磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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被爆者230人の証言

2010年05月31日 | 読書日記など
『被爆者230人の証言』
   長崎原爆被災者協議会・編/長崎原爆被災者協議会2001年

たくさんの人が短い文章を書かれています。



台湾からの留学生……。下「」引用。

「諌早の私の家に下宿していた台湾の留学生長崎医大三年生の元(ゲン)さんが救護隊に編入され、私が収容されている長田國民学校に来られました。元さんは私を見て「寺沢さんひどい傷」と言い、私は特別に元さんの治療を受け、毎日強壮剤の注射を打って下さったので命びろいしました。心から感謝します。-略-」

日赤へ。下「」引用。

「治療が終わり、帰り支度をして居る処に、三菱製鋼所の人で、対空監視櫓の上から、爆風にに吹き飛ばされ、頭から肩にかけて負傷し、血だらけになつた男の人が独り入つて来て「治療してくれ」と医者が話していたが、医者は「こんなに、大きな傷は、此処では、治療出来ないから、赤十字病院に行け」と言われていたが、本人が「病院が何処に有るか知らない」と言つていた。可哀想になり、皆に、一緒に先に帰る様に話して帰し、此の人に肩をかして、寺町下の日赤病院に連れて行き、出て来た看護婦さんに後を頼み、高商に帰った後で不思議に思つたのは、此の病院では、負傷者を殆ど見なかつた事である。或は自分の行くのが早かつたのかも知れない。-略-」

「永井博士のこと」中島富夫・著。
著者は針灸師であり、永井隆に指導を乞い何回か文通をしたという。
病床であり指導はできない永井。永井も灸の治療を受けていたという。

もくじ

「原爆死」、「個人墓の芳名(霊名)碑」。下「」引用。

「浦上周辺の墓地には仏教徒・キリスト教徒共、原爆で親族が殉教された方達を「原爆死」と刻んだ墓が多い、特に長崎キリシタンの中心地、浦上方面では「こららんば墓地」「赤木墓地」「白山墓地」「経ヶ峰墓地」には一家全員原爆死と、連名した墓石が数多く見受けられます。」

松脂採集。下「」引用。

「-略-八月九日は朝から別の松脂採集に五人一組で駆り出されていた。二つ上の姉(当時小学校五年)も別の班で、同じく松脂採集をしていた。
 午前十時過ぎ、その松脂採集が終わり、集めた松脂を持って小学校へ向かった。小学校では、廊下に松脂のドラム缶がへあり、そこに一括して貯めていたのだった。」

被爆少年少女追悼之碑

「修学旅行生の皆さんへ」土本ミツ・著。下「」引用。

「被爆の語り部として修学旅行生へ語りかけてこられた土本ミツさんは、二○○○年十一月十四日八十七歳の生涯を終えられました。ここに生前のテープを起こし、収録します。-略-」

カトリック割り当てがあったという土本。下「」引用。

「終戦の声が聞こえてからも、まわりの家々には、カトリック教会から割り当てられていたのか、数人の人たちが痛んだ体をよこたえていました。私の実家にもいましたが、一人の奥さんが、「おせわになりました」と紙づつみを渡します。あとで、ひらいてみると、なにも入っていなかったのです。お金の持ち合わせもなく、心から感謝していたのでしょうが、つらかっただろうと思われてなりません。その奥さんも、4~5年前、目がみえなくなり、先月末に亡くなられたそうです。」

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