日露戦争での二人の英雄 陸軍 秋山好古と海軍 秋山真之の兄弟である。
次に、海軍 秋山真之「秋山真之の軍事分析」について掲載されていた。
以下、要約し記す。
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秋山真之が生まれました。日露戦争時の連合艦隊参謀で、日本海海戦勝利に尽力したことで知られます。
今回は秋山が晩年の、日本海海戦から12年後の大正6年(1917)に発表した『秋山海軍少将 軍談』の中における軍事分析について紹介してみます。
「日本海海戦の勝敗が、僅々三十分間で沈着したと云へば、或は驚く人があるかも知れぬが、夫れが真正の事実に相違ない」「日本海海戦の決戦は、三十分間で片が付いたが、武器の進歩したる未来の海戦は、十五分間で勝敗が決するであらう」
秋山がそう語ったのは大正2年(1913)のこと。翌大正3年に第一次世界大戦が勃発すると、日露戦争当時には存在しなかった航空機、潜水艦、戦車などが次々と登場し、戦いに投入されていきます。それについて秋山は次のように語ります。
「兎に角潜水艇と云ひ飛行機と云ひ、今度の戦争が初舞台で、いまだ其の応用の初期に属し、尚ほ発達の前途は遼遠と云ふべきものである。しかし人智の向上には際限なく、今に戦艦が水中を潜り、巡洋艦否な巡天艦が空中を飛来する時代が到来して、平面戦闘が立体戦闘に推移すべき筈で、一戦を経る毎に一歩一歩と其の階段を上りつつある」
太平洋戦争時に登場する大型潜水艦や、「超空の要塞」と恐れられた大型爆撃機の猛威を、早くも予見しているかのようです。また以後の戦争が二次元から三次元へ、つまり航空決戦や水中戦闘という「立体戦闘」が主となることをピタリと言い当てています。
そして大正6年、海軍を拡張する日本は、いつアメリカと戦争をするのかというアメリカの新聞記者の質問に対し、次のように答えています。
「我日本には此の如き非常識のことを誤信する愚か者は一人も居らない。又能く物の数理を考へ見よ。新聞の伝ふる如く日本はこれから六、七年掛かりて僅かに八四艦隊、即ち十二隻の主力艦を作らんとしつつあるのである。如何に日本が神国でも、十二隻で今三十三隻の主力艦を作らんとする米国に来攻し得ると思ふか」
「斯く言へばもし優勢の艦隊さへあれば来攻せぬとも限らぬと言ふであらうが、古来神聖なる王道の上に立てる日本帝国は、彼の覇者の如く弱国に対して決して侵略を事とするやうな国柄でない」
「さりながら米国であれ、また他の諸国であれ、万一東亜に於ける我伝来の権利を侵害し、帝国の存立を危うくすることあれば、其の時こそ十二隻はおろか一隻の老朽艦を以てしても極力抗戦するであろう。而して必ず敵を微塵に撃破して見せる。もしそれが一年、二年で撃破し得られざれば、百年、千年たっても勝たなければやまないのだ」
これもまた大東亜戦争を予見するかのような言葉です。「我日本には此の如き非常識のことを誤信する愚か者は一人も居らない」とアメリカと事を構えるような非常識なことを考える愚か者はいないというのが、明治人の合理的判断というものであったでしょう。
しかしその一方で、「さりながら米国であれ、また他の諸国であれ、万一東亜に於ける我伝来の権利を侵害し、帝国の存立を危うくすることあれば、其の時こそ十二隻はおろか一隻の老朽艦を以てしても極力抗戦するであろう」というのは、非合理的というよりも、明治人の気概と受け止めるべきと考えます。
表では怜悧ともいえるほどの現実的、合理的判断に基づきながら、しかしその内側には、日本人として王道を守り、日本は侵略を行なう国柄ではないという誇りを持つ。さらに他からの侵略には断固屈しない気概を秘める。この毅然とした姿勢こそ、後世の日本人が明治の人々に学ぶべき点なのかもしれません。