『「戦争と平和」子ども文学館13』
長崎源之助、他・編/渡辺清、他・著/
日本図書センター1995年
特攻隊は、現場からではなく、大本営で考えられたものであるという人たちがいる……。
--この本では、現場で生まれたように伝える……。戦争と人を見つめた作品のようには、ボクには思えなかった……。
■目 次■
戦艦武蔵のさいご 渡辺清 5
すみれ島 今西祐行 161
神風特攻隊の出撃 高木俊朗 167
「レイテ沖海戦はこうして始まった」 下「」引用。
「昭和十九年十月十七日、戦艦、空母をふくむ敵の大機部隊が、レイテ湾におしよせ、そのうち有力部隊は、すでにタクロバンに上陸をはじめた。-略-
そこで連合艦隊は、いそいで各艦隊を動員して、レイテ湾の攻撃に全力をあげることになった。この作戦は、「捷一号作戦(しょういちごうさくせん)」といわれた。
武蔵は、大和、長門ともに、第二艦隊の第一戦隊にぞくしていた。第二艦隊は、戦艦、巡洋艦、駆逐艦など三十九隻からなり、第一遊撃部隊として、この作戦は主力であった。-略-」
魚雷命中。下「」引用。
「だが、武蔵は、いぜんとして全速力をたもったまま、旗艦の大和のあとを追いつづけた。
それから、二、三分して、武蔵が右に回頭(かいとう)し、そのしゅんかんだった。
ま上から、つぶてのようにつっこんできた雷撃機が、右舷前部に日本の魚雷を命中させた。空中に、たつまきのような水柱がまきあがった。-略-」
--「神風特攻隊の出撃」
アッツ島にいた日本軍が、アメリカ軍に攻撃されて、全滅した。
玉砕……。下「」引用。
「大本営が玉砕の字をつかったのには、いろいろのわけがあった。
そのひとつは、戦争が負けて全員が死んだということを、全滅したというと、負けたことがはっきりしてしまうが、それを玉砕というと、守備隊の全員が勇ましくたたかい、いさぎよく死んだように思われるからである。うごけない兵隊が自殺したり、焼き殺されたりしたような、あわれなありさまを感じることはできない。-略-」
「マキン・タワラの決戦」 下「」引用。
「玉砕という、日本軍の全滅した戦いは、中部太平洋の島々で、つづいて、おこった。そのなかで、いちばん戦いのはげしかったのは、タワラ島であった。」
牟田口中将。下「」引用。
「牟田口中将は、部下にむかって、
「わたしはインパール作戦に勝って、陸軍大将になるのだ」
といったのが、ほんとうのきもちであったといえる。」
味方をうつ。下「」引用。
「日本の軍艦が、日本の飛行機をうちおとそうとして、射撃している。戦闘機隊が、味方であるという合図に、翼をふって知らせることをしなかったからだ。軍艦のほうでは、敵の飛行機と思ったのだ。」
玉井副長が零戦に爆薬をつんで、体当たりすることを思いついたという。
海軍では“しんぷう”とやはり読んだようだ……。下「」引用。
「大西長官は、うなずいた。こうして、神風特別攻撃隊(かみかぜとくべつこうげきたい)の名がきまった。
昭和十九年十月二十日、午前一時すぎのことであった。
このように、はじめにきめたときの名は“しんぷう”とよぶことになっていた。また、その後、海軍のなかでは、かならず“しんぷう”とよんだ。
ところが、体あたり攻撃がはじまってから、外国の新聞やラジオにつたえられるとき“かみかぜ”とよばれた。これは、日本で、ふつうには、そのように読んでいる字なので、新聞記者が、そのままつたえたのであろう。-略-」
Index
index
もくじ
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長崎源之助、他・編/渡辺清、他・著/
日本図書センター1995年
特攻隊は、現場からではなく、大本営で考えられたものであるという人たちがいる……。
--この本では、現場で生まれたように伝える……。戦争と人を見つめた作品のようには、ボクには思えなかった……。
■目 次■
戦艦武蔵のさいご 渡辺清 5
すみれ島 今西祐行 161
神風特攻隊の出撃 高木俊朗 167
「レイテ沖海戦はこうして始まった」 下「」引用。
「昭和十九年十月十七日、戦艦、空母をふくむ敵の大機部隊が、レイテ湾におしよせ、そのうち有力部隊は、すでにタクロバンに上陸をはじめた。-略-
そこで連合艦隊は、いそいで各艦隊を動員して、レイテ湾の攻撃に全力をあげることになった。この作戦は、「捷一号作戦(しょういちごうさくせん)」といわれた。
武蔵は、大和、長門ともに、第二艦隊の第一戦隊にぞくしていた。第二艦隊は、戦艦、巡洋艦、駆逐艦など三十九隻からなり、第一遊撃部隊として、この作戦は主力であった。-略-」
魚雷命中。下「」引用。
「だが、武蔵は、いぜんとして全速力をたもったまま、旗艦の大和のあとを追いつづけた。
それから、二、三分して、武蔵が右に回頭(かいとう)し、そのしゅんかんだった。
ま上から、つぶてのようにつっこんできた雷撃機が、右舷前部に日本の魚雷を命中させた。空中に、たつまきのような水柱がまきあがった。-略-」
--「神風特攻隊の出撃」
アッツ島にいた日本軍が、アメリカ軍に攻撃されて、全滅した。
玉砕……。下「」引用。
「大本営が玉砕の字をつかったのには、いろいろのわけがあった。
そのひとつは、戦争が負けて全員が死んだということを、全滅したというと、負けたことがはっきりしてしまうが、それを玉砕というと、守備隊の全員が勇ましくたたかい、いさぎよく死んだように思われるからである。うごけない兵隊が自殺したり、焼き殺されたりしたような、あわれなありさまを感じることはできない。-略-」
「マキン・タワラの決戦」 下「」引用。
「玉砕という、日本軍の全滅した戦いは、中部太平洋の島々で、つづいて、おこった。そのなかで、いちばん戦いのはげしかったのは、タワラ島であった。」
牟田口中将。下「」引用。
「牟田口中将は、部下にむかって、
「わたしはインパール作戦に勝って、陸軍大将になるのだ」
といったのが、ほんとうのきもちであったといえる。」
味方をうつ。下「」引用。
「日本の軍艦が、日本の飛行機をうちおとそうとして、射撃している。戦闘機隊が、味方であるという合図に、翼をふって知らせることをしなかったからだ。軍艦のほうでは、敵の飛行機と思ったのだ。」
玉井副長が零戦に爆薬をつんで、体当たりすることを思いついたという。
海軍では“しんぷう”とやはり読んだようだ……。下「」引用。
「大西長官は、うなずいた。こうして、神風特別攻撃隊(かみかぜとくべつこうげきたい)の名がきまった。
昭和十九年十月二十日、午前一時すぎのことであった。
このように、はじめにきめたときの名は“しんぷう”とよぶことになっていた。また、その後、海軍のなかでは、かならず“しんぷう”とよんだ。
ところが、体あたり攻撃がはじまってから、外国の新聞やラジオにつたえられるとき“かみかぜ”とよばれた。これは、日本で、ふつうには、そのように読んでいる字なので、新聞記者が、そのままつたえたのであろう。-略-」
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もくじ
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