磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ねえちゃん!まって

2009年04月09日 | 読書日記など
『ねえちゃん!まって』
   東川豊子・著/穂積肇・絵/草土文化1985年

著者の実体験がかかれている絵本だそうです。
集団疎開と、空襲のことが書かれてあります。
著者の家は、浅草三筋町の魚屋で、7人兄弟だったという……。



表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「早乙女勝元(作家)
 奇跡的に火中を脱出した豊子さんの前には、二年ちがいの姉さんの、背なかの弟君を救えなかった激しい慟哭(どうこく)があります。目を閉じたきりの勝坊にすがって泣く少女の熱い涙は、「戦争が終わったら、また生れておいでよね」という豊子さんのつぶやきへと結びつくのです。-略-」

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六年生と四年生のきょうだいは、宮城県へ集団疎開……。下「」引用。

「六年生だったわたしは、四年生の妹の愛子といっしょにいくことになりました。父母の見送りは、学校まででしたから、改札口でふりかえっても、父母たちが一人もいないことは知っていました。-略-」

そして東京に帰る3月9日。

学童疎開は金がかかるという……。下「」引用。

「Mさんのおかあさんは、
「学童疎開は、お金がかかるから、もう、しげ子(M子さんの妹)はやらない。まったく学童疎開はお金が高い」
と、ぷりぷりおこっているようでした。」

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弟・栄一……。下「」引用。

「まさかそのときは、何時間後に空襲があって、栄一が死んでしまうなんて、だれも考えらなかったでしょう。
「あんなにあとを追って泣いた栄一を、どうして千住へ連れてこなかったか。とてもかわいそうなことをした」
と、栄一の死を知ったとき、叔父はたいへんくやんでいました。そうなのです。あのとき千住へ栄一がいっていたら死なずにすんだのです。叔父のくやむ気持がいたいほどわかり、-略-」

28年目の卒業式……。下「」引用。

「なつかしい講堂で、卒業式がはじまりました。四十歳になって待望の卒業式です。わたしの心は、六年生そのものでした。
 空襲にたえて、いたみのはげしい講堂でしたが、昔とかわらない雰囲気のなかで、二十八年目の卒業式がとりおこなわれました。-略-」







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