磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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文学史を読みかえる4 戦時下の文学-拡大する戦争空間-

2009年02月10日 | 読書日記など
『文学史を読みかえる4 戦時下の文学-拡大する戦争空間-』
   木村一信・責任編集/池田浩士、他・編/
     インパクト出版会2000年

雑多なことが雑誌のように書かれてあります。
--いろいろな人が書いてもおられます……。



国策なら何でもいいわけではありませんね……。下「」引用。

「「国策」に沿った作品の生産に邁進する者、自らの無力を思い、韜晦のうちに身を委ねる者など、表現者のとった道も幾枝にも分れた。また、国からの「徴用」を受け、東南アジア各地の戦場や統治地へと軍と共に足を運び、「宣伝・宣撫」の業務に就いた者たちも少なくはなかった。〈銃後〉においても亦、例外ではなかった。マスメディアはこぞって戦意高揚、戦争遂行のためのプロパガンダに励んだし、女性や子供たちもこれらの中に役割を強いられたのである。」

今も国策だからと、危険で高い原発を、安全で安いかのように伝えています……。

それには文化人という方たちも関わっています……。

植民地文学……。下「」引用。

「いままでの文学史のなかでは、いわゆる「内地」と「植民地」とを対置しながら植民地を描く、ないしは植民地で作られた文学作品をひとつの特殊なジャンルとして見てくることにしか、全体にはできなかったと思います。それを日本文学の全体像のなかで捉えなおす--むろん「内地」にある植民地をも再構成していくことだと思いますが、そういう視点について、ぼくも考えてみたい。」

「国境」についてでは、夏目漱石の『三四郎』の引用がある。下「」引用。

「そのヒゲの男は、「熊本より東京は広い、東京より日本は広い、日本より……」と言いかけて、「頭の中の方が広い」と言う。-略-漱石の言う「頭の中の方が広いんだ、捉われてはいけない」というメッセージに充分理解できなかったのではないかと、その後の日本の動きを見ていると思われます。」

今も、ぶんどり合いだけを熱心にしていますね……。

こんな意見もありました……。下「」引用。

「5. 卒業写真の教師の位置、考え直してみませんか?」下「」引用。
「-略-「教師が学校の主役」と思って、「ごく自然に」教師が一番目立つところに位置している学校が、今でもあるかもしれません。
 あなたの「学校」の「卒業写真」、誰が主人公なのか、考え直してみませんか?
  [橋本淳治(はしもとじゅんじ)]」

野望……。下「」引用。

「端的に見て取れば日本軍の南方進攻によって、日本人の南方観はそれでまの茫洋とした憧憬の境地から、一変して切実な野望へと変貌を遂げたと考えることができよう。」

少国民にも野望を……。下「」引用。

「いわば喪失を余儀なくされた素朴な南方憧憬、そこに生じた感覚のズレを読み取るために太平洋開戦前後期の南方紀行書が一つの目安となるが、ここで特に注目しておきたい対象は成人向けのものよりもいわゆる少国民としての年少者のためにかかれたものである。-略-そこには遠く欧米に向けられた憧憬、明治以来の先進文明国への思いとはやはり別種のものが根底に備わっていたように思われる。-略-」

不許可写真に軍直慰安所が……。下「」引用。

「「南京虐殺」は「レイプ・オブ・南京」でもあった。『写真週報』創刊は、日本兵による強姦対策として従軍慰安婦制度が定着拡大していく時期に重なる。不許可写真の中には、三八年一月に上海に開設された軍直営慰安所の内部写真や、性病検診に向かう朝鮮人女性の姿もある。ことら中国女性に笑顔が多いのは、それを隠蔽するためにほかなるまい。」

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日本語を教えたという……。下「」引用。

「南方各地に文化人を派遣して日本語普及につとめたことは川村湊『海を渡った日本語』(青土者 一九九四年)にくわしい。四二年九月には「南方派遣日本語教育要員養成所」を開設し、三か月の訓練ののちフィリピンへ一五○人、ビルマに二○○人ほどが派遣されたという、このなかには女性もいる。こうした日本側の姿勢に、ある段階までは現地もよくこたえたようだ。」

隠蔽と山口淑子……。下「」引用。

「『写真週報』に集積された「大東亜共栄圏」の女たちは、それらを隠蔽する役割を担わされているといえる。日本の銃後の女たちの多くが前線の男たちの性暴力を知らず「聖戦」を信じていたということは、その隠蔽がかなり成功したということだろう。-略-解放後彼女たちが「親日派」「漢奸」として同胞りの冷たい眼差しに刺されることがなかったどうかも気になるところだ。あるいはひょっとすれば彼女たちは日本女性による扮装だったのかもしれない。山口淑子が「李香蘭」として「姑娘」を表象したように。」

オウム真理教にもオウム・シスターズがいましたね。

「戦争と女性 太平洋戦争前半期の吉屋信子を視座として」渡邊澄子・著。下「」引用。

「フェミニズムの視点が導入されるようになって門馬千代との私生活化らラジカルにシスター・フッドを生きた人として注目され、大衆通俗小説がえして抱えている旧弊の世界から脱した新しさが着目されての評価である。」

田辺聖子などは戦争下を省略したという。下「」引用。

「吉武輝子(『女人 吉屋信子』文芸春秋82・12)も田辺聖子(『ゆめはるか吉屋信子』上下 朝日新聞社99・9)も吉屋の戦争下は省筆している。」

省略で、ずいぶんイメージがかわるものですね……。

菊池寛賞をとったという……。下「」引用。

「菊池寛章を、「半世紀にわたる読者と共に歩んだ衰えざる文学活動」によって受賞した。この受賞を吉屋は喜んだが「読者と共に歩」んだその内実が本当に問われなければならないだろう。戦争が苛烈さを増すプロセスに軍部主導に先を争って追随した女たちを、吉屋には励ました一面のあったことを消し去ってはならない。時流に乗り遅れまいとし、男に献身して評価されることを喜びとする女たちが戦争を支えてもいたのだ。」

菊池は軍部とのつながりがつよかったという。
受賞には何の問題もないのでは?

より問題があるのは菊池寛でしよう……。

もくじ

戦後も民主的なメディアが生れなかったことがもっとも大きな問題だと思う。

ラジオ放送「愛国詩」……。下「」引用。

「「愛国詩」は生命のない「残骸」に過ぎない。だが、その「残骸」が何故に〈声の祝祭〉の中では力を持ち得たのだろうか。〈祝祭〉の外部にいる我々にはその力を追体験することは難しいのである。」







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