『坂本龍馬伝-明治のベストセラー「汗血千里の駒」-』
坂崎紫瀾・著/中村茂生、磯田和秀・訳/東邦出版2010年
「序」に書かれてあります。下「」引用。
「『汗血千里の駒』は、明治十六年(一八八三)に書かれた最初の龍馬伝である。著者は坂崎紫蘭。
そもそも「龍馬」とは、古代中国において霊獣(頭が龍で体が馬)を意味し、「龍駒」とも呼ばれる駿馬のことである。そのことを踏まえ、表題を『汗血千里の駒』としたのだろう。汗血千里の駒もまた、血の汗をしたたらせ、千里を駆けぬける名馬という意味である。」
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近代文学の夜明け前……。下「」引用。
「明治十六年といえば日本の近代文学の夜明け前である。そんな時代に、作家としては駆け出しであった三十そこそこの青年が、よくこんな伝記小説が書けたものだと思うが、著者・坂崎には、後世のほかの作家にはない絶対的な強みがあった。それは龍馬と同じ土佐人で、しかも同時代を生きたということだ。
土佐藩医を父に持つ坂崎が生まれたのは、江戸鍛冶橋の土佐藩邸、黒船来航の嘉永六年(一八五三)のことである。龍馬はちょうどそのころ、江戸で剣術修行中だった。-略-また坂崎は、幼いころ家族とともに高知に移っており、龍馬が西へ東へ奔走していたころ、高知で成長し、学問に励んでいた。龍馬の甥で坂本本家を継いだ坂本直寛(南海男(なみお))とは同い年で、友人でもあった。-略-坂崎にとって龍馬はそれほど遠い人ではなかったのだ。」
全訳ではなく抄訳だという。下「」引用。
「割愛したのは、主に、龍馬に直接かかわりのないエピソードや、龍馬以外の人物が書いた手紙や論文の全文引用などの箇所だ。その結果、分量は原文のおよそ六割となった。」
カバーなどについて。下「」引用。
「逆に間をつなぐため、少々文章を補う作業もあった。実は同じ作業が、明治時代に雑賀柳香という戯作者によっておこなわれている。明治十六年に三分冊で摂陽堂から出版された『汗血千里の駒』は、雑賀によって編集され、タイトルも『汗血千里駒』となったダイジェスト版である。明治期にベストセラーとしてあまた読まれたのは、この版であった。その三分冊(前・後・続)の美しい色刷りの表紙を、本書のカバーにあしらっている。」
「史実」でないところもそのままにしたという。
近藤長次郎……。下「」引用。
「長次郎は町人ながらも名字帯刀が許され、いくばくかの俸給も与えられるようになった。長次郎の父・伝次はそんな息子を誇らしく思い、以前、長次郎をバカにしていた連中は見る目のなさを恥じ、またうらやましく思うのだった。」
「伏見の女将軍」という表現は今ではとらないかもしれない……。
もくじ
目次
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坂崎紫瀾・著/中村茂生、磯田和秀・訳/東邦出版2010年
「序」に書かれてあります。下「」引用。
「『汗血千里の駒』は、明治十六年(一八八三)に書かれた最初の龍馬伝である。著者は坂崎紫蘭。
そもそも「龍馬」とは、古代中国において霊獣(頭が龍で体が馬)を意味し、「龍駒」とも呼ばれる駿馬のことである。そのことを踏まえ、表題を『汗血千里の駒』としたのだろう。汗血千里の駒もまた、血の汗をしたたらせ、千里を駆けぬける名馬という意味である。」
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近代文学の夜明け前……。下「」引用。
「明治十六年といえば日本の近代文学の夜明け前である。そんな時代に、作家としては駆け出しであった三十そこそこの青年が、よくこんな伝記小説が書けたものだと思うが、著者・坂崎には、後世のほかの作家にはない絶対的な強みがあった。それは龍馬と同じ土佐人で、しかも同時代を生きたということだ。
土佐藩医を父に持つ坂崎が生まれたのは、江戸鍛冶橋の土佐藩邸、黒船来航の嘉永六年(一八五三)のことである。龍馬はちょうどそのころ、江戸で剣術修行中だった。-略-また坂崎は、幼いころ家族とともに高知に移っており、龍馬が西へ東へ奔走していたころ、高知で成長し、学問に励んでいた。龍馬の甥で坂本本家を継いだ坂本直寛(南海男(なみお))とは同い年で、友人でもあった。-略-坂崎にとって龍馬はそれほど遠い人ではなかったのだ。」
全訳ではなく抄訳だという。下「」引用。
「割愛したのは、主に、龍馬に直接かかわりのないエピソードや、龍馬以外の人物が書いた手紙や論文の全文引用などの箇所だ。その結果、分量は原文のおよそ六割となった。」
カバーなどについて。下「」引用。
「逆に間をつなぐため、少々文章を補う作業もあった。実は同じ作業が、明治時代に雑賀柳香という戯作者によっておこなわれている。明治十六年に三分冊で摂陽堂から出版された『汗血千里の駒』は、雑賀によって編集され、タイトルも『汗血千里駒』となったダイジェスト版である。明治期にベストセラーとしてあまた読まれたのは、この版であった。その三分冊(前・後・続)の美しい色刷りの表紙を、本書のカバーにあしらっている。」
「史実」でないところもそのままにしたという。
近藤長次郎……。下「」引用。
「長次郎は町人ながらも名字帯刀が許され、いくばくかの俸給も与えられるようになった。長次郎の父・伝次はそんな息子を誇らしく思い、以前、長次郎をバカにしていた連中は見る目のなさを恥じ、またうらやましく思うのだった。」
「伏見の女将軍」という表現は今ではとらないかもしれない……。
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