『放送メディアの歴史と理論』
木村愛二・著/社会評論社2005年
元・読売新聞社の社員である著者……。
--読売に限らず、いろいろなことが書かれてあります。
慰安婦関連番組……。下「」引用。
「-略-二○○五年の一月以降、いわゆる「従軍慰安婦」番組への「政治介入」騒ぎが、NHKと朝日新聞の大手メディア同士の熾烈な批判、批難合戦にまでなり、受信料不払いがさらに増えた。」
安倍晋三が圧力をかけた事件ですね。
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正力松太郎の「庶民の中」とはマインド・コントロールすることか……。下「」引用。
「《正力は、与論とは庶民の中にあるべきだという観念は棄てなかった。当時、役所の中で最も官僚的といわれる警察畑を歩き、その畑から庶民の中に生きる正力を生んだというのも妙である。》(『創意の人』)
正力の狙いは、このように、下からの「与論」形成であった。それを、決して「庶民の立場」ではあり得なかったが、「庶民の中」から打ち出すもののように擬装すること、これこそが、むしろ、ロシア革命以後という状況下、正力ら警察官僚的任務だったのである。」
「●読売新聞の社説と「満州国の独立」を支持する日本全国一三二社の「共同宣言」」下「」引用。
「-略-このような日本の無謀な侵略戦争拡大の驕りには、現存の大手メディアも重大な責任を負っている。-略-その社説の題は、しかも、まるで官報そのまま、「強く正しく国策を遂行せよ」であった。満州事変以後の日本を批難する国際与論への猛反撃である。「日本の権益を武力によってでも確保しなければならない」とし、「国際連盟の問題についても、日本の主張が通らなければ脱退もやむを得ない」という趣旨の主張であった。
翌年の一九三二(昭和七)年一二月一九日には、さらに進んで、同じ趣旨の文章が、「満州国の独立」を支持する「共同宣言」に発展する。この「共同宣言」は、読売だけでなく、全国で一三二の新聞に掲載された。現在のガリヴァー広告代理店、「電通」の前身、「日本電報通信社」を筆頭とする大手メディア挙げての「共同宣言」である。」
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今は、アメリカからの「ヴィデオ」と無印「引用」……。下「」引用。
「つまり、日本人のアナウンサーやキャスターが恭々しく紹介し、まるで疑いを抱く余地のない歴史的事実の教科書であるかのように放映する舶来品の「ヴィデオ」は、まぎれもなく、衛生中継で送られてきたアメリカ製の番組の一部分そのままであった。それなのに、その製作責任者の名前も国籍も明らかにされてず、単に「ヴィデオ」と呼ばれる習慣が作られてしまったのだ。こういうことは、少なくとも、まともな活字メディアでは生じない。-略-いわば無印の「引用」が許されている」
イエロー・ジャーナリズムと正力松太郎。下「」引用。
「イエロー・ジャーナリズムと呼ばれた「煽情主義」のハースト系新聞の手法を日本で直接取り入れたのが、元・警察官僚の正力松太郎社長就任以後の読売新聞である。ハーストはスペインとの戦争(一八九八)を煽った。アメリカはこの時期に大陸内部の西部侵略を一応終え、米西戦争の勝利によってキューバ、プエルト・リコ、グアム、フィリピン諸島を獲得したのをきっかけに、大陸の外への侵略政策に転じたのである。以後、アメリカ独立革命期の特殊事情は表面から消え失せ、かすかな地下水脈にとどまっている。」
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木村愛二・著/社会評論社2005年
元・読売新聞社の社員である著者……。
--読売に限らず、いろいろなことが書かれてあります。
慰安婦関連番組……。下「」引用。
「-略-二○○五年の一月以降、いわゆる「従軍慰安婦」番組への「政治介入」騒ぎが、NHKと朝日新聞の大手メディア同士の熾烈な批判、批難合戦にまでなり、受信料不払いがさらに増えた。」
安倍晋三が圧力をかけた事件ですね。
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正力松太郎の「庶民の中」とはマインド・コントロールすることか……。下「」引用。
「《正力は、与論とは庶民の中にあるべきだという観念は棄てなかった。当時、役所の中で最も官僚的といわれる警察畑を歩き、その畑から庶民の中に生きる正力を生んだというのも妙である。》(『創意の人』)
正力の狙いは、このように、下からの「与論」形成であった。それを、決して「庶民の立場」ではあり得なかったが、「庶民の中」から打ち出すもののように擬装すること、これこそが、むしろ、ロシア革命以後という状況下、正力ら警察官僚的任務だったのである。」
「●読売新聞の社説と「満州国の独立」を支持する日本全国一三二社の「共同宣言」」下「」引用。
「-略-このような日本の無謀な侵略戦争拡大の驕りには、現存の大手メディアも重大な責任を負っている。-略-その社説の題は、しかも、まるで官報そのまま、「強く正しく国策を遂行せよ」であった。満州事変以後の日本を批難する国際与論への猛反撃である。「日本の権益を武力によってでも確保しなければならない」とし、「国際連盟の問題についても、日本の主張が通らなければ脱退もやむを得ない」という趣旨の主張であった。
翌年の一九三二(昭和七)年一二月一九日には、さらに進んで、同じ趣旨の文章が、「満州国の独立」を支持する「共同宣言」に発展する。この「共同宣言」は、読売だけでなく、全国で一三二の新聞に掲載された。現在のガリヴァー広告代理店、「電通」の前身、「日本電報通信社」を筆頭とする大手メディア挙げての「共同宣言」である。」
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今は、アメリカからの「ヴィデオ」と無印「引用」……。下「」引用。
「つまり、日本人のアナウンサーやキャスターが恭々しく紹介し、まるで疑いを抱く余地のない歴史的事実の教科書であるかのように放映する舶来品の「ヴィデオ」は、まぎれもなく、衛生中継で送られてきたアメリカ製の番組の一部分そのままであった。それなのに、その製作責任者の名前も国籍も明らかにされてず、単に「ヴィデオ」と呼ばれる習慣が作られてしまったのだ。こういうことは、少なくとも、まともな活字メディアでは生じない。-略-いわば無印の「引用」が許されている」
イエロー・ジャーナリズムと正力松太郎。下「」引用。
「イエロー・ジャーナリズムと呼ばれた「煽情主義」のハースト系新聞の手法を日本で直接取り入れたのが、元・警察官僚の正力松太郎社長就任以後の読売新聞である。ハーストはスペインとの戦争(一八九八)を煽った。アメリカはこの時期に大陸内部の西部侵略を一応終え、米西戦争の勝利によってキューバ、プエルト・リコ、グアム、フィリピン諸島を獲得したのをきっかけに、大陸の外への侵略政策に転じたのである。以後、アメリカ独立革命期の特殊事情は表面から消え失せ、かすかな地下水脈にとどまっている。」
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