磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

「昭和」という国家

2006年07月07日 | 読書日記など
『「昭和」という国家』
    司馬遼太郎・著/NHK出版1998年

日本はアメリカに占領する前から占領されていた
という表現は、現実的な表現です。
今もそうですね。



ナショナリズムと愛国心の違いを語られています。
ナショナリズムより愛国心は次元のたかいもので、
ナショナリズムとはお国自慢などであるそうです。

日本の国は魔法の国だと話されています。
ぼくの書いた魔法使いの話も、いい加減に魔法を
つかうことは困ったことになるとテーマにしました。

ところが、ヨーロッパから技術だけでなく、
精神まで輸入するようになって、
日本人は魔法の国になっていったそうです。

日露戦争でその魔法はかなりひどいものとなります。
ノモハンでは、日露戦争と同じ作戦で日本はいきます。

この文章はすごい表現です。下「」引用。

「ひとの国をいっぺん触ると、自分の国も触ってしまう。ひとつの国をいたぶったあげく、自分の国をもいたぶり、占領してしまったのですね。
 結局、日本は満州事変以降、占領されていたのでしょうね。
 敗戦後、占領軍が来たとき、いままで戦った敵国なのに日本人は実に素直に受け入れたことになり、これは日本人に対する信頼にかかわる問題だと言う人がいます。」

この国はアメリカに占領される以前に、日本の軍部に占領されていたという。
支配ではなく占領だったと語られています。

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ソ連は軍備を増強していったのです。でも、その情報つぶされていました。
魔法の国では、正しい情報を伝えると「おまえは恐ソ病か」とされ、出世できなくなったといいます。

今では、「核アレルギーか」と……。
核の現実を知ろうとされませんね。
いくら頭がよく、地位や権力があっても……。
理解できるとは限らないようです……。
これは司馬遼太郎さんが書いてるわけではなく、僕が思ったことです。



ソ連軍は、ノモハンで、縦深陣地をつくりました。
この作戦は太平洋戦争でのアメリカ軍も同様だったらしい。

ノモハンで信じられない負け方をしたのに、
日露戦争と同じ作戦をとり続けて行くのです。
同じ作戦でくるから、英国の軍人はあきれていたそうです。
そんなことでは勝てるわけがありませんね。

日本の軍部は独裁的になっていきました。
しかし、独裁者を出さない国であり、独裁者なき独裁でした。


安藤昌益(あんどうしょうえき)という方は愉快ですね。


アジア好きの司馬遼太郎はアジアは一つというわけではないと、
語られておられますが、「脱亜入欧」もやはりよくなかったと
語られています。




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111屋形船で夕涼み

2006年07月07日 | Ra.
ラヂオアクティヴィティ[Ra.]
第二部・国境なき恐怖

六、夢の島とヒートアイランド

111屋形船で夕涼み



「本日は屋形船で夕涼みだ。勇気、乗ったことあるかい」

「ない、はじめてだよ。楽しみにしているよ。テレビカメラもついて来るのでしょう」

「あるみたいだなあー。夜景はきれいだろうなあー。僕は京都で生まれたから、京都を観光しなくって、今ごろ見ておけばよかったなあーと思うことがよくあるよ。でも、他の地方の人よりは、もちろんよく知っているよ」

「自分たちの足下を見ておくのは大切なことだよね」
マイクたちはバスから降りた。

「川沿いはいくぶんか涼しいねえ」

「ヒートアイランドっていっても、場所によって違うさ」

「川は涼しい。川は水があって、水蒸気となり、水蒸気となるとき、温度を下げてくれるからだよ。植物も同じだよね、植物には水分があるから、水蒸気となって、その時温度をさげてくれるよね」

「おい、勇気、勉強したなあー。昔は平屋だてばかりだったから、東京のあっちこっちで夕涼みが楽しめたそうだよ。自然の力で涼めたのさ。その方が豊かな感じがしないか?」

「冷房はただ温度を低くするから、涼しいのとは違うっていう人もいるよね。涼しいっていいよね」

屋形船の船頭さんや、従業員の人が出迎えてくれる。
「昔の東京は夕涼みがどこでも名物みたいなものだったらしいけど、この頃は熱帯夜の連続で、何時になっても外は暑いし、涼しい風が吹くこともないなあー。僕が住んでいるところではそうさ。最近の私の真夏の思い出だなあー」

