磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

原爆被爆者問題 改訂版

2006年07月28日 | 読書日記など
『原爆被爆者問題 改訂版』
    田沼肇・著/新日本新書1971年、1977年新版1刷

よくわからないことが多いんですが、
少し、この本には書いてありました。



「はしがき」には以下「」のように書かれてありました。

「新聞や雑誌でも、被爆者の問題は、いぜんとしてしばしば大きくとりあげられており、ジャーナリズムがこれほど長期間にわたって関心をはらいつづけてきたテーマは、ほかにあまり例をみないだろう。それは、「広島・長崎」の体験が、日本国民の現在と未来にとって、いかに深刻な意味をもつものであるか、また、現に三六万人をこえる被爆者の健康と生活を援護する政策が、いかに不十分なものであるか、さらに、「広島・長崎をくりかえさせるな」という内外世論が、いかに切実で根強いものであるかを物語っている。」


こんなに被爆者は多かったのだろうか? 三百人に一人だそうです。下「」引用。

「全国の被爆者総数は少なくとも三六万人をこえ、日本国民三○○人につき一人の割合になる。」


社会の底辺にいる人間のことをもっと書いてほしいと思います。少し書いてありました。同。

「一一月二三日付の『中国新聞』夕刊にのった「寒さから心臓マヒ、通行中の被爆老人」という見出しの小さな記事である。
「二十三日午前八時ごろ、広島市大手町一丁目、原爆ドーム南側公園広場で、老人がうつ伏せになって死んでいるのを、通行人が見つけ、広島西署へ届け出た。所持品から同市舟入川口町、労働者下谷亀一さん(五六)とわかった。同所が調べたところ、死んだときの身元を知らせるためのメモや、売血を続けたため疲れきったという。遺書めいた走り書きがあった。……家族の話では、牛田町付近で被爆し、病弱だったが、被爆者手帳の交付を受けていなかった。」
 この被爆老人のばあいは、新聞の社会面がとりあげたという意味で、氷山の一角とみてよいだろう。」


今では売血制度は日本ではありませんが、また復活させようという人たちもいるらしいですよ。まあ、科学は進んだようなことをいいますが、まだ人工血液もつくれていませんね。

大阪には被爆者の会婦人部があって、機関誌『被爆夫人の集い』を出したという。

それにしても、ABCCはひどいですね。同。

「ABCCの活動は、一口でいえば、加害者が被害者を調査するという恐ろしい行為にほかならない。それが、アメリカ軍による直接占領の時期には、とくに恥知らずにおこなわれた。学校の帰り道、むりやりジープでABCCに連れていかれてしまった子どもが、被爆者である母親から「おまえの血は母ちゃんがこのひどい体で失対にでて働いて、ようやく作ってやった血ではないか、その血を原爆を投げた鬼めにやりに行くんならいっそ殺してやる」と叱られ、馬乗りになってたたかれたという話を、山代巴さんが悲しみをこめて書いている。(『このせかいの片隅で』)

無理矢理子どもを自動車に乗せていくことは、他の子どもでもしているようです。

そんなABCCに対して日本国は非難するどころか、国民負担といって税金まであげていたそうですね。



そして、国民の血税まで使ったABCC見解です。同。

「ケロイドが原爆と直接に関係ないというABCC見解」


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日本がアメリカから記録映画を取り戻したときも、政府は日本の政府ではなくアメリカのことを考えていたらしいです。
文部省はフィルムの貸出しに制限を与えたり、テレビではカットしたり、ナレーションはアメリカの直訳で棒読みにさせたそうです。同。

「文部省は、アメリカ空軍当局者とちがって、この映画が、日本国民にたいし「冗長で退屈」な印象どころか、強い影響をもたらすだろうことをよく知っている。しかし文部省は、被害者としての日本国民の立場にたたず、加害者にたいする「配慮」から、被害者にとっても「冗長で退屈な映画」にすたるために、さまざまな工夫をこらした。
 文部省は、テレビの公開にあたって、もっとも重要な箇所を削除しておきながら、他の部分は全巻放映を条件とし、ある箇所だけ切りはなして放映することを制限した。また、フィルムはアメリカから「返還」されたものに鋏を入れておきながら、ナレーションは英語解説をそのまま翻訳し、なるべく感情に訴えないような棒読み調にした。」


