『妹たちのかがり火 第四集 仁木悦子の意志を継いで』
かがり火の会・編/千書房1989年
第3集まで編集をされていた仁木悦子さんが亡くなられたようです。
片腕になった兄。下「」引用。
「北支戦線で負傷して、片腕となり、除隊していた長兄が、木刀を振りまわしながら号泣(ごうきゅう)しているのを見て、男の人でもあんなに泣くのかと、びっくりして眺めていました。今になると、あの時の半治兄さんの口惜しさがわかります。」
現実、なってみると大変なことだとボクでも想像がつきます……。
「虹しのぶ会」というのもあったようです。下「」引用。
「大人になった私たちの願いは、兄の終焉(しゅうえん)の地をたずねることでした。この願いは昭和五十三年三月に「虹しのぶ会」の日下部さん達のおかげでかないました。特攻基地だった鹿屋市の主催で、毎年行われる慰霊祭に出席することが出来たのです。」
新潟県の人も学徒動員で神奈川県川崎市にある三菱重工業に。そして病死。
とまどう妹……。下「」引用。
「「捕虜の首を切りました。大根を切ったような感じです」
たった一行しか、このことに触れていない。この文面を見たとき、あの心優しい兄と、大根のようにスパッと人の首を切っている行為とが、どうしても結びつかなかった。」
立派な軍人の妻。下「」引用。
「何よ、そんなもの! 私の夫を殺した中国人なんて大嫌いよ!」
私は黙ってしまった。彼女のビロードの服と、その胸元の金のネックレスが怒りにふるえていた。立派な軍人だったという彼女の夫は、一人の中国人も殺さなかったのだろうか。彼女の混乱は、戦後三十年余年のあのときも、まだ続いていたのだろうか。哀れとしかいいようのない思いが私を黙らせた。」
そして、毛沢東を信じる中国人。下「」引用。
「私の肉親も日本人は殺されました。私は日本人が憎くてたまりませんでした。でも悪いのは日本の軍部という一部に過ぎない。日本人を憎んではならない、という毛沢東の言葉を聞いて以来、私は日中両国の橋渡しになればと考え、この仕事につきました」
【仁木悦子さんの残した言葉】
わが子を人殺しにしない。下「」引用。
「◎ よく「我が子を戦場に送るな」というでしょう。自分の子を死なせたくないから送らないという意味もあるわけですが、それだけでは若い人は納得させられない。「我が子を『人殺し』にはしない」といわなくては駄目なんです。自分の子を戦場に送らないで、相手方をミサイルで殺しても構わないというのでは意味ないものですもの。 (草の実会誌)」
名誉ある死(*嘘であることは、このかがり火を読んでもわかる)。下「」引用。
「◎ あの時代を見、聞きして育った者として、ほんとうに怖いのです。靖国神社を国家が管理するようにして、その次の段階には「そこにまつられるのが名誉ある誇らしい死に方なのだ」と教えはじめるのではないかと。」
index
選挙で。下「」引用。
「◎ 自分には何もできないとおっしゃる方もあるんですが、せめて選挙の時などよく気をつけて、軍国主義に加担するようなことをいった人や、政党には投票しないというようなことね。(十五周年全国大会の時に)」
どんな人間でも。下「」引用。
「◎ 人間は、地獄に追い詰められれば鬼になります。どんな人間でも、です。だからそこまで追い詰められれる状態をつくらないことが大切なのです。」
ジャーナリストに応援。下「」引用。
「◎ 私はずっと前から、テレビでも新聞でも、よくこんなことを取り上げてくれたというときに、直ぐハガキを出すんです。ジャーナリズムの人たちが奮戦しても誰かが応援しなきゃだめだと思うんですよ。私たちのできる一番手取り早いことはそれじゃないかと思って、「たいへんいい番組でありがたかった。これからも頑張って下さい」とすぐに出します。」
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かがり火の会・編/千書房1989年
第3集まで編集をされていた仁木悦子さんが亡くなられたようです。
片腕になった兄。下「」引用。
「北支戦線で負傷して、片腕となり、除隊していた長兄が、木刀を振りまわしながら号泣(ごうきゅう)しているのを見て、男の人でもあんなに泣くのかと、びっくりして眺めていました。今になると、あの時の半治兄さんの口惜しさがわかります。」
現実、なってみると大変なことだとボクでも想像がつきます……。
「虹しのぶ会」というのもあったようです。下「」引用。
「大人になった私たちの願いは、兄の終焉(しゅうえん)の地をたずねることでした。この願いは昭和五十三年三月に「虹しのぶ会」の日下部さん達のおかげでかないました。特攻基地だった鹿屋市の主催で、毎年行われる慰霊祭に出席することが出来たのです。」
新潟県の人も学徒動員で神奈川県川崎市にある三菱重工業に。そして病死。
とまどう妹……。下「」引用。
「「捕虜の首を切りました。大根を切ったような感じです」
たった一行しか、このことに触れていない。この文面を見たとき、あの心優しい兄と、大根のようにスパッと人の首を切っている行為とが、どうしても結びつかなかった。」
立派な軍人の妻。下「」引用。
「何よ、そんなもの! 私の夫を殺した中国人なんて大嫌いよ!」
私は黙ってしまった。彼女のビロードの服と、その胸元の金のネックレスが怒りにふるえていた。立派な軍人だったという彼女の夫は、一人の中国人も殺さなかったのだろうか。彼女の混乱は、戦後三十年余年のあのときも、まだ続いていたのだろうか。哀れとしかいいようのない思いが私を黙らせた。」
そして、毛沢東を信じる中国人。下「」引用。
「私の肉親も日本人は殺されました。私は日本人が憎くてたまりませんでした。でも悪いのは日本の軍部という一部に過ぎない。日本人を憎んではならない、という毛沢東の言葉を聞いて以来、私は日中両国の橋渡しになればと考え、この仕事につきました」
【仁木悦子さんの残した言葉】
わが子を人殺しにしない。下「」引用。
「◎ よく「我が子を戦場に送るな」というでしょう。自分の子を死なせたくないから送らないという意味もあるわけですが、それだけでは若い人は納得させられない。「我が子を『人殺し』にはしない」といわなくては駄目なんです。自分の子を戦場に送らないで、相手方をミサイルで殺しても構わないというのでは意味ないものですもの。 (草の実会誌)」
名誉ある死(*嘘であることは、このかがり火を読んでもわかる)。下「」引用。
「◎ あの時代を見、聞きして育った者として、ほんとうに怖いのです。靖国神社を国家が管理するようにして、その次の段階には「そこにまつられるのが名誉ある誇らしい死に方なのだ」と教えはじめるのではないかと。」
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選挙で。下「」引用。
「◎ 自分には何もできないとおっしゃる方もあるんですが、せめて選挙の時などよく気をつけて、軍国主義に加担するようなことをいった人や、政党には投票しないというようなことね。(十五周年全国大会の時に)」
どんな人間でも。下「」引用。
「◎ 人間は、地獄に追い詰められれば鬼になります。どんな人間でも、です。だからそこまで追い詰められれる状態をつくらないことが大切なのです。」
ジャーナリストに応援。下「」引用。
「◎ 私はずっと前から、テレビでも新聞でも、よくこんなことを取り上げてくれたというときに、直ぐハガキを出すんです。ジャーナリズムの人たちが奮戦しても誰かが応援しなきゃだめだと思うんですよ。私たちのできる一番手取り早いことはそれじゃないかと思って、「たいへんいい番組でありがたかった。これからも頑張って下さい」とすぐに出します。」
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