磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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日本の原爆記録7 千羽鶴・黒い蝶

2006年05月25日 | 読書日記など
『日本の原爆記録7』
 日本図書センター1991年

千羽鶴 原爆の子の像の記録-豊田清史
黒い蝶 原爆前後の手記-松岡鶴次
二作品が掲載されています。


【千羽鶴】

ABCCは死者の顔の写真をとっていたという。
患者をたすけないで、研究材料にした組織。

禎子さんの友達の記録。下「」引用。

「私たちお友だちで、日赤病院へ見舞に行った時、禎子さんはベッドに寝たまま、薬の紙で千羽鶴を追っていました。「こがーに鶴う折ってどうするん」と言ったら、「ほいでも早うなおりたいけ」と、うらめしそうにこたえた禎子さんの顔が、まだ忘れられません。」

亀井文夫監督の長篇記録映画〈生きていてよかった〉が話題としてあがっていた。

この運動は全国の友達が支えたという。同。

「私は君の作文を読んで「こいつはすばらしい、よし協力してやろう」と思うたのです。-略-君達が自分達で、自分達の友のために、自主的に働いてくれているというのが、僕にとっては何よりも嬉しいです。君達困難を忘れず進んで下さい。そして、世界平和のために戦おう。」

しかし、そんな人たちばかりではなかったという。
大阪の高校からは非難されたという。
大阪の学校だけでなく、京都でも賛同されなかったところもあったという。

しかし、そんなことにはめげずに、
彼らはクリスマス島の水爆実験に抗議していたという。

原爆投下後13年たっても、死者はうまれる。
友達が死亡していくのを調査したという。

禎子は象徴であって、他の人たちの代表とでも
いいたい人物でもある。


【黒い蝶】

豆腐は軍用であったという。同。

「豆腐は総て軍納か特定の所に流れて我々の口に入らない。」

ラジオは演芸放送、活動写真や芝居も開演している。同。

三月三日「この慌ただしい世相の中にもラジオは演芸放送をしているし、活動写真や芝居を開演している。鉄兜を背に下げたり、防空頭巾やモンペ姿に身固めした女性達も、あるかなきかの命の洗濯をしているかに見える」

Y料亭=陸軍将校集会所となっていた。同。

三月十日「広島市中の大きな料亭や旅館は総て陸軍将校集会所や軍需生産会社の高級職員等の寮に看板は塗り替えられ、決して我々一般大衆の行く所でもないし、産業戦士等の憩いの場所でもない。
 現にキリンビアホールの裏筋にあるY料亭は、陸軍将校集会所という看板がかかっており、今日も夕刻前から血の一滴と言云う程のガソリンを使った自動車で運ばれた牛肉や豚肉や魚等が道路からでも見える。料理場で多くの料理人達が依って昔に勝るあらゆる料理が造られていた。」






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