磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

広島は火の海だ 原爆にあった兵士の証言

2008年02月26日 | 読書日記など
『広島は火の海だ 原爆にあった兵士の証言』
   市岡英史・著/恒文社1981年

当時、東友会の理事である人が書かれた本です。イラストレーターで、当時の広島のようすを絵で表現されています。モノクロで口絵があります。



終戦後の有楽町のデパートの様子がえがかれてありました。

食料品はほとんどなく、配給切符でかわないといけなかったという。

だけど、パイプオルガンがあり、土、日に演奏していたという。

家庭用品には、鍬とか鎌がおかれていたという。

戦争中、軍隊では衣類節約だったという。下「」引用。

「前年までは、営内で演習勤務などのない者は上体を上着なしの襦袢だけで過ごしていたが、今年は衣類節約のためそれも着ないことになったばかりだ。」

少年兵が来たことが書かれてあった。下「」引用。

「古い兵は初年兵のことを「さん」付けで呼んだ。特に今ここにいる初年兵は中学四年をすませて、四月に入隊したばかりの志願兵だった。私が五月の始め熊本から帰ってみたら、十六、七歳のような子供のような可愛い兵隊がゴロゴロしているので、びっくりしたものだ。正に少年兵である。」

米兵の捕虜についても書かれてありました。下「」引用。

「その米兵は、七月二十八日沖縄から呉方面を空襲に来た敵機の航空兵で、広島市上空において高射砲に一機がやられたとき、市の西方五日市付近に落下傘で降下した五名のアメリカ兵の捕虜であり、我々の部隊の営倉に収容しているのだ。そのときの状況は、私も対空射撃要因で表門前の陣地に出ていて見たが、午前十時頃東から広島市の上空に入って来た敵B24の一機が高射砲にやられ、右翼が飛び散り急角度で墜落したので、みんなで歓声をあげたものだ。」

著者はがホノルル生まれで通訳を頼まれたが、二班にアメリカ生まれの久本一等兵が通訳をしたという。

瓦礫の市内で、焼けた消防自動車があったという。

■著者略歴■
市岡英史(いちおかひでふみ)
1916年ハワイ・ホノルル市で生まれ、26年広島県の父母の実家に帰る。戦前、故樺島勝一先生にペン画を教わるも第二次大戦のため召集をうけ、45年広島の歩兵連隊で被爆。戦後、アニメとCMの制作(美術監督・演出・会社代表)。現在、イラストレーター。文章の勉強グループ月曜会会長。東友会(東京の原爆被害者団体)常任理事。


↓クリックして、一番上の絵が著者制作。
関連記事









index

index





エンタメ@BlogRanking


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。