龍の声

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「大日本帝国憲法制定過程とその内容について③」

2014-06-29 07:11:29 | 日本

【第六条】
第六条 天皇は法律を裁可し其の公布及び執行を命ず(天皇は法律を裁可して、その公布と執行を命じる)

※謹んで思うには、法律を裁可し、形式に則って公布させ、執行の処分を命令する。裁可によって立法行為を完結し、公布により臣民尊行の効力が生じる。これは、全て至尊の大権である。裁可の権限が至尊に属するもので有るときは、裁可しない権限もこれに従う事は、言わずと知れたことで有る。裁可は天皇の立法における大権の発動するところで有る。故に議会の協賛と経ていると言えども、裁可が無ければ法律として成立しない。

蓋し、古の言葉に「法を読みて、宣(のり)とす」と播磨風土記に云う。大法山[いま、名勝部岡]品太天皇(ほむたのすめらみこと)[応神天皇]「この山において大法を宣られた。故に大法山という。」との言葉は、古伝遺族を徴明(しるしを明らかにする)する一大資料で有る。そして、法律は即ち王言であることは、古人が既に一定の釈義があって、誤る事は無い。

附記:これを欧州の論を参考してみると、君主が法案の成議を拒む権限を論ずる者、その説は一つではない。英国においては、これにより君主の立法権に属し、三体[君主及び上院下院をいう]の平衡の兆證とし、仏国の学者は、これにより行政の立法に対する節制の権限とする。控えめに見て彼の所謂、拒否権は消極的な主義であり、法を立てる者は議会であり、これを拒否する者は君主で有る。或いは、君主の大権により行政の一偏に局限し、或いは君主は立法の一部分を占領させる論理に出る者であるに過ぎない。我が憲法は、法律は必ず王命によるという積極的な主義を取るもので有る。故に裁可により始めて法律として成立する。それは、ただ王命による故に、従って裁可しない権限もあり、これは、彼の拒否の権と似ているが、実は天と地の差があるものである。


【第七条】
第七条 天皇は帝国議会を召集し其の開会閉会停会及び衆議院の解散を命ず(天皇は帝国議会を召集し、その開会・閉会・停会及び衆議院の解散を命じる)

※謹んで思うには、議会を召集するのは、もっぱら至尊の大権に属する。召集によらず議員自らが会集するのは、憲法の認めるところでは無い。そして、その議論・議決する全ての事は、効力が無い。

召集の後の議会を開閉し、両院の終始を制御するのは、また均しく至尊の大権による。開会の初、天皇自ら議会に臨み、または特命勅使を派遣して勅語を伝えさせるのを形式とし、そして議会の議事を開始するのは、必ずその後に行う。開会の前・閉会の後において議事を行う事は、全て無効にする。

停会は、議会の議事を中断させることで有る。期限のある停会は、其の期限を経て会議を継続する。

衆議院を解散するのは、さらに新選の議員に向って、与論の所属するところを問う事とで有る。これに貴族院を対象にしないのは、貴族院は停会すべきであり、解散すべきで無いからで有る。


【第八条】
第八条 天皇は公共の安全を保持し又は其の災厄を避くる為緊急の必要に由り帝国議会閉会の場合に於て法律に代わるべき勅令を発す
この勅令は次の会期に於て帝国議会に提出すべし若議会に於て承諾せさるときは政府は将来に向て其の効力を失うことを公布すへし
(天皇は公共の安全を保持し、その災厄を避けるため緊急の必要があり、かつ帝国議会が閉会中の場合は、法律に代わる勅令を発する
この勅令は、次の会期に帝国議会に提出しなければならない。もし、議会において承認されなければ、政府は将来その勅令の効力が失われることを公布しなければならない)

※謹んで思うには、国家の一旦急迫が発生した時や国民に凶荒な疫病が発生したり、その他災害が発生した時は、公共の安全を保ち、その災厄を予防救済するために力の及ぶ限り必要な処分を施さなければならない。この時に議会が偶々開会していなければ、政府は進んでその責任を司り勅令を発して、法律に代え手抜かりの無いようにするのは、国家の自衛と保存の道において、もとより止むを得ざるものである。故に前五条において立法権の行用は議会の協賛を経てと言ったのは、その常の状態を示したのであり、本条に勅令を法律に代える事を許すのは、緊急時の為に除外される例を示す物で有り、これを緊急命令の権とする。よくよく緊急命令の権は憲法の許すところであり、また憲法のもっとも乱用を戒めるところである。憲法は公共の安全を保持し、又は災厄を避けるために、緊急で必要な限りこの特権を用いることを許し、そして利益を保護し幸福を増進するという通常の理由により、これを乱用することを許さない。故に緊急命令は、これを発令するときに本条に準拠することを宣言する事を形式とすべきである。もし、政府がこの特権に託し容易に議会の公議を回避する方便として、また容易に既定の法律を破壊するに至る事があれば、憲法の条規は空文に帰し、一つも臣民の為に保障をなすことが出来なくなる。故に本条は、議会にこの特権の監督者としての役割を与え、緊急命令を事後に検査して之を承諾させる必要のある事を定めた。

