磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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私の広島地図

2008年04月17日 | 読書日記など
『私の広島地図』
   中山士郎・著/西田書店1998年

地理の本ではなく、文学の随筆です。当時のことを丹念に書かれてあるといっていいかと思います。



マツタケのことが書かれあります。下「」引用。

「松茸は、私の生まれた故郷である広島県の特産物であった。
 子どもの時分には、季節になると、毎日のように松茸を用いた料理が食卓に出された。
 今から思えば実に贅沢な話になるが、-略-」

ボクの子ども時代も、松茸は安かったですよ。椎茸のどんこよりも安かった。
--そうそうHNの磯野鱧男の、鱧も安かったですよ。家では、土用の丑の日も鰻は高いので、鱧にしてました……。

俳句もコミュニケーションの手段だなあーと思う。下「」引用。

「これも不思議だと思うのだが、田頭氏の手紙と前後して、私は中島小学校時代の恩師である山下巖先生から俳句の雑誌を頂戴した。
 その俳誌は『夕凪』といって、広島市の夕凪社から刊行されたもので、その号には、先生の「妻の死前後」と題した特別作品がの頁があって、二十八句が掲載されていた。どの句にも、亡き夫人への思いがこめられていて、胸打たれた。」

疎開家屋は大規模だったようです……。下「」引用。

「この『つちふる』ないしは、『つちぐもり』現象に、私は過去に出会っていた。
 昭和二十年八月六日、広島市に原子爆弾が投下されたが、その直前まで従事していた、疎開家屋を除去する作業現場のことであった。-略-原爆投下される一週間ほど前からは、連日、猛烈な速度で疎開家屋の除去が行われた。
 そのために、市内全域の上空は、濃い黄色い土埃が厚い雲のように広がり、濛々と煙って見えた。」

原爆乙女の手術は、女は顔が命なんてことが書かれてありますが、男性に対する配慮のない社会でもあったように指摘する方が適切だろうとボクは思います。下「」引用。

「夢の中で、自分の顔のケロイドはやはり夢だったのだということが分かると、夢の中の私は安堵した。けれども、夢から目覚め、現実にもどって頬を撫でてみると、そこにはケロイドが厳然と存在していて、ふたたび私を落胆させた。」

歌のタイトルなども書かれてありました。
・人の気も知らないで
・湖畔の宿
・小雨の丘
・長崎物語

■人の気も知らないで Tu ne sais pas aimer■



--書道で書く文字。
1年、ヒノマル。
2年、みくにの光。
3年、金色のとび。
4年、一系の大君。
5年、東亜の盟主。
6年、国民は皆戦士。

教育も、マインド・コントロールみたい……?











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