磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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抗議して生き残ろう-私の反核平和論-

2008年11月20日 | 読書日記など
『抗議して生き残ろう-私の反核平和論-』
   小中陽太郎・著/日本評論社1987年

また、吉本隆明批判です。
--この本の著者も、吉本は味方で、権威においておられるようです。

しかし、問題の本質を忘れないで欲しい。
--科学の本質をゆがめた政治。
文学の問題などではなく、科学の問題が本質ですね。

吉本もそれに反論する人たちも、奇妙な方向へ問題をもっていく……。



井伏らは好意的だったという。下「」引用。

「声明文がかたまりだしたところ、西田や中野、伊藤らが、井伏鱒二と尾崎一雄をたずねた。尾崎が「こういうものがでるのを待っていた」といったことは、私たちをおおいにはげました。」

左翼からは変節漢といわれる江藤淳はウソを述べた?……。下「」引用。

「この運動を、ソ連から金をもらっているととれるような言い方でおとしめた江藤淳がいるが、切手代も自分の金で出してやったのだから、なんといわれようと、どこにも恥じるところはない。
 もう一つの批判は中上健次や吉本隆明からのもので、この声明は文学者に声明を強要する踏絵のようなものだ、という趣旨だったが、知り合いから個人名の封筒がとどくのはむしろそういう画一性と正反対のものではないか。
 個人的な顔見知りのない人は、文芸手帖などをたよりに、黒古一夫や星野光徳や高野庸一らの若い物書きがかきおくった。そしてそれらも返事がくるものはきたし、こない人はこなかった。」

--五木寛之と野坂昭如
人気作家二人も署名。コメントが彼ららしい……。

反響に驚いたという……。下「」引用。

「けれども、おどろいたのは、翌日の朝刊各紙を開いてのことだった。『朝日』でも『毎日』でも一面トップに大きく報じられていた。反核声明が、マスコミによってひろまったことは事実だが、逆に、新聞、テレビのデスクが、この声明の意味を見ぬき、大きく世に迎えられることはを見通した力におどろいた。当事者たちは、もっと小さなことしか考えていず、反響もこんなになるとは思っていなかったのである。」

そりゃ、人気作家が加われば記事になるでしようね……。

--吉本の批判に反論。
1. ポーランドの運動を多くが支持している。
2. 平凡であったとしても、作家は口にすべきだ。
3. 地球上の人間をすべてエゴとはどうか?

エゴももっていいのとそうでないのがある。
--夏目漱石も読まなかったの?……。

核保有国大使館を訪ねたという……。下「」引用。

「「核戦争の危機を訴える文学者の声明」は、出しっぱなしでなく、いくつかの公約をふくんでいた。日本の国内で、小さな会を開くこと、国外では、各国のペンなどの作家によびかけること、核保有国や潜在的保有国の指導者に直接手紙を送るという仕事である。会は三月三日に開くことができた。各国文学者のほうは、それにあわせて手紙を送った。
 さて、もう一つの公約が大使館めぐりだった。中野孝次、伊藤成彦、小田実らとまわったが、結局、全大使館めぐりにつきあったのは伊藤と、堀江さん、私なのでその報告をしておこう。」

平凡パンチに出た吉本はパンチだけだったという……。下「」引用。

「もう一つ、吉本隆明氏からきた批判は、氏のこれまでの特徴である論理というより、セリフの荒々しさパンチのものすごさといったものである。「-略-」(『平凡パンチ』四月一二日号)。」

吉本の読者まで批判される……。下「」引用。

「井上隆幸だったかが、こういった。「吉本隆明の読者は吉本隆明の書いたものは読むが、吉本隆明について書いたものは読まないのさ」。-略-「日本の知的ジャーナリズムというのは、なんでもかんでも馬鹿、馬鹿といってりゃいくらか売れるのね。そういうものを読みたい一定数の読者がいつもいて、そのうえに吉本隆明の著作というものはのっているところがあるわけ。そこがあまり好ましくないんだけど」-略-」

一応、吉本の読者であるボクです。
--ただ、そんな揉め事よりも本質を伝えほしいものだ!
ボクは読者であるが、この著者たちのように吉本を権威などとは置いていない。
科学のド素人の吉本をこの問題で権威などとは置けるわけがない。
--この問題の権威は高木仁三郎、安斎育郎などであろう……。

もくじ

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そして、高校生の運動でももっと責任をもって活動をしている……。

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この高校生たちの方が、日本の作家たちよりも、よほど、現実を理解しているとボクは思う。

著者たちにとっては、敵であるビートたけし! 下「」引用。

「吉本氏はビートたけし氏が-略-対談者の横沢プロデューサーが「たけしは『じゃ、あんたもテレビに出て来て、一緒にやろうよ。どっちがホンマもんか、やってみようじゃないか』と考えているだろう」と説明していた。
 これはうまい説明である。テレビではなくてもいい、ともかく行動というのは、敵弾も飛んでくるということだろう。」

政治学者・高畠通敏の批判への反論。下「」引用。

「これでは、政治学者は思想性が高いから、アピールが出ず、文学者はオメデタイからそろって出したみたいだ。しかしいったい高畠はあの声明が日本中の文学者を網羅したと思っているのであろうか。いやそれどころか、うまく連絡がとれずくわわらなかった人もいれば、最初からその意志のない人もいくらでもいる。それをいかにも全員あやつり人形のように描写するのはいくら政治学者でも大ざっぱすぎないか。」

人権を大切にしない政治学者を民主主義の学者とはボクは思えない。

もちろん、人権思想は民主主義からきているもので、共産主義ではない!

医療や福祉についても同様である……。

抗議したところで生き残れるだろうか?

--科学をゆがめる人たちのいうことをきいていたら、ますます国家としても社会としてもまずいことになるだろう……とボクはそう思う……。

--格差あってのセレブたち……。
積極的平和は求めておられないようにボクには思える……。
永井隆博士はやはり素晴らしかった!

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