本条は憲法の中で疑問の一番多いものだ。今、逐一問いを設けて之を解釈しようと思う。
第一、この勅令は法律の欠けている部分を補充する事に止まるのか、又は現行の法律を停止し変更し廃止する事が出来るのか。

曰く、この勅令は既に憲法により法律に代わる力を持っている時は、おおよそ法律が出来る事が出来るのは、すべてこの勅令の出来る事である。ただし、次の会期において議会がもし承諾しなかったときは、政府はこの勅令の効力が失われる事を公布すると同時に、その廃止又は変更した法律をすべ元の状態に戻さなければならない。

第二、議会において、この勅令を承諾するときは、その効力はどのようになるのか。
曰く、更に公布しなくても、勅令は将来に渡って法律としての効力を継続する。

第三、議会において、この勅令の承諾を拒むときは、政府は更に将来効力を失う旨の公布しなければならない義務を負うのは何故か。
曰く、公布によって始めて人民が尊由する義務を解く事が出来るからで有る。

第四、議会はどのような理由により、その承諾を拒む事が出来るのか。
曰く、この勅令が憲法に矛盾し、又は本条に掲げた要件(緊急かつ議会が閉会中)を満たしていない事を発見した時、又はその立法上の意見によって承諾を拒む事が出来る。

第五、この勅令を政府がもし次の会期に議会に提出しなかったとき、或いは議会が承諾を拒んだ後、政府が廃止するとの命令を発令しない場合は、どのようになるのか。
曰く、政府は憲法違反の責任を負う事になる。

第六、議会がもし承諾を拒んだときは、以前に遡って勅令の効力の取り消しを求めることが出来るのか。
曰く、憲法は、既に君主が緊急勅令を発して法律に代える事を許している。その勅令が存在している間は、その効力を有する事は当然で有る。故に議会がこれを承諾しないときは、単に将来法律として継続して効力を持つ事を拒む事が出来るだけであり、そして、過去に拒否の効力を及ぼす事は出来ない。

第七、議会は、勅令を修正した後承諾する事が出来るのか。
曰く、本条の正文によれば議会は、これを承諾するか承諾しないかの二つに一つを選ぶ事が出来るだけである。だから、これを修正する事は出来ない。


【第九条】
第九条 天皇は法律を執行するために又は公共の安寧秩序を保持し及び臣民の幸福を増進する為に必要なる命令を発し又は発せしむ但し命令を以て法律を変更する事を得ず(天皇は、法律を執行するため、又は公共の安寧と秩序を保持し、及び臣民の幸福を増進する為に必要な命令を発令するか発令させる事が出来る。ただし、命令で法律を変更する事は出来ない)

※謹んで思うには、本条は行政命令の大権を掲げたもので有る。蓋し、法律は必ず議会の協賛を経て、そして命令はもっぱら天皇の裁定によって出る。命令の発令するところの目的は二つ有る。一つは、法律を執行するための処分並びに詳説(詳しい説明)を既定する。二つ目は、公共の安寧・秩序を保持し及び臣民の幸福を増進する為の必要において行う。これは全て行政の大権により、法律の手続きによらずに一般尊由の条規を設ける事が出来る。蓋し、法律と命令とは、均しく臣民に尊守の義務を負わせるものである。但し、法律は命令を変更できるが、命令は法律を変更する事が出来ない。もし、双方が矛盾する事態になったなら、法律は常に命令の上に効力を有すべきである。

命令は、均しく至尊の大権による。そして、その勅裁にでて親署を経るものを勅令とする。その他、閣省(内閣と省庁)の命令は、全て天皇大権の委任による。本条に命令を発令し、または、発令させるというのは、この両方の命令を兼ねて言い表している。

前条に掲げた緊急命令は、法律に代わる事が出来るが、本条に掲げる行政命令は法律の範囲内で処分し、又は、法律の欠けている部分を補充する事が出来るけれども、法律を変更し、及び憲法に特に掲げて法律を要するところの事件を既定する事は出来ない。行政命令は常に用いる物であり、緊急命令は変事に用いるものである。

附記:これを欧州の論を参考にすると、命令の久息を論ずるものは、その主義は一つだけではない。

第一にフランス・ベルギーの憲法は、命令の区域をもっぱら法律を執行するのに止め、そしてドイツの憲法は、またこれを模倣したのは君主の行政の大権を狭局(狭い局所)の範囲の中に制限するという誤った考えである事を免れない。蓋し、所謂行政はもとより法律の条規を執行するのに止まらず、なんとなれば法律は普通準縄の為にその大則を定める能力があって、そして様々な事物の活動に対して、逐一それに応じた処置を指示する事は出来ないのは、あたかも一個人の予定する志は、行動の芳香を指導すべきだと言っても、変化は極まりない事情に順応して、その機宜を誤らないのは、また必ず臨時の思慮を要す事と同じである。もし、行政で法律を執行する限りの所で止まらせると、国家は法律が欠けた部分において当然職責をつくすための根拠がない事になる。故に、命令は独り執行の作用に止まらず、時宜の必要に応じて、その固有の意思を発動することである。

