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「龍馬伝」と「竜馬がゆく」の違い

2010年02月08日 | 読書日記など
「龍馬伝」と「竜馬がゆく」の違い


ネットの記事があった。

この記事には間違いがある……。

まあ、ザーと考えるので、こちらが間違いかもしれないが……。

漢字の選択は司馬遼太郎という著者にはできなかっただろう……。下「」引用。

「「そもそも司馬遼太郎氏の小説には本人の想像が多分に含まれていると言われており、史実との相違があることをほのめかす意味で、わざわざ「龍馬」ではなく「竜馬」という漢字を選んだという話もあるのだとか。」

当時、「龍」は常用漢字ではなかったので、むかしは「竜」を使うことが多かった。司馬遼太郎の小説は新聞連載だったので、当然、「竜馬」となったのだろう……。

歴史的事実を書いておられる書物にも、当然、「竜馬」と古い本には用いられている。

しかし、当用漢字が生れる前の、さらに古い書物なら、その適用からはずれるだろう……。

さらに田鶴にもモデルがいたという説もある。下「」引用。

「知人がまず指摘したのが、「平井加尾」の存在。ドラマでは広末涼子が演じる龍馬の幼なじみとして物語にも大きく関わってくるが、「竜馬がゆく」においてはこのような人物は登場しない。代わりといっては何だが、小説では竜馬の初恋相手として、「福岡のお田鶴様」という、土佐藩に仕える家老の娘が登場するらしい。加尾とお田鶴様とは別人物だが、お田鶴様は平井加尾をモデルとして司馬氏が想像した架空の人物であるという噂もあるのだとか。うーん、ややこしい。ちなみに平井加尾は実在の人物であるとされており、高知市山手町には住居跡の石碑がある。」

ディープな本では、田鶴という人物がいたということも書かれてあります。それには、司馬遼太郎も知っていたのではないか? と書かれてもありますね。

そして、歴史というよりも、作品の小説ではないのか? 下「」引用。

「で、結局、どちらが本当の坂本龍馬なのか? という筆者の問いに対し、知り合いは一言、「人の数だけ、歴史があるんだよ」と言い残し、左手を懐に入れながら、歩き去っていったのであった。」

「竜馬がゆく」も「龍馬伝」もどらちも、創作が入っている……。その点を指摘しておいて、人の数だけとは、どうも納得がいかないが……。

どらちもいいのは、「民主主義」という点である。
このことで、私は龍馬を大きく取り上げたいと思っている。
龍馬の跡を継ぐ者たちが、それからも働き、「議会制民主主義」を日本につくりあげたのだ……。

もくじ

今も、民主主義ではないものを民主主義として錯覚させようとする人物(政治家、学者、マスコミ……)があるが、デモクラシーを龍馬たちは意識していた。

このことが実に大きい。

まだ明治維新にもなっていない俗物が多いのが、今の日本である。
ぜひ、「龍馬伝」を見てもらいたいものだ。

しかし、それより、岩崎弥太郎役の演技がすばらしい。岩崎弥太郎の部分をきりとって、さらに付け加えて、岩崎弥太郎のドラマを特別枠で放送してもらいたいほどである。脇役ではもったいない……。

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金持ちの坊っちゃんの「龍馬」「中岡」「武市」などとはちがう側面がみれることだろう……。








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