こんなことをしているアメリカなら次のこともありえるかもしれませんね。同。

「アメリカは、「漁夫たちが実験をスパイした」といいがかりをつけ、久保山さんの死因は「輸血による肝炎だ」と宣伝し、また被災者を治療してやるからひきわたせとも要求した。もし日本側がこの要求をいれていたら、久保山氏の死因は完全にごまかされてしまっただろう。」

久保山さんとは第五福竜丸の方で被曝者ですね。
ビキニという本を読んでも上のことは正しいかもしれないと思いました。






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症状からさぐる身近な病気 24時間待てない病気

2006年07月28日 | 読書日記など
『症状からさぐる身近な病気 24時間待てない病気』
   医学博士 沖津明[監修]/
     信藤幸雄[編著]/パロル舎2006年

病気にはなりたくありませんね。
でも避けられない時もあるでしょうね。



チャートなどがついていて、
わかりやすい本だと思います。
下「」引用。

「致命率の高い急性の病気は脳の病気だけに限りません。感染症も時によって致命的であったり、盲腸(急性虫垂炎)といえども処置がおくれれば死に至る可能性が大いにあるのです。」


また、誤診がおきやすい病気がかかれてありました。
タバコを吸う高齢者の方、要注意では?下、引用。



高齢喫煙者の腰と背中の痛み

腹部大動脈瘤破裂を発症するひとの多くは、
ライフスタイルも含めた以下の
三つの条件をそなえているといわれます。
 ア.高齢者であること
 イ.タバコを吸っている
 ウ.腰と背中に痛みがある

この三条件と腹部大動脈瘤破裂との間に
緊密な関係があることは、
統計的な数値によっても裏付けられています。
しかし、実際には医師の診断においては
この三条件は無視されるか、
みすごされるかしているのが現実です。
それが結果的に誤診の原因に
なっているともいわれています。






この本にも書かれてありますが、素人判断で、
困ったことにもなるので、要注意。
それをなくすためにも、この本を読むことを、
この本の著者は勧めておられます。









核の20世紀 訴える世界のヒバクシャ

2006年07月28日 | 読書日記など
『核の20世紀 訴える世界のヒバクシャ』
  平和博物館を創る会 日本原水爆被害者団体協議会/
     平和のアトリエ1997年

分厚い写真集です。
永六輔さんや、江戸家猫八さんも、
よびかけ人だそうです。



有名な写真をとられた方の感想と写真がありました。

説明文もしっかりあります。下「」引用。

「もう、地獄そのものというのでしょうか……
それ以上は、涙でシャッターが切れなかった」
原爆被爆3時間後のヒロシマを撮影したカメラマン松重美人さん(当時33歳・新聞社写真部員)。爆風で家の中はメチャクチャ。その様子を3枚写して、カメラを手に職場へ向かう。市の中心街はすでに猛火の中に。先へは進めず、思わずシャッターを3回切った。あまりの悲惨さにファインダーは涙がかすんで、もうそれ以上は撮れなかった。」



軍人のヒバクについての写真も文章もありました。
アメリカは25~30万人、ソ連は40万人の兵士が被曝。
イギリス、フランス、中国もその例外ではないそうです。

「平和利用」の美名のかげで重大な事故と被害はつづく。
今も終わったわけではありませんね。

スリーマイル原発事故のさいに見舞金100万ドルをもらった
人の写真と文がありました。




スリーマイル原発事故のあと、
異常に大きなカエデの葉や巨大なタンポポなど
500種類を超える異形植物を採集されたそうです。

平和博物館を創ろうとされているみたいです。
平和博物館




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NHK教育 地球ドラマチック 「脳の力~記憶力の天才たち~」映画「レインマンのモデル」

