『スリーマイル・パニック-核時代最悪のシナリオ-』
マーク・スティーブンズ(著)/
淵脇耕一(訳)/社会思想社1981年
アメリカの対応は、日本より数段上だろうとボクは思う……。
--日本のあの訓練は、何の役にも立たないという人をボクは否定できないとも思う……。それは原発推進の人が裁判所でいうように、「精神的なものです!」ということのように思えてならない……。
まるで、小説のような構成。
--テレビのニュース放送からはじまる……。下「」引用。
「-略-全米の目が、このもっとも信頼されている男を見つめている。それは一九七九年の三月三○日だった。
「こんばんわ! 今日のような一日は、世界がいまだかつて経験したことのないものであります。原子力時代最悪の原発事故がもたらす相当な不安と危険とを私たちは経験したのです。-略-」
こういう本を呼んでいて、何もかも公開されたように書かれている本は信用できない。
この本では、「明らかにしなかった」と表現されている……。下「」引用。
「あいかわらず二号炉の制御室は緊張し続けていた。安全部長ギャリー・ミラーが到着し、午前七時三五分には敷地内緊急事態宣言から一般的緊急事態宣言へ切り替える決心をかためた。電力会社はあいかわらず、危険はないと各省庁に対し保証し続けていた。しかしメトロポリタン・エジソン社の緊急対策要綱にちよっと目を通せばわかるように、一般的緊張事態とは「一般市民の健康と安全に対し放射線による重大な悪影響を与える可能性のある事態」なのである。原子力産業界でこの一般的緊急事態を越えるものは想定させれていない。つまり最悪事態だ。にもかかわらず、あの日同社のものは誰一人として、この事実をマスコミに足してであれ一般市民に対してであれ明らかにしなった。」
そして、マスコミ自体もお金で口を封じられたのではないかと思う……。
あのチェルノブイリ事故も、アメリカ人が現地に入り、隠蔽が完璧に近くおこなわれたと思う……。
スリーマイル事故以前にも事故はあったと書く。下「」引用。
「しかし、スリーマイル島以前にも、数回に及ぶ事故があったのである。以下列挙すると、
▼一九五二年一二月。オンタリオ州チョーク・リバーにあるカナダの実験炉NRXで、ある運転員のミスが原因で部分的炉心溶解と重度の放射能汚染があった。-略-」*7つの例があげらていた。
そして、従業員たちのことが書かれてあった。下「」引用。
「メトロポリタン・エジソン社の従業員で、マスコミに話すことができずに不満に思っている者はほとんどいなかった。記者たちが事故を不必要に大きく見せていると感じている者すら多かった。それはパートの労働者の多くは、職を失うのではないかと恐れていた。」
トレーラー・シティーが生まれたという……。下「」引用。
「スリーマイル島の見学センターのまわりのピクニック用地では、メトロポリタン・エジソン社と連邦政府の各省庁がトレーラー・ハウスを置き始めていた。やがて、トレーラー・シティーと呼ばれることになるこの新しいンターは、スリーマイル島に出向いて来ている原子力規制委員会、メトロポリタン・エジソン社、そしてマスコミ関係者の活動を円滑にするためのものだった。建設現場から引っ張ってきたり、臨時にレンタルで借りてきたトレーラーが四十台以上にものぼったので、二十四時間働きづくめの五百名を越える技師や技術者の便宜をはかるため、事務所用、シャワー用、そして簡易食堂用のトレーラーが置かれた。」
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