『被爆のマリア』
田口ランディ・著/文藝春秋2006年
帯に書かれてあります。下「」引用。
「平和がいちばん怖い。
60年後の原爆小説!
無原罪のマリア像が見つめる。
現代の闇。著者渾身の問題作。」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/00/d46fc365c8471d44c6d566a0fdfb0d8f.jpg)
この本には理解できない部分が多々ありました。
「磐神」宮野初子という本が事実として、
自費出版でだされたのでしょうか?
創作なのでしょうか?
このような本はこの本しかないように書かれています。
“いたこ”のような作品。
詩でならたくさんあるとボクは思います。
このことが出てくる前からも、井上光晴の作品を彷彿させるものがありました。
でも、免疫があるので、どうも若いころのようには受け止められませんでした。
この本の中でも、紹介されていたロバート・リフトンの「死の内の生命」。
この本を若いころ読んで怒ったのを思い出します。
秋葉さんも若いころには怒っておられました。
しかし、原田東岷によれば、日本語訳がよくないそうです。
このリフトンの本をほめる方は、他にもおられます。
実に意味深いことです。
すべての人は原爆にあったのです。
精神的にはそうだとボクには思います。
それほどの威力ですね。
そして、精神に大きなケロイドをもっている人たちがいます。
アメリカ人の方がその傷は大きいと思います。
精神的なものが理解できない方は、
「何のこっちゃ?」
となるかもしれませんね。
簡単に書けば、刹那主義に陥ったということです。
上辺だけでしか感じられなくなっています。
鉄火場のようにきったはったのような人生。
刹那主義と観念が交錯するドラマ。
まあ、こうなれば、何でも作者の自由です。
自由という地獄。平和という危険。
大きなケロイドをもたれています。
アダルトチルドレンについても出てきますが、観念的です。
天童荒太作品のように、立ち向かってはいません。
精神にできたケロイドをとりさるのは、薬でも外科的手術でも困難ですね。
自分自身で立ち向かうしかないのでは?
そして、なかなかとれるものではない。
精神のほうがやっかいと書く方もおられます。
それは自覚しておられない人の方にもっとひどいものですね。
核兵器、こんなものがなかったら、ボクらの人生もかわっていたと思います。
Index
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田口ランディ・著/文藝春秋2006年
帯に書かれてあります。下「」引用。
「平和がいちばん怖い。
60年後の原爆小説!
無原罪のマリア像が見つめる。
現代の闇。著者渾身の問題作。」
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この本には理解できない部分が多々ありました。
「磐神」宮野初子という本が事実として、
自費出版でだされたのでしょうか?
創作なのでしょうか?
このような本はこの本しかないように書かれています。
“いたこ”のような作品。
詩でならたくさんあるとボクは思います。
このことが出てくる前からも、井上光晴の作品を彷彿させるものがありました。
でも、免疫があるので、どうも若いころのようには受け止められませんでした。
この本の中でも、紹介されていたロバート・リフトンの「死の内の生命」。
この本を若いころ読んで怒ったのを思い出します。
秋葉さんも若いころには怒っておられました。
しかし、原田東岷によれば、日本語訳がよくないそうです。
このリフトンの本をほめる方は、他にもおられます。
実に意味深いことです。
すべての人は原爆にあったのです。
精神的にはそうだとボクには思います。
それほどの威力ですね。
そして、精神に大きなケロイドをもっている人たちがいます。
アメリカ人の方がその傷は大きいと思います。
精神的なものが理解できない方は、
「何のこっちゃ?」
となるかもしれませんね。
簡単に書けば、刹那主義に陥ったということです。
上辺だけでしか感じられなくなっています。
鉄火場のようにきったはったのような人生。
刹那主義と観念が交錯するドラマ。
まあ、こうなれば、何でも作者の自由です。
自由という地獄。平和という危険。
大きなケロイドをもたれています。
アダルトチルドレンについても出てきますが、観念的です。
天童荒太作品のように、立ち向かってはいません。
精神にできたケロイドをとりさるのは、薬でも外科的手術でも困難ですね。
自分自身で立ち向かうしかないのでは?
そして、なかなかとれるものではない。
精神のほうがやっかいと書く方もおられます。
それは自覚しておられない人の方にもっとひどいものですね。
核兵器、こんなものがなかったら、ボクらの人生もかわっていたと思います。
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