磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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さくら隊散る

2006年07月27日 | 読書日記など
『さくら隊散る』
    新藤兼人・著/未来社1988年

映画をとられたので、そのときの日記ふうの記事もあります。



「妙隆寺」に丸山の碑があるそうです。下「」引用。

「境内の墓地に丸山定夫の碑が建っていた。ひときわめだつ立派な自然石で、「丸山定夫之碑」の題字は藤森成吉の筆。その上にあるレリーフはアルパゴン(モリエールの『守銭奴』)で本郷新の作。アルパゴンは丸山定夫の当たり役だった。」

投下時のことも簡潔に書かれてありました。下「」引用。
「丸山定夫はピカと同時にはねとばされて気絶した。園井恵子は丸山に朝食を置いて部屋を出て階段にかかろうとするときピカッときた。仲みどりは台所で流しに向っていた。高山象三は廊下の籐椅子で休んでいるときだった。その他の人たちは台所と洗濯場にいた。広島の人が一人炊事などの手伝いにきていたがこれも洗濯場にいた。寮長として広島の三浦政司という中年の人がいたが、これは出勤してきて事務室にいた。連盟の赤星勝美は厳島の存光寺に行っていた。」



著者たちは、『櫻隊全滅』の江津さんに、連盟の事務所を案内してもらったという。

浜村純の談話も掲載されていました。下「」引用。

「《丸山さんは大先輩でわたしなんか駆け出しでありますから、舞台の上で丁々発止噛み合ったり、そういう(関係の)役者じゃなかったものですから、それが非常に残念だと思っておりますけど。ただ一回だけ丸山定夫さんの代役をやったお話をしてみたいと思います。」


杉村春子さんの談話もあります。

元宝塚の園井さんの最後も簡潔に書かれておらました。下「」引用。

「その後、園井の容体は絶望的となった。熱も四○度に達し、毛が抜けて頭ははげあがった。小豆代の潰瘍が象三と同じように出ていたが、葡萄大となり杏大となり、全身をもんで掻ゆがった。
 注射針で潰瘍を突くと、黒紫の血膿が吹きだした。
 園井恵子は身をよじり苦しみぬいて、悶絶して息絶えた。三二歳の独身だった。
 丸山定夫、高山象三、園井恵子、と相ついで放射能でたおれた。」

宝塚の先輩の葦原邦子さんが談話を寄せられていました。

たしかに、映画のメーキャップも遺族の方を思うとやはり辛いものでしょうね。下「」引用。

「いずれもひどい形相で、遺族の方はいやな思いをされるかもわからないが、放射能で内臓を破壊去れた人間の最後を人に知ってもらうために敢えて行った。」







【映画】さくら隊散る






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