磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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禁じられた原爆体験

2007年07月25日 | 読書日記など
『禁じられた原爆体験』
  堀場清子・著/岩波書店1995年

この本を読んで理解できていないところが、たくさんあるに気づきました。これから調べていきたいと想っております。


表紙について
「CCD検閲作業風景(東京)、マッカーサー記念館蔵」

表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「占領直後から4年余り、GHQは日本国中あらゆるメディアにわたる壮大な検閲作戦は展開した。その対象は、新聞・雑誌・書籍はもちろん、同人誌などのミニコミにまで及ぶ、とりわけ原爆にかかわる記述を厳しくチェックされ、被爆直後に書かれた多くの原爆体験が葬り去られるに至った。1981年、著者は、アメリカのメリーランド大学にプランゲ文庫として保管されているGHQの検閲資料に出会う。その膨大な文書の中から、失われた原爆作品を拾い出し、それらの作品や作者がたどった運命を探る作業をとおして、占領下の検閲がどのように行われ、日本人はどう対応したかを明らかにした貴重な記録。」

著者の祖父は医師だったという。当時、大変だったようです。

鳩山一郎が原爆は「国際法違反、戦争犯罪」と語り、その記事を載せたので、発行停止に。

事前検閲の新聞・通信社は、少数でも有力なメディアだったが、部分的には早くから緩和。

日本人の気質がわかるという。下「」引用。

「そして追跡を重ねるごとに、予兆は現実化し、水の流れるように万事を忘れ去る日本人の淡泊さを嘆じ、言論意識の希薄さに鬱屈を深める日々のはじまりとなった。」


栗原貞子さんのことが書かれてありました。下「」引用。

「栗原さんは、夫君栗原唯一氏とともに、戦前からアナキストだった。」

ドラマなどに出てくるアナキストとは感じがちがいますね。

「6『雅子斃れず』『長崎の鐘』--出版への道すじ」という中タイトルがありました。

1993年8月9日夜、NHKスペシャル「あの炎を忘れない--被爆少女の手記とGHQのケンエツ--」を放映で、『雅子斃れず』をとりあげたという。

永井隆の『長崎の鐘』についての検閲。
・著者は死が近い。
・原爆犠牲者の式典で式辞を述べている。
・このままの状態で、出版許可を推薦。
ところが、事態は暗転。下「」引用。

「コステロはたてつづけにチェックシートを発する。まずクンズマンにあて、「貴官に読まれないまま、『長崎の鐘』と題する本が、全面パスの推薦つきで廻ってきた。(略)このような刺激的な内容の小説は、PPBに付託されているキイ・ロゴスにあてはまる」云々。」

筆者永井と式場隆三郎博士を被監視者名簿に。
「マニラの悲劇」とともに、出版許可となる。

『晩鐘』というのには、高齢の方が被爆されたとが書かれてありました。




朝日選書534 原爆 表現と検閲 日本人はどう対応したか







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