最高司令官に対して、日本の歴史上重要な位置を占め、かつ、全国民から慕われている京都御所を徴用から除外するよう、格別なご配慮を賜わるようお願い申し上げます。」

御所を飛行場に……。


「始まっている死の行進
餓死はすでに全国の街へ」
というタイトルあり。 下「」引用。

「瑞穂の国」日本は飢ゑつゝある。「死の行進」が徐々にではあるが、すでに始まってゐるのだ。飢餓にたふれる人の数は日を追うて殖えつゝある。以下、東京をはじめ全国主要地の飢餓状況を報告する。-略-」

「目立つ散切り力士」 下「」引用。

「小春日和の十六日を迎えた秋場所は終戦後、初の国民慰安として戦災の跡も生々しい国技館に蓋を開けた。初日行事も滞りなくすみ、好角家の出足もよく十日間の盛況が予想される。目立つのは坊主頭復員力士の数の夥しさ……
 横綱土俵入りの舞踊美は相不変ながら右に控えた太刀持ちが意外に太刀を軽く扱うので聞いて見たら、今場所から中身はマックアーサー司令部の進上、竹光に代ったとのこと、太刀持ちの日く--二貫もあったのが、五百匁に減ったおかげで楽ですわ--
 (「朝日新聞」昭和二十年十一月十七日)」









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