「川や水路を埋め立てたしまったことも、ヒートアイランドの原因だってさ」
勇気は船が動き出したのも気付かないほど集中して話している。

「このヒートアイランドを解決するためには、河川と水辺空間の再生が肝心なことだよねえー」
と博士が横から口をはさんできた。

「そうだよね。かつて東京は水豊かな都市だった。一九○九年には、東京都区部に流れていた中小河川の総延長は八百六十キロメートルであったというよ」

「勇気もずいぶん、勉強しただろう」
と我が事のことのように喜ぶ勉。

「水が豊かということは、都市として発達する条件でもあるよね」

「それが歴史よね」と季。

「各都市や集落を中心として水路網が張り巡らせていた。これらは明治から大正時代まで都市機能、つまり農業・生活排水・物流などの役立っていたのさ。人々にとっては生活に欠かせない存在であり、ライフラインとしての機能だけではなく、人々の憩いの場、コミュニケーションの場としても存在していたのさ」

「広島での灯籠流しは素敵だったわね」
「ええ、そうね」








閑話休題

川に水が流れているのも、
見た目にもいいものかもしれない。

ドブ川なら困ったものだけど、
小さな川などに鯉が泳いでいたりする。
清瀬や世田谷にもそんな川があったりする。

でも、食べたら体によくないそうです。
見た目にはよくっても、やはり
そんなに川の水は綺麗ではないそうですよ。







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ありがとうございます。






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ナガサキよ世界へ 元原爆資料館長の回想

2006年07月07日 | 読書日記など
『ナガサキよ世界へ 元原爆資料館長の回想』
   松永照和・著/松永照和1989年

本島市長とともに平和活動をされた方のようです。
創価学会のことやカトリックの活躍も書かれてありました。
宗教はこんなことで対立していないようですね。(-_-;)



長崎のことは、あまり知られていなかったと書かれてあります。下「」引用。

「長崎市民の中には、オランダを中心とするかつての貿易交流とか、原爆被爆のために、長崎は世界中に有名であると信じている人が多い。実際にそうではなかった。一九七七年(昭和五十二年)、私が長崎県立長崎東高等学校の教員をしていたとき、文部省派遣で一か月間、欧米五か国の学校を見学して回ったことがある。そのときも、また、今回のスイス出張の際にも、長崎の名は驚くほど知られていなかった。被爆都市であることさえ知られていなかった。」

本島市長が強行日程で長崎をひろめられていかれたことが書かれてあり、チューリッヒ放送局にも出演。

国連高官がこんなことを話していたという。下「」引用。

「米国とソ連は二匹の蛇である。お互いに執念深く睨みあって、他の国々のことは考えない。今、私達にとって平和への希望は、ローマ法王と日本だけである」−略−隠された意味は、国連が無力であるということである。」



創価学会の協力にさいても書かれてありました。下「」引用。

「広島、長崎の悲劇の記録などを通して核の凄まじい破壊力と恐怖を訴える「核兵器・現代世界の脅威」展が、九月十日からスウェーデンのストックホルムで、次いでフィンランドのヘルシンキ・ノルウェーのオスロ、ベンゲンの北欧三国に四都市で順次開催されることが十四日決まった。広島、長崎の被爆実態が北欧が紹介されるのはこれが初めてである。同展は広島、長崎両市と国連経済社会理事会のNGOである創価学会の協力を得て、国連広報局が主催するもので、一九八二年の第二回国連軍縮特別総会時に国連本部で開催して大きな反響を呼んだ。」


バチカンで長崎市の原爆写真展を開催するという。そこに法王出席されるという一報が入る。

ローマ法王を中央にして原爆写真展のテープカット。



1985年、長崎市の平和公園で、中国の平和モニュメント「乙女の像」の除幕式が行なわれたという。

1985年「市民のつどい」にアグネス・チャン出演。
アグネス・チャンは熱心だという。

今年のNHKの環境のシンポジウムの番組にも出演。
そのとき、過激な発言をされていました。
大手マスコミが伝えていない資料も読まれているようでした。
過激かもしれませんが、どうやらそちらの方が事実のように思えてなりません。