第二に法理を論じる者は、安寧・秩序を保持する事が、行政命令の唯一の目的とする者があるのは、これまた行政の区域を定めるのに適当な釈義を欠く者である。蓋し、古の欧州各国政府は、安寧を保持するのを最大の職責とし、内治においては、ひとえに仮初に主としたのであり、人文が漸く開け政治が益々進むに及んで、始めて経済及び教育の方法により、人民の生活及び知識を発達させ、その幸福を増進する事の必要性を発見するに至った。故に行政命令の目的は、独り警察の消極的手段に止まらず、更に一歩を進めて経済上で国民を富殖し、教育上でその知識を開発する積極的手段を取る事を務めなければならない。但し、行政はもとより各人の法律上の自由を犯すべきではない。その適当な範囲で勤導扶掖して、その発達を喚起すべきである。行政はもとより法律が既に制定した限界を離れないようにして、法律を保護し、それにより国家の職責を当然の区域の内につくすべきである。


【第十条】
第十条 天皇は行政各部の官制及び文武官の俸給を定め文武官を任免す但し此の憲法又は他の法律に特例を掲げたるものは各々其の条項に依る(天皇は、行政各部の官吏の制度、及び文武官の俸給を定め、文武官を任免する。但し、この憲法、又は他の法律で特例を既定した場合は、その条項に従う。)

※謹んで思うには、至尊は建国の必要から、行政各部の官局を設置して、その適当な組織及び職権を定めて、文武の人材を任用したり罷免したりする大権を執る。これを上古に見てみると神武天皇が大業を定めて国造・県主をおいた事が立官として始めて歴史にみえるものである。孝徳天皇が八省を置いた事で、職官が大いに整備された。維新の初に大宝律令の官制は旧式であるため、職官を増減した。その後、数度の更新拡張を経て、官制及び俸給の制度を定められた。そして、大臣は天皇が親しく任免し、勅任以下の高等官は、大臣の上奏により最下を経てこれを任免する。均しく全て至尊の大命に出ないものは無い。但し、裁判所及び会計検査院の構成は、勅令によらず法律でこれを定め、裁判官の罷免は裁判により行うのは、憲法及び法律の掲げる特例によるものである。
官を分割し職を設ける事は、既に王者の大権に属するときは、俸給を給与することも、大権に付属すべきである。

附記:これをドイツの歴史上の事柄を検討すると、昔、官吏の任免はもっぱら君主及び長官の随意に任せていて、十七世紀になって帝国大裁判所の裁判官は、裁判によらなければその官を免ずる事が出来ないとし、この原則を帝国参事官にも適用した。その後、十八世紀に至って行政官吏の任職もまた、その確定権利に属すると言う節が行われ、往々にして、各国が法律に採用するところとなったが、十九世紀の初に、官吏は俸給について確定の権利が有るといっても、その職についてこれを有することなし。故に俸給又は恩給を与えて、その職を罷免するのは、行政上の処分でたるという主義を論じる者が有る。この論理は、主にバイエルンの官吏の職制法の掲げる所である。政府は、懲戒裁判によらずに行政上の便宜によって、官吏の官階及び官階俸を残して、その職務及び職務俸及び職服を解くことを得させた。[1818年法]。ただ独り英国は、ドイツ各国とはもともと異なっていて、ある一部の官吏を除く他は、君主の随意に文武官を任免する特権があるものとしているのは、今も昔の通りである。


【第十一条】
第十一条 天皇は陸海軍を統帥す(天皇は陸海軍を統率する)

※謹んで思うには、太祖は実に神武(神の武力)をもって帝国を建国し、物部・靫負部・来目部を統率して、後を継いだ歴代の天皇も内外に事が起これば、自ら兵を率い征討を自ら行い、或いは皇子皇孫を代わりに行かせ、そして臣連の二造はその副将である。天武天皇は兵政官の長をおき、文武天皇は大いに軍令を修め、三軍を統率するのに大将軍が一人いる。大将の出征には必ず節刀を授ける。兵馬の権は朝廷にあり、その後は兵事が武門に移り、政治の大綱がそれによって衰えた。

今上中興の始め、親征の詔を発して、大権を総攬し、それ以後兵制を改革し、長年の悪弊を洗い除き、帷幕の本部を設け、自ら陸海軍を統率された。そして、祖宗の光り輝く功績を再びその昔にかえすことが出来た、本条は兵馬の統一は、至尊の大権で、もっぱら帷幄の大令に属すことを示している。










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