2006年07月28日 | 読書日記など
NHK教育2006年 7月26日(水)午後7:00~午後7:45(45分)
地球ドラマチック

脳の力
〜記憶力の天才たち〜

映画「レインマン」のモデル


「アカデミー賞受賞作「レインマン」でダスティン・ホフマンが演じた人物のモデル、キム・ピーク。驚くべき記憶力を持つキムは父親とともに米国やイギリスをまわり、講演などを行う。キムの能力の秘密を解明しながら、父親や旅先で知り合った人々に見せる彼の素顔や日常を伝える。ひとつの分野で突出した能力を持つ症状をサヴァン症候群という。53歳のキムは、読んだことを写真のように正確に記憶していた。」




14歳だったかで死ぬといわれたのに、50歳をこえたキム。
ろくに医者はみてくれなかったとも……。

ダスティン・ホフマンが、この映画をとるときに、
演技の勉強に来たとき、キムの細かなしぐさまで
真似ていたという。

そして、キムに多くの人との交流をもたせたほうがいいとダスティン・ホフマンは語ったという。

何と、それまではキムは人の顔を見ようとはしなかったという。

キムはそれから講演をしたり、人前に出ることとなった。

今ではとても人なつっこい感じです。

ダスティン・ホフマンはさすが名優とも思わせられる番組でもありました。

キムの父の深い愛情も驚嘆。

おそらく再放送もいずれされるだろう好番組でした。








岩波ブックレットNO.114 さくら隊8月6日 ヒロシマで被爆した若き新劇人たち

2006年07月28日 | 読書日記など
『岩波ブックレットNO.114 さくら隊8月6日
   ヒロシマで被爆した若き新劇人たち』
      新藤兼人・著/岩波書店1988年

さくら隊散る」と同じ著者のせいか、ダブル部分がけっこうありました。



8月6日には、東京目黒の天恩山五百羅漢寺(てんおんざんごひゃくらかんじ)にある「さくら隊殉難碑」に新劇人が集うという。

建物が木造だったと書かれていました。下「」引用。

「爆心地から一キロ以内にあった聯盟の木造家屋は、あっという間もなくふっとんだはずである。」


槇村と八田元夫が広島へかけつけることが簡潔に書かれていました。下「」引用。

「東京へ帰った槇村浩吉は、男優二人をととのえて、すぐに広島へ引き返そうと思ったが、切符がなかなか手にはいらない。B29の空襲がひんぱんになり、東海村の神奈川静岡辺は普通状態。中央線で名古屋へ出ることにし、六日夜新宿駅で徹夜をし、やっと八日の切符を手に入れた。七日に聯盟本部に行くと、広島に新型爆弾が落ちてそうとうの被害があったといっていたが、くわしいことはわからない。原爆が落ちて全市壊滅ということは、報道管制が敷かれておさえられていた。
 槇村は八日に東京を発ち、一○日のひる広島駅へ、八田元夫、男優二人と着いた。」


八田元夫さんは「ガンマ線の臨終」の著者ですね。

ドキュメンタリーというのに、こだわりを持っておられたようです。下「」引用。

「ドキュメンタリーでは、過去を復元することはあまりやらない。ウソになるからである。関係者の証言だけがものをいう。しかし「さくら隊」では、過去に重要な意義があるので、あえて冒険をおかすことにした。放射能がどんなふうにして人を殺すのかを、具体的に見るためである。」


長門裕之は天才子役だったそうです。下「」引用。

「長門裕之(ながとひろゆき)は「無法松の一生」で園井恵子扮(ふん)する吉岡夫人の子役を演じた。当時彼は六歳。沢村国太郎(さわむらくにたろう)とマキノ智子(ともこ)の間に膿まれた長門は、天才子役といわれていた。」

多くの人にインタビューされたようです。下「」引用。

「インタビューした人を順にいうと、槇村浩吉、池田生二、滝沢修、小澤栄太郎、丸山由利亜(丸山定夫の姪)、江津荻枝、乃木年雄、内海明子、千田是也、殿山泰司、杉村春子、太田怜医師、倉田地三、宇野重吉、葦原邦子、清水善夫医師、浜村純、三沢清、長門裕之、沢道子、赤星勝美、櫻緋紗子(小笠原英法尼)、笠置正邦、松本克平、桑原経重(元情報局員)、山本安英、河原崎国太郎、以上だが、編集の都合で割愛(かつあい)しなければならない人もいる。」




【映画】さくら隊散る







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