いくらお金をかけて宣伝しても、事実はかわらないでしょうし、いくら権威があろうと万有引力をなくすことはできないでしょうね。



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ナガサキの郵便配達

2006年07月07日 | 読書日記など
『ナガサキの郵便配達』
   ピーター・タウンゼンド(著)/
      間庭恭人(訳)/早川書房s60年

長崎の語り部としてビデオやテレビに、
また外国でも被爆者としてのメッセージを
伝えられている谷口稜曄さんを主人公にした小説です。



帯に書かれてあります。下「」引用。

「《被爆少年からのメッセージ!》
悲痛な原爆体験にうちかち、幸せな家庭をきずいた一日本人の半生を、イギリス人の著者が平和への祈りをこめて描く!」

著者はビルマ生まれなので、東洋に愛着があるという。

この著者は「世界じゅうを旅行してみて、あんなにすばらしい子供たちを見たのは日本だけである。」と語られています。今の日本の子供のことではありませんね。今の子供と昔の日本の子供ではだいぶ違うように思えます。

稜曄のことが生まれたときのころから書かれてあります。

戦争にいたるところ、原爆や天皇、閣僚などについても書かれてあります。

1942年2月17にシンガポール占領のとき、
国民各戸に小豆ひと袋、ビール日本、酒三合の特別配給。
子供には、キャラメル一箱とお菓子。

郵便配達を業務にされていた谷口稜曄。
仕事中に被曝されます。

無感覚だったという。下「」引用。

「彼は無感覚だった。どんな苦痛も感じなかった。ふだんなら鋭い痛みを感じたはずの、あの小石が当たったところでさえも苦痛を感じなかった。精神的にも肉体的にも虚脱状態に陥っていた。」


ペニシリンが投与されたことが書かれてありました。

1948年に、松尾医師は移植手術。稜曄の右の尻の皮膚をとって移植。
しかし、腕は動かなかった。

東ドイツに招待されたが、手術をうける体力がなかったという。


1982年、平和平和のメッセージを広めるため外国へ。
ヨーロッパ、アメリカをまわった。

1982年夏、著者は谷口夫妻から長い時間インタビューしたそうです。

また、この翻訳本がでるときにも、指摘してくださったことを、訳者は感謝の言葉としておられました。







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Index 小説(原爆関連)など

2006年07月07日 | TOP【もくじ】
Index 小説(原爆関連)など


ボクは司馬遼太郎を尊敬しています。義務教育が中学で終わるのならば、その中学卒業で理解できる新聞でなくてはならない。それと同じように民主主義の文学ならば、その中学卒業で理解できるものがよいとボクは思う。
それに比べて、多くの本が難しいのです。むしろ、小説でない分野の方が簡単に書かれてあることが多いです。もちろん、一部のファンタジーや大田洋子の作品のようにわかりやすいように書いておられるものもあります。
大変、きつい分野でもあり、将来見直したいとも思います……。

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全集(原爆)のところに、まだ小説があります。
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【被爆者が主人公】

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■place■

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【文学賞】

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■グローバルな展開■

HIROSHIMA 小田実

■政治関連■

新潮文庫 憂鬱なる党派

■友の死■

焔の中

■SF・ファンタジー■

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【短編・短編集】

日蝕

有吉佐和子選集 第9巻 ぷえるとりこ日記

【推理小説】
閃光の遺産
「長崎の鐘」殺人事件
第三の原爆
消えた原爆搭載機

【入市被曝、二世】

早乙女勝元小説選集12 あした私は行く


【目撃】

きのこ雲

【贋作の昭和史】

広島に原爆を落とす日

歴史群像新書 旭光の富嶽 ソ連、東京原爆投下計画

【ミステリー小説】

五発の原爆


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【アンソロジー】

作品集〈八月六日〉を描く 第一集&